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『——お別れだ、常春』
声が、聞こえた。
ここは、どこ?
僕は今、何をしているんだろう。
ああそうだ。ここは、僕の部屋だ。
僕は今、ベッドの上で仰向けに横たわっている。
『爺さん』——
『爺さん』の声は、続く。
『このような決断を下すのは、俺の身勝手というもの。常春、お前を血生臭い世界に踏み入れさせたくないという、俺のエゴ』
あ、『爺さん』が僕の名前を呼んでる。
この人が僕を名前で呼んでくれたことなんて、ほとんど無かった。「小僧」ばっかりだった。
代わりに、僕に「
『だが、それでも俺は、この「エゴ」を押し通すことに決めた』
ああ、そうだ。
これは「記憶」だ。
僕が『空白の二年間』と呼んでいる記憶の、最後の1ページ。
この記憶は、確か……いや、そうだ。間違いない。
『常春——これからお前の記憶に『封印』を施す』
『封印』を施される直前の記憶だ。
『これを施したのを境に、お前は綺麗さっぱり忘れてしまうだろう。俺と出会い、『天鼓拳』を学び、そして今こうして話しているこの時の記憶まで、全てな』
それを告げる『爺さん』の顔は、不思議とどこか
今の僕なら、「ああ、そんな顔初めて見た。面白い」という感想を抱けるだろう。
けれど、普段浮かべないような表情を浮かべたことが、逆に『爺さん』の冗談じみた言葉の真実味を強めた。
方法は分からない。
でも、『爺さん』は持っているのだ。僕の記憶を奪う手段を。
なんで、どうしてそんなことするの? 僕があんまりデキが悪いから、嫌いになっちゃったの?
記憶の中の僕が、そのように訊いた。
『そんなことはない。お前は確かに物覚えの悪い弟子だったが、同時に努力家だった。よくやっていたさ。実際、その歳で『
なら、どうして……
『お前を守るためだ。ああ……違うな。守りたいからだ』
守る? 何から?
『——最近、武林にキナ臭い動きがあるようだ。東京でひっそりと伝承を続けてきた零細門派が次々と襲われ、弟子どもが皆殺しにされた挙句、門派の武功まで奪われているという。近い将来、奴らはお前の元へも来るかもしれない』
僕はもう十分強いよ? 何が来たって大丈夫だよ。
しかし『爺さん』はふるふるとかぶりを振る。
『違うのだ。奴らが振りかざしてくるのは武功だけではない。奴らは、何やら怪しげな手段を使って急速に手駒を増やしている。あのようなイカれた集団に好きこのんでついて行く奴などそう居まい。であれば、どうやって手駒を増やしている? ——おそらく、心に訴えかける術を使っているのだろう。何らかの催眠術か、あるいは人心を引き込むプロがいるのか、それは分からぬが』
そこで、『爺さん』は激しく咳き込みだした。
最近、こんなふうに咳き込むことが多い。
見ると、押さえた口からは、血の筋が垂れていた。
『……俺はもう長くはない。お前のことを、ずっとは守ってやれない。心身ともに、な』
今更告げられた事実に、僕は唖然としていた。
『お前は、確かに強くなった。だが、それは武功の腕だけだ。——今のお前は、力と精神のバランスが釣り合っていない。幼いまま、強くなってしまった。たとえどれほど武力が強くとも、その手綱を握るのは己の心。その心が未熟なれば、奴らの口八丁や手管によって簡単に丸め込まれてしまうだろう』
だから……記憶を『封印』するの?
『そうだ。……俺は、かつて多くの者の恨みを買い過ぎた。そんな俺の弟子であるお前を引き取ってくれる門派があるかは期待できない。だから……お前という『雷帝の弟子』は、存在しなかった事にする』
いやだ。
いやだよ。
僕、『爺さん』のこと——
記憶の中の僕が、涙ぐんだ声でそう訴える。
『……馬鹿者。俺のことを「師父」などと呼ぶなと、前に言っただろうが』
そう悪態をつく『爺さん』の顔は、今までで一二を争うくらい柔らかいものだった。
『俺は誰かの師を名乗る資格の無い人間だ。そう名乗るには……俺の手は無意味な血にまみれ過ぎている』
『爺さん』は自嘲気味に一笑する。
『——お前は、俺のようになるな。俺のように破壊してばかりの人生ではなく、愛する者達を作り、笑い合い、守るために、その力を使え。その思いが『封印』を解く鍵となる』
鍵……?
『そうだ。お前が憎しみや愉悦ではなく、生きるため、何かや誰かのために力を強く欲するたび、『封印』が一つ解け、技を一つ使えるようになる。その技とともに、お前は俺との思い出も思い出すだろう。そして、お前はもう一度知るだろう。己が何者なのか、何を成すためにその力を授かったのか』
『爺さん』は僕の頭にそっと触れ、子供に本を読み聞かせるような口調で告げた。
『お前は俺の唯一の弟子。俺が『天鼓拳』をお前に託したのは、不治の病から『日常』を取り戻し、それをずっと守り続け、幸せを戦い取る力を与えるためだ』
『日常』。
それは、『封印』を解くまでもなく、僕の心の中に残っていた言葉だ。
当たり前で、しかしとても得難い、かけがえのないもの。
僕が日常系アニメを好んだのも、『日常』という『爺さん』の言葉が、封じられずに心に残っていたからかもしれない。
『……さて、そろそろ始めるとしようかの。これ以上話していると、俺の決心が鈍りそうだ』
『爺さん』の手が、おもむろに近づいてくる。
その手は、老人の手とは思えないほどに滑らかで、柔らかさを感じさせた。
『さらばだ——俺の、可愛い馬鹿弟子よ』
そこで、僕の記憶は途切れた。
………………あれ? さっきまで僕は、何を思い出していたんだっけ?
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次で完結となります。
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