第十六話(2/2):役者集結


 楠木マリアにとって今日が人生最悪の日である。

 それは恐らく間違いのことだ。

 政治という世界に自らの意志で入った以上、多少の理不尽は覚悟の上だったつもりだ。


 何故か総理大臣にあれよあれよという間に祀り上げられ、殺し屋に命を狙われる羽目になったのは流石に予想外に過ぎたが……。


 自分だけが害を被るだけなら耐えられた。

 未熟で分不相応にも程がある役職、それは重々承知の上だ。

 それでも就いた以上は立場に応じた責任と義務というものがある。


 立場によって狙われることもあると不条理だとは思っても納得は出来たのだ。

 だけれども、


「っ、だ……大丈夫っ!? ああっ、酷い怪我を……」


「大丈夫です。これが……一番……っ……うっ」


「ああっ、でも……顔にも傷が……女の子の顔に……」


 これはあんまりだとマリアは嘆いた。


 不意に起こった爆発。

 コンクリートの地面を転がるようにして吹き飛ばされ、マリアは全身に鈍い痛みを感じながらも体を起こすと様変わりした辺りの光景があった。

 薄暗かった空間は炎上する炎の揺らめきによって照らされ、爆発の衝撃で至る所にガラスの破片や車の一部が散乱していた。

 見れば先程までマリアたちが居た場所と炎上する車の位置はそれほど離れて居なかったことに気付いた。

 爆発の衝撃で飛ばされたことを考えればその威力にも想像は付くというもの。


 良くも死ななかったものだ。

 状況を把握するよりも先に、そんな感想が頭を過り、


 はたとマリアは気付いた。


 一緒に逃げていた少女は何処だ?

 未だに名前すら聞いていない、直ぐ側に居た彼女は何処だ?


 痛む身体を無視して辺りを見渡せばすぐに彼女は見つかった。

 足が痛み、力が入らないために這うようにして地面に倒れ伏した少女に近づいた。


「無事……ですよね?」


「う、うん。貴方が助けてくれから……で、でも」


「……よかった。私は……誰かを……っ、う!」


 少女の様子は痛々しいものだった。

 強かに身体を打ったせいだろう肩の傷は開き、赤々とした血が溢れるように滲み出ていた。

 かけていたグラス型のデバイスは罅割れ、乱れて剥き出しになった太ももには地面を転がった際についたのだろう青紫色の内出血の痕の数々。


 そして、何よりもマリアの眼を引いたのは顔の傷だ。

 十代の少女にとって命ともいえる顔に飛んできた破片か何かで切ったのか、深い切り傷が出来ていたのが見て取れた。


「――……よ、よくもこんなっ!」 


 マリアの中でカッとした怒りが瞬間的に湧き上がった。

 普段から穏便で柔和な性格をしている彼女には珍しい激しい感情であった。

 激情のままにマリアはある方向に目を向けた。

 それは彼女の日常的な様子を知る者ほど驚くような痛烈なまでの敵意の視線。


「一体何の目的だというのですか! こんなに関係ない人を巻き込んで……っ! 狙うならば私一人を狙えばいいでしょう!」


 その視線の先に居るのは一人の男。

 マリアたちが逃げ込もうとした出入り口とは反対側の出入り口。

 その手前に佇む、恰幅のいい男だ。


 別に何か根拠があったわけではない。

 少女に何らかの形で助けられたことは理解しても、マリア自身の理解の及ぶところでは突然押し倒されるようにタックルを決められたら、何かが通り過ぎて車が爆発した……ぐらいのことしかわかっていない。


 それでも辺りを見渡した際に飛び込んできたこの男が下手人であると判断したのは、単にこんな異常な状況下において落ち着きを払って佇んでいる様子が明らかに無関係とは思えなかったこと。

 そして何よりも政界に身を置く政治家の端くれとして、顔を一目見るなり男が浅薄な虚飾で覆っただけの下種の部類であると見抜けてしまったからだ。


「悪運の強い……まあ、いいでしょう。これで終わりです。構いませんね?」


 男はマリアの言葉を否定するでもなく、肯定するわけでもなく。

 ただ、聞こえなかったかのように振る舞いながらふと別の方向に顔を向けて話しかけた。

 出入り口からの光によって影になった部分、そこに居るであろう先程まで追いかけていた追跡者に向けての言葉だろう。


 逆光になって人影が朧気に見えるだけだ。


「尻拭いをしてあげるのですから感謝して欲しいぐらいですよ。ええ、全く手間のかかる仕事だった。最初から私が出ていればよかった。所詮、ただの人間など……俺が居ればいいだろうに」


 突発的な停電のせいだろうか、遅れて作動した消火システムによって土砂降りの雨を思わせるようなスプリンクラーの水が一帯にばら撒かれた。

 冷たい水が炎上する車をあっという間に消火し、そしてマリアたちの全身を濡らした。


「……ああ、そうそう? 確かあなたを狙った目的……でしたか?」


 明後日の方向を向いていた男がこちらに顔向けた。

 まるで今気づいたのような仕草は、その所作の一つ一つから相手を愚弄してやろうという意思がにじみ出ていた。


「冥途の土産……ってやつで教えてあげたいのも山々なんですけどねぇ? 私としても……ただ、まあ、運が悪かったということで」


「――ああ、要するに知らされてないのね? 下っ端に聞いた私が間違いでした」


「……あまり、図に乗るなよ。たかだが、二十歳そこそこのガキの女風情が」


 地下駐車場の地面に出来たスプリンクラーの水によって出来た水溜まり。

 それがうねるようにして動き、明らかに自然現象に反して蠢くように這い動き始める。

 粘性を持ったかのように地面を伝わり、そしてマリアの肢体を這いあがるように登り始める。


 異様というしかない現象。

 マリアの知る常識とはかけ離れた超常。


「――泣いて許しを乞うなら気が変わるかもしれませんよ?」


 それを起こしているであろう男の顔、そこにはこれ以上ないというほどに嗜虐の色に塗れている。

 恐怖を味合わせるために敢えてであろう、緩慢に這い上って来る液体に恐怖と嫌悪を感じ、



「……年がどうこう、女がどうこう、最後にはすぐに力で相手を屈服させようとする」



 その全てを噛み砕いて、歴代最年少女性総理大臣は嗤ってみせる。



「貴方、異性にモテたことないですね? ……ああ、失礼。同性の友人もいそうになさそうですね、その有様じゃ」



 一瞬、呆気にとられ、そして次の瞬間に憤激しそうになりそうな男の様子を見ながら、


「ごめんね?」


 マリアは男のことを意識から排除し、ただ巻き込んでしまった少女に謝罪の言葉を告げた。

 それに答えるように少女は笑った。



「……大丈夫です」


「え?」


「だって紅い星は見えないから……」


 閉じていた蒼く輝く瞳を晒し、彼女はただ天井を見上げる。





「そんなに死にたいのならさっさと――」


「……ヒーローが来てくれたんですよ」




 男の怒号が響き渡るより先に地下駐車場の天井は爆散した。


 そして、轟音が鳴り響かせて二つの何かがコンクリートの地面にクレーターを作りながら着地した。


 舞い上がる土煙の中から男女の声が響く。



「マリアさん、無事!?」


「ゆ――げふんげふん。あー、とにかく無事か!?」



 片方の声は聞き覚えは無いが、もう片方の声ならば聞き覚えのあるマリアは咄嗟に声を上げた。



「その声……! もしかして飛鳥ちゃん!?」


「マリアさん!? よかった無事だっ――」



 喜色満面という顔でマリアの方へと振り向いた星弓飛鳥の顔が凍った。



「あっ……えっと……」


「…………」



 一応、報告だけは聞いてはいたとはいえ、実際に倒れ伏した巫城悠那の姿を見て緋色尊の顔から表情が抜け落ちた。












「「潰す」」



 下手人であろう男に向き直り、最初に放った言葉は見事なまでにシンクロしていた。


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