6.英雄奸計に陥れられ、全てを奪われ都を追われる事

 その日。レオパルドは訓練前に、長官室に出向く様に命令を受けていた。先日、ロックが見せてくれたあの短剣の話が、ウォルターの耳に入ったのだと言う。彼はそれを見てみたいから、それを持ってくるようにとの事だった。何故そんな事を言い出したのか良く分からないが、断る理由も特には無いのでそこに向かう。長官室に着いたが、ウォルターはそこにいなかった。控えている小姓に訊くと、奥の休憩室にいるから、そこに行くようにと言われた。何も疑問を抱かず、彼は廊下を歩いて休憩室に向かった。


 ウォルターは、休憩室の椅子の上で眠っていた。レオパルドはあの短剣を取り出した後、少し逡巡して、声を掛けようとした。その時、ウォルターがパッと目を開いた。


「お目覚めですか。閣下にお目にかけようと思いまして……」

「レオパルド。貴様、こんなところに何をしに来た!」


 ウォルターが、大声で叫んだ。レオパルドは愕然として立ち尽くす。


「者共! この男を取り押さえよ、ワシを殺そうと図りおった!」

「ば、馬鹿な! 何を仰るのです!」


 レオパルドはそう言ったが、すぐに駆け寄ってきた衛兵達に取り押さえられる。衛兵の隊長が、ウォルターに訊く。


「閣下、何があったのです」

「見て分からぬか。この男、ワシを刺そうとしおった。そんな短剣を手にして、この部屋に入ってきた。それ以外に、理由があるか」

「閣下が、この剣をご覧になりたいと!」


 レオパルドは叫んだが、状況は悪すぎた。彼が短剣を手に、この部屋に入ってきたのは事実なのだ。衛兵達は誰も、レオパルドが受けた命令の事など知らない。


「愚かな事を。ワシがそんな命令を下す訳がない。早く、この男を牢に入れよ」


 ウォルターがそう命じ、兵達はそれに従った。こうなってはどうにもならない。連れていかれるしかなかった。


 ロックは、軍務の最中に呼び出しを受けた。全く心当たりもなく、思わず小姓に聞き返す。


「ウォルター閣下が、自分に? 一体何用で」

「それは、自分には分かりかねます。来て頂けますか?」

「まぁ、よかろう」


 そう返し、見習い騎士達に自主訓練を命じてその場を去る。真面目にやる者が、どれだけいるだろうかと思った。

 

 ロックは、ウォルターのいる部屋まで通される。ウォルターは相変わらず尊大な口調で言った。


「おう、来たか。ロック・ゴールドスタイン卿、君は、レオパルド卿と親しかったな?」

「は……? ええ、親しく付き合っておりますが」

「昨日、君は彼を自宅に招いたそうだな。何か、あったのか?」


 そんな事を言われ、ロックは困惑する。質問の意図が、全く分からなかった。


「閣下もご存じでしょうが、私の父は色々と武器を試作しておりました。それで、彼に合うものがあるのではないかと思い、私が誘ったのです。武器は使われてこそ価値がある。彼程の者に使われるなら、父も喜ぶだろうと」

「ほう……そうか。君から、誘ったのだな」

「は、はい」

「そうか。それは、残念だ」

 

 そう言って、ウォルターはわざとらしく嘆息する。二人の元に、ジョンがゆっくりと歩み寄って来た。


「実は、レオパルド卿が、父上の暗殺を企てた。先程、奴を緊急逮捕した所だ」

「……は?」


 あまりにも突拍子の無い言葉に、ロックは呆然となる。


「どういう、事です。私には、どういう事か」

「キロンを覚えているな?」


 ウォルターはそう言い、

 

「き、キロン殿ですか。ええ、彼が都を逐電して一年程になりますか……」

「レオパルドは奴と親しかった。奴が都から逃げ出したのをワシのせいと逆恨みし、事もあろうにワシを殺そうとしおったのよ」


 そんな馬鹿な、とロックは思った。レオパルドがそんな事を考えているとは思えなかったし、その位でウォルター暗殺を企てる筈が無い。しかし、現実として、彼はウォルターを殺そうとしたのだという。


「お、お言葉ですが……私は、到底信じられませぬ」

「ワシは、つい先刻奴が短剣を抜いたのを見たのだぞ。そうだ、短剣と言えば、貴様と奴は二人して、短剣を見ていたそうだな?」

「短剣……確かに、昨日私が見せました。父の試作品で……」

「その短剣を、奴に渡したのか」

「ええ」

「ふーむ……つまり、お主が渡した短剣であったのだな、あれは」

 

 ウォルターはそう言って、大仰に溜息を吐いて黙り込む。ロックは呆然と、彼を見つめるしかなかった。


「お主はレオパルドの悪逆の心に気が付かず、友に短剣を渡してしまった。故に、お主の罪は格別の計らいを以て問わぬ事にする」

「閣下、貴方は」

「ロックよ。お主は見所のある男だ。この企みを知っていて手を貸したのならば、処罰は免れぬ。しかし、お主の言葉や態度を見る限り、本当に何も知らなかったようだ。ならば、不問といたそう」


 そう言って、ウォルターは声を上げて笑う。ロックは何も言えず、押し黙ったままだった。


「そうだ、レオパルドの下にいた騎士達だが、お主に振り分ける事としよう。見事、精鋭に育ててみせよ。彼らは国家守護の要じゃ」

「……はっ」


 ロックはそれだけ言って、頭を下げた。


 数日後、彼は裁判にかけられた。しかしそれは、完全に筋書きの決まった、形式だけの物だった。このままいけば、彼は死罪となっても不思議ではない。しかし、裁判を任された裁判官のアストライアーは、そう考えてはいなかった。暗殺計画を企てていた。狙った相手は王都守護軍長官。しかし、今の王国の法で死罪を申しつけるには証拠が足りなさすぎた。短剣は出てきたが、その短剣を使って暗殺しようとしていたのだと言っているのはウォルターだけだ。その現場を目撃した物はゼロ。それに、理由も弱い。仲の良かった同僚のキロンが逃亡した、その逆恨みだと彼は言っている。しかし、それも無理がある主張だった。キロンを具体的に罰するという話はなく、あくまで彼が一方的に逐電しただけだ。それに、逆恨みだとしても、キロンが出奔して一年経つのだ。何故今になって、という思いは拭えなかった。


 その彼の元に、一人の男が訪ねて来た。目の下に隈を作った、ロックだった。あの日以来、彼は心労でまともに眠れていない。


「アストライアー殿、レオパルドは、どのような罪になりますか」

「ウォルター閣下は、死罪を求めておいでだ。ただ、直接的な証拠がありませぬでな。彼がウォルター閣下を害そうとした直接の証拠が無い故」

「彼は無実です。そう確信している。あの短剣は、事件の前日に私が渡したものだ。私が、彼に持っていくかと言ったのです。彼から貸してくれと言われたのではない。もしそんな事を考えていたのなら、彼の方から貸してくれと言った筈」

 

 そう聞いて、アストライアーはあまり驚かなかった。そんな気は、薄々していたのだ。


「そうですか。しかし、ウォルター閣下は彼を死罪にと言ってきておりますのでな」

「私が彼にあの短剣を渡したばかりに、こんなことになってしまった。どうか、せめて彼の命だけでも」

「……私とて、法の番人たる矜持は持っているつもりです」


 彼は、そう言い切ってみせた。翌日、彼はウォルターに対して、この証拠では死罪までは出来ぬと奏上する。彼はなおもレオパルドの死を望んだが、アストライアーは抗弁した。


「無論、彼の罪は罪。しかし、明確な殺意の証拠がございませぬ。本人は否定し、あの短剣には毒も塗られていなかった。激しく争った形跡もない」

「ワシが、殺されかけたのだと言っているのにか?」

「恐れ入ります。今の我が国の法では、被害者の証言だけで有罪を命じる事は出来ぬのです。それは例え被害者が皇帝陛下であっても、農奴であってもです」


 法に基づけば、それが妥当だった。そして、アストライアーという男は、何よりも法を重視する、そういう人間だった。レオパルドを気の毒に思っている訳でも、ロックを哀れに思っている訳でもない。ただ、法に従う。それだけを考えている男だった。


「とはいえ、手に短剣を持ち、御休息中のあなたの部屋に入っていたのは紛れもない事実。流刑が妥当でございましょう。遠く北のケルプの流刑地まで流すのです。あの地に流してしまえば、最早貴方様を害する事などできますまい。法を捻じ曲げぬ範囲で、最も厳罰をと求められるならこれになります」


 ウォルターも、それで納得した。元々彼としても、レオパルドをどうしても殺したいわけではない。キロンと違い、直接的な恨みがある訳では無いのだ。ただ、キロンと仲が良く、自分に対して従順という感じもない。目障りな男、できれば排除しておきたい男ではあった。流罪となれば、まず自分に牙をむいてくることは無い。それでも構わないか、と思った。

 

 その日、判決が下った。騎士の地位を剥奪され、北方のケルプに流刑。それをレオパルドは、無表情で聞いていた。その日の内に、彼は都を追放される事になる。手枷と足枷を嵌められ、護送の兵士二人と共に旅立つ直前、エルフェルトが彼の下に駆け寄ってきた。彼女はただ、どうしてこんな事にと泣いていた。


「俺にも、分からん。ただ、なってしまったのだ。お前は、好きにしろ。俺の事は、忘れるんだ」

「いいえ。待ちます。何があっても、旦那様を待ち続けます」

「……お前には、幸せになって欲しいのだ。俺はもう、戻ってこれまい」

「旦那様のお傍にいられぬのに、幸せになどなれません」


 彼女は涙を流しつつ、そうはっきりと言った。これ程彼女がはっきりと自分の意思を言ったのを、初めて見たなとレオパルドは思った。

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