よっつの恥じ

御野三二九二

よっつの恥じ


 思春期、中二病、情操教育真っただ中。

 青春を謳歌していたであろう、熟しきらない、幼稚で未発達な過程でいながら、言動には十分に責任を果たすことができる齢だのに、あのときの自分は、口にしたおかしな未来を疑っていなかった。


 「私、あの人の子供になる」


 十四歳の誕生日。

 毎年恒例となっている祝いの席は、父親の知り合いの店に連れて行かれることが多かった。

 主役である私の希望で、懐石だったり、鉄板焼きだったり、フレンチのフルコースであったりとさまざまだったが、今年は希望を伝えていなかったせいか、近所の和食料理屋だった。

 小さなころから幾度か訪れたことがある馴染みの店で、のれんをくぐるなり、店主には、


 「おめでとう」


 と快活に声をかけられた。

 いっぱしに羞恥心ばかりが成長していて、まともに目を合わせることすらできないまま、頭だけ赤べこのように何度も会釈した。

 席について安っぽいラミネートされたメニュー表に目を通していたとき、接待にきたのがあの女性だった。


 「お決まりでしたらお呼びください」


 これまた恥ずかしさゆえに目線だけで見やれば、そのまま釘付けになった。

 女性は私の目線に気が付いてお冷を置くと、おしぼりを差し出しながら微笑んだ。


 「今日、お誕生日なんですね。おめでとう」


 そのあまりの美しさに魅了された、ということであれば理由は明白であったのだろうが、そうではない。

 長い茶髪の髪は低い位置で一つに括られ、毛先は毛羽立ち、まとまりも艶もない。

 目元にラインもラメも入っていない簡素な化粧は、眉毛を描くか描かないか、それだけがすっぴんと区別する条件のように見えた。

 年はそこそこ若い。

 だがこの見てくれは、五十路を手前に控えた母親の方が、女としての外見は評価されるであろうというものだ。

 それでも、私は女性に間違いなく見とれていたのだ。

 なかなかおしぼりを受け取らない私に、女性は苦笑していた。

 隣に座る母が、その手からおしぼりをふんだくるようにして、私の前へ置く。

 気圧されたのか女性は顎を引いてお辞儀をすると、私たち家族が店を出るまで、一度もこちらを見ることも関わることもなかった。


 車内には、誕生日を祝った後とは思えない沈黙があった。

 母はどこか不機嫌そうに前を行く車を見つめていて、父も琴線に触れぬよう運転に集中しているようだった。

 私にとって、というよりは、私たち家族にとってこの沈黙は、いつものことだ。

 どんなイベントごとがあろうと、帰り道に感想を言い合うようなことはしない。

 毎年の誕生日会も、入学式も、卒業式のあともそうだった。

 疲労や倦怠感の方が先行して、各々押し黙ったまま家路に着くのだ。

 いつもと違ったのは、その沈黙が破られたことだ。私の気分は高ぶっていた。


 「私、あの人の子供になる」

 

 音楽もかけない。ラジオも聞かない。

 車体が風を切る音と、タイヤが道路を摩擦する音だけが、延々と鼓膜を打ち付けていた。

 何の根拠もなしに、この提案は受け入れられると思っている自分がいた。

 今日が誕生日だからだろうか。プレゼントは、望んだ家の子になることすらも叶えられると、中途半端な子供は考えていたのかもしれない。

 しばらく誰も口を開かなかった。沈黙は少なくとも否定ではないと、心が躍るわけでもなかった。

 あと二つほど角を曲がれば家に着くというときだった。


 「あんたはうちの子でしょ」


 母の一言で、この話題はあっけなく立ち消えた。

 当然の結果だと思った。両親ともが傍にいるのに、他人の子になどなれるはずがない。

 父は何も言わないまま、角を曲がるために速度を落とした。

 慣性に従って身体が前に引き寄せられる。

 母は限りなく窓に寄り添って、運転席に座る父との間には距離があった。

 車が角を曲がり切って、背中にシートを預けたときに、どこかで見た光景だなと思った。


 六年前、父と距離を取っていたのは、助手席に座った私だった。

 あの頃は折り畳み式携帯電話が主流で、どれもこれも無骨な銀色をしていた。アンテナを伸ばせたり、ボタンが光ったり、子供にとってはいいおもちゃだった。

 幼かった私が唯一見ることができたのが、アルバム機能。撮影することはできなかったが、父が撮った写真を見ることだけはできた。

 そこで見つけたのだ。

 赤々と色づいたモミジの木を背後に、知らない女の人と、父が唇を合わせていた写真。

 相応しいとはいえない青い色で書かれた、六年目の文字。


 今思えば、あの写真に写っていた女性は、十四歳の誕生日にお冷とおしぼりを持ってきたあの女性だった。

 うろ覚えの記憶だ。確信はない。

 母以外の女性と懇ろな仲にあったことには、子供ながらに軽蔑したのだろう。写真を見た日は父と会話をせず、車中では家に着くまで窓に張り付いていた。

 母はもしかしたら知っていたのかもしれない。

 私と同じように、父と物理的にも精神的にも距離を置きたかったのだろうか。

 父もあの女性に惹かれていた。だから、私も馬鹿げたことを言ってしまったのだろうか。

 

 十四歳になったあの日、覚えているのは、誰のものともわからない恥じの記憶だ。

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よっつの恥じ 御野三二九二 @mogmogkone2012

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