《20-3》
その現象を疑問に思うよりも早く、後方で途轍もない爆音がとどろいた。
まるで、拳銃の発射音を何倍にも増幅させたような、耳を強く刺激する轟音——そう。それは、雷鳴に酷似していた。
「あ……あ…………」
うめき声のようなものが、聞こえた。
そこにいるのは、煙を上げた随静だった。
熱湯をかけられた後みたいに、全身から白煙をもうもうと上げ、白い肌はうっすら赤みが勝っていた。
「姉さんっ!!」
常春が切羽詰まった声で呼びかける。本当は駆け寄って確かめたいが、グッと堪えた。
先ほどまで普通に動けていたはずの彼女が、たった一撃で片膝を付かされる攻撃……
常春は葛升を睨んだ。
背筋群が皮膜みたいに広がった逆三角形の上半身に、馬のように強靭な下半身。そんな化け物同然の体の上にちょこんと乗っている頭部は、肌が真っ白で瞳が爬虫類じみた黄色であることを除けば、変態前と変わらない。そこだけ人間臭いというアンバランスさが余計に不気味だった。どうせなら全部怪物になってくれればよかったのに。
素肌は病的に白い。吸い込まれそうな白。インクをかけたような、生命感の乏しい純白。
その純白の肌の表面で——白い火花がパチ、パチパチ、と弾けた。
そこで常春が思い出したのは、いつだったか、実家にある自室の切れた電球を取り替えた時のことだった。取り替える時、常春はスイッチをオフにするのを忘れてしまい、切れた電球を捻り取った瞬間に「バチィ!」とソケット部分がスパークしてしまった。あの時は本当にびっくりした。
そう、葛升の皮膚表面でしきりに弾けている、あの火花は——
「——電気」
常春のそんな静かな呟きに満足したように、葛升が言った。相変わらず鉄が擦れるような声で。
「ゴ名答ぉ! そォ、こレが俺様ノ能力! 『
その豪語に、残念ながら誇張は含まれていなかった。
常春は絶望的な気分になる。
この男は今、まさに最速の武器を持っている。電気という「最速」を。
従来の人間の反射速度では、電気の接近を感知し、回避へと間に合わせるなんてことは不可能だ。感知の段階で当たってしまう。
回避能力を持たない自分達は、格好の的だ。葛升はスマホをいじりながらでも容易に勝てる。
「どう、すれば……」
常春は掠れた声で、助けを求めるようにつぶやく。
しかし、すぐに常春の脳裏で「可能性」の心当たりを見つける。
——『
『爺さん』をして、「雷すら避けられる」と言わしめた歩法。
「一歩踏み出す」という身体活動の中に含まれる「無駄な動作」を、『気』の運用による精密な身体操作で徹底的に省き、「最速の一歩」を実現する歩法。
「閃爍」……つまり光がちらちらと点滅するがごとく、姿を次の位置へと瞬間的に移動させる。間近から銃を放たれても、マズルフラッシュの瞬間を少しでも見ていれば、「最速の一歩」をもって回避を間に合わせることができる。
その歩法をもってすれば、勝機はまだ失われない。
絶望感で脱力しかけていた常春の二脚に、再び力が戻る。
「……ヘェ? まだ「アる」ッテ顔だナぁ? ソれトもハッタリかァ? まあイイやァ——こウすりャ分カるコトだシよォ!」
葛升の言葉が終わった次の瞬間、その白い巨体が眩くフラッシュした。
——今だ!
常春は動いた。
意志が生んだ一つの『気』が、全身をその含有した指令通りに体の各器官を稼働させる。それらが体内で噛み合い、全身が導き出したのは、光の点滅のごとき「最速の一歩」。
『閃爍』。
常春は右へ瞬時に一歩ズレた。
それから一瞬という表現すら長く感じられる極めて短い間を置いて、常春の直前までの位置を、一筋の稲妻が貫いた。
後方から耳をつんざくような雷鳴が耳朶を打つ。
それを聞いて、常春は自分の中で確かな成功体験として今の回避を実感した。
いける。
『閃爍』なら、奴の電撃を避けられる。
戦える。
心強さを覚え、常春は己の拳をぎゅっと握りしめた。
葛升もまた今の回避に驚いたようだ。爬虫類じみた不気味な金眼を見開き、鉄が擦れたようなその声を感嘆で張り上げさせた。
「なンだイ、なんダいソりゃァよォ? 良イ技持っテるじャねぇノォ! はハっ、コりャァ面白ェ! 忘れテタぜェ。テメェ自体は三流以下のクソ雑魚ダがぁ、テメェの師ハ
白い怪物は、その巨体に構えを取らせる。拳法の構えだ。
「テメェは電撃だけジャぁ無理みテぇだァ。だカらぁ、こノ『
地を蹴った——と思った瞬間には、その白い巨体が、常春の視界をすべて白く染めていた。
なんという馬鹿げた瞬発力。しかし、ちゃんと「知覚」は出来ている。
『閃爍』。瞬時にその立ち位置から離脱し、瞬発力と体重にモノを言わせたパンチから逃れた。
常春の前髪が大きく跳ねる。大型台風の瞬間最大風速のごときその拳圧に、今のパンチの重々しさを垣間見た。
さらに葛升の全身がフラッシュ。
それを見た瞬間、常春は何も考えず『閃爍』を使うことだけに全意識をつぎ込んだ。
瞬間移動。そして電光、轟音。
「うっ……」
またしても電撃の回避には成功したが、間近で激しい光の明滅を見てしまったがために、常春の目が眩んだ。目の裏が緊張し、視界がまばゆくホワイトアウトする。
視界一面を覆った白光の帳の奥から、ものすごい風圧をまとった何かが高速で迫ってくる。
『閃爍』は使わなかった。今の攻撃が、葛升の打撃攻撃であることが分かったからだ。パンチかキックかは分からないが、空気の流れから、直線的な打撃攻撃であることを常春は目を使わずに察知したのだ。——それは、常春の『
常春は身をひねった。胴体を狙った葛升の「蹴り」をスレスレで回避しつつ、その白く分厚い胸板へ歩と身を進め、発声。
「『
その名に内包された『気』が全身を精緻に稼働させ、ぐんっ! と重心ごと体が爆進。強大な
「ヌぉおッ——!?」
『雷鳴』と、葛升のうめきともに、拳が硬質的な肉を打ち抜く感覚を覚える。
しかしすぐに「違和感」を覚えた。
——これはクリーンヒットの感触じゃない。「打ち抜いた」んじゃなくて、「手応えに乏しい」んだ。まるでトップスピードで前進するスクーターの尻を手で押したような、勢いを吸い取られるような感覚。
受け流された。直撃寸前に大きく後ろへ跳ねて、『頂陽針』の威力を大幅に減らされた。
葛升は後方へゆるい放物線を描きながら飛び、やがて着地。打たれた腹を押さえてはいるものの、それほど苦痛を感じてはいない様子。やはり受け流されたのだ。
「おォ、危ネぇ危ネェ。腹に穴は……開イてネぇみテェだなァ。流石ハ『
不気味な笑声をこぼす白い怪物に、常春は我知らず身構えていた。
次の瞬間、葛升の全身がまたも白くスパーク。
光速で迫ってきた電撃の矢を、常春は『閃爍』の誇る「最速の一歩」で瞬時に避けた。
さあ次はどう来る——そう気構えた時には、すでに視界が白一色に染まっていた。
「らァっ!!!」
粗暴な気合とともに、葛升の右拳が外から内へ弧を描いて急迫。
常春は『閃爍』で一歩後ろへ瞬時に移動。空振りした右拳が目標物を失い、病院の壁に直撃。壁の当たった箇所は爆発したように粉砕された。粉塵が舞う。
しかし葛升はなおも止まらない。体を発光させた。
電速で伸びた稲妻の針を、常春は「最速の一歩」で回避。『閃爍』だ。
さら再び白い巨体が一度、二度、三度、四度と激しく明滅。
常春も懸命に稲妻の「前兆」を視認し一度、二度、三度、四度と迅速に回避。四発の雷鳴が重複する。
できた。かなり怖かったけど、全て避けられた。
集中していれば、必ず避けられる。『爺さん』から授かったこの『閃爍』でなら。
しかし、その見事な連続回避を見ていた葛升の怪物じみた瞳には——品定めするような光があった。
その光に常春が胸騒ぎを覚えた瞬間だった。
葛升がまたも急速に距離を詰め、外から弧を描く軌道の右ローキックを仕掛けてきた。
こんなもの避けてやる、稲妻より簡単だ。
常春はそう思って一歩後ろへ『閃爍』で退がろうとしたが、足が止まった。
——避けられない。
『白猴』に変態した今の葛升の脚は、全部伸ばしきると変態前より長い。
その長い脚のリーチは、常春の『閃爍』の「一歩」で逃げられる範囲をスッポリ埋めてしまっていた。
さらに、常春から見て右側には壁。葛升の右ローキックは、円弧を描いてその壁に誘導するような感じで蹴り放たれていた。
明らかに、『閃爍』の一度の移動距離を計算した上で、避けられぬように放ったひと蹴り。
すぱぁん、と足を重心ごと払われた。
でも、足を払ったから何だというんだ。こんな攻撃を行うくらいだったら稲妻を——
(————駄目だ)
それも避けられない。
だって、今の自分は……地に足が付いていないのだから。
『閃爍』は歩法。つまり「歩く方法」なのだ。
足が地から浮いた状態。つまり「歩けない」状態。
歩けなければ、歩法は使えない。
歩法どころか、移動すら出来ない。
格好の的。
フラッシュ。
「か————!?」
強烈な熱感に全身を貫かれ、一瞬、意識が飛んだ。
炎を浴びせかけられるような感じではない。神経や血管に沿って体の内側をズタズタに引き裂くような高熱。今まで経験したことのない不快極まる感覚に、体が一瞬意識の手綱を放棄した。
電撃を浴びせられてもうもうと煙を上げた常春は、リノリウムの床に仰向けに落下した。
落下の衝撃が引き金となり、焼けたような激痛がじんわり全身に染み渡った。
「う……くそっ……」
寝てはいられない。立ちあがろうと全身に鞭を打つが、体の中を通電したことによって全身が怯んでおり、うまく体が動かない。立てない。
そんな常春の元へ、葛升の強靭な白い脚が、余裕ある足取りで歩み寄った。
「心配スんなァ、殺サねぇッテ言っタろォ? お前ノ武功に用ガあルンでナぁ。今の電撃モ手加減しテやっタんだゼぇ。ま、ソれデモちょッとノ間はウまく動ケねぇケどよぉ。ソの間に意識を奪わセてもらうゼぇ?」
ニタリと怪物的な笑みを見せると、葛升はその巨体をしゃがませ、常春の顔へおもむろに手を近づけてきた。
駄目だ、どうにか抵抗しないと。常春が唯一満足に動く心だけで必死で対抗策を考えていると、
「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
体の底の底から残らず憎しみを絞り出したかのような叫びが、今までの稲妻の炸裂音以上の音量で病院の廊下にビリビリ響いた。
声の主は、葛升へ一直線に迫っていた随静だった。
瞳を猛烈な殺意で爛々とギラつかせ、
「うるセぇ」
葛升はつまらなそうに呟き、全身をフラッシュさせた。
稲妻が光の速さで随静の体をとらえた。
「ああああああああああああああああああああああ!!」
電撃の激痛を浴びせられ、随静は聴くに忍びない絶叫をあげる。
光が止み、随静は膝をつく。
そこから、なおも歯を食いしばって動こうとする。
そんな随静に、葛升は無表情のままもう一発電撃をくれた。
「が…………ああああああああっ!!」
またも強烈な苦痛を声に出して訴え、うずくまった随静。メスを取り落とす。
いくら随静でも、電気の流れを先読みすることなど不可能であった。参戦したところで、稲妻を食らうことしかできない。
それでもなお、震えながら立とうとするのをやめない。
彼女の眼には、もはやいつもの
「お前……だけは…………お前、だけは……」
軋んだ呪詛を繰り返し呟き、あがこうとする随静。
葛升はそれを、どこまでも冷めた目で見下ろした。
「……もうイイわァ。オ前。とっトと死ネやァ」
床を這う随静へ向けて、ゆっくり歩んでいく。
彼女のすぐそばまで達し、その頭部の真上に、白い強靭な片脚を持ち上げた。
今まさに頭部を踏み潰されんとした、次の瞬間。
「——随静っ!」
一つの人影が横から飛び出し、随静の小柄な体をかっさらった。
その人影は……
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