誰も知らない彼女

桜庭 暁

1、少年の恋文

前編

 拝啓、桐野様。


 最近は暑さも徐々に薄れ、金木犀の香る季節になりました。朝晩が涼しくなり、すっかり秋めいてきましたね。冬に近づいてくると、なんとなくもの哀しい感じがします。やはり、卒業という別れが迫ってきているからでしょうか。卒業まであと半年。まだそのことを考えるのには早いかもしれませんが、僕はその日が迫るのを感じながら、この手紙を書いています。ずいぶんと長い文章になってしまいましたが、どうか、最後まで読んでいただけると幸いです。


 さて、僕と貴女はこの半年間、クラスメイトとして接してきました。貴女とは今年、初めて同じクラスになりましたね。四月。クラス分けの結果を見た瞬間、そのことに僕は天にも舞い上がりそうな気持ちになりました。だって、いつも遠くから眺めるだけだった貴女とようやく机を並べられるようになったのですから! ただのクラスメイトという決して近しいとはいえない、それだけの関係。しかし、他人でしかなかった関係がようやく変わったということがどうしようもなく僕を歓喜させたのです。


 僕が貴女のことを初めて知ったのは高校二年の春でした。なんでも、一年病気で休学していた一つ年上の先輩が僕たちと同学年になるという噂を聞きました。中学までは義務教育で、違う年齢の人と同じ学年になることなど考えられなかった僕は、その人物が気になりました。つまり、初めて貴女に関心を持ったきっかけは、つまらないミーハーな心だったのです。


 とはいえ、初めて貴女を知ったのはその時でしたが、実を言うと、心惹かれたのは同時ではありませんでした。今だから言えることではありますが、なにせ、その時の貴女はあまり垢抜けない感じがしていました。黒縁メガネとおさげ髪というかつての優等生のお手本のような真面目なその姿は好ましくは思っても、その時はまだ恋情を燃え上がらせるには至らなかったのです。


 でも、一つ年上の貴女は、やはり僕たちよりもどこか大人びていた。貴女は特に目立った行動をしていたわけではないはずなのに、その場にいるだけで周囲の雰囲気を変えていた。時折見せるさみしそうな表情から察するに、貴女は決して、そんな変化を望んでなどいなかったのでしょう。しかし、正直貴女の存在は異質だった。皆、貴女との距離のとり方がわからなくて、貴女を孤独にしていた。僕の目もどうしてか、貴女に吸い寄せられた。……ああ、さっきは貴女を見たその時に恋したわけではないと言いましたが、もしかしたら知らないうちにやはり、貴女を想い始めていたのかもしれませんね。なんにせよ、その時はただ貴女のことを「他とは少し違う存在」としか認識していませんでした。


 それでも、貴女を想う心が確信に変わった瞬間はあります。いまでも目を閉じればそこに浮かぶほど、鮮烈に覚えています。


 あれは、確か二年の夏休みだったでしょうか。疲れ果てた部活終わりの帰り道、僕は貴女を偶然見かけました。夏の眩しいまでの日が降り注ぐ、公園で。貴女は妹さんか、弟さんか、はたまた親戚の子なのでしょうか。小さい赤子を抱いていました。その時の貴女は、眼鏡もお下げ髪もしていなくて、一瞬、誰だかわかりませんでした。けれども、赤子に向けるどこまでも慈愛に溢れた笑顔を見た瞬間、綺麗だと、素直に思いました。そして、直後に見せたいつもの少し寂しげな表情に、貴女だと気づきました。僕の心はギュッと締め付けられるほど苦しくなりました。夏の暑さとは関係なく、顔が熱くなって、それ以来、貴女のことしか考えられなくなりました。一目惚れでした。


 でも、それからの一年間。僕が貴女に話しかけられる機会は中々訪れませんでした。僕はどうしようもない意気地なしで、きっかけがなければ貴女に声をかけることすら、恥ずかしかったのです。


 そして、始まった高校三年目の生活。そこに舞い降りた奇跡と言ったら! 僕は今まで無神論者でしたが、本当にありあらゆる神様に感謝の言葉を並び立てました。この半年間の日々は僕にとって、貴女の近くにいるというそれだけで、輝いているように見えました。貴女のさり気ない仕草にさえ、僕は魅了されていました。


 貴女は常に凛としている、周りに群れない一匹狼。誰も手折ることのできない高嶺の花。貴女の魅力にふとした瞬間に気づいた人々は貴女をそう形容しました。僕は他人が貴女に惹かれていくことに戦々恐々としていました。しかし、貴女は孤高であり続けました。誰のモノにもなることもありませんでした。僕はそのことに安堵しながらも、己の育児の無さをさらに育てました。


 でも、いつまでもこうしているわけにはいきません。時間は刻々と過ぎていきます。


 僕はこの半年で気がつきました。確かに貴女は人と簡単に馴れ合うタイプではない。でも、人が嫌いなわけじゃないのは確かだと。おそらく、貴女は単に人よりも自分を守り過ぎてしまうだけだ。貴女の人との接し方を見ていると、いつも思うのです。貴女は決して、人を傷つけることを言わない。いつも笑顔で、人を不快にさせることがない。貴女はそれを自分は融通がきかなくて、冗談も通じないと倦厭されているんじゃないかと恐れているようだけど、それは違います。他人を傷つけるのを恐れる心は誰にだってある。貴女は他人よりも少しばかり臆病で、優しいだけだと思うのです。


 ごめんなさい。貴女のことを知ったような口を聞きました。貴女の心を語っていいのは貴女だけなのに、僕の勝手がすぎたようです。でも、貴女は自分を否定するあまり、僕の好意すら疑うのではないかと、少し心配になってしまったのです。この半年間、偶々二回連続で席が隣になって。僕なりに婉曲ではありますが、想いを伝えてきたつもりでした。でも、貴女は中々それに気づいてくれない。時々溢れる貴女の自己否定の言葉に、僕の好意も否定されてしまったようで、正直悔しかったのです。


 だから、今回はこんなにも長々とした手紙を貴女に送りつけています。手紙なんて、女々しいと笑われてしまうかもしれないけれど、この方がちゃんと想いが伝わ得られるような気がして、この手段を選びました。そんな理由、重いでしょうか。重い、迷惑だと思うのなら、今すぐゴミ箱に捨ててもらっても構いません。ここからは、書いている自分でも恥ずかしくなるような直球な言葉が並ぶので、破り捨てるのなら今のうちです。


 じゃあ、言います。


 僕は貴女のことが好きです。他人に優しいところ、常に笑顔なところ。勉強に真面目で、成績上位を守り続けている、頑張り屋さんなところ。かと思えば、時折授業中に居眠りなんかしてしまう、少し天然なところ。


 全部、全部好きです。貴女のことしか考えられなくて、受験生なのにちっとも勉強がはかどらないくらいに。


 最近、貴女といられるのもあと半年だと思うと、胸が張り裂けそうになります。もう、会えないのかもしれないと思うと、この手紙を書かずにはいられませんでした。このまま何も告げずに終わってしまうことは、どうしても耐えられませんでした。いくら臆病者でも、それだけは僕のプライドが許さなかったのです。


 付き合ってください。その答えが是なら、僕は明日死んでも後悔しないくらいに嬉しいです。でも、他人を傷つけまいと生きてきた貴女が無理して頷くのは、僕の本意ではありません。だから、嫌だったら、はっきりと断ってくれた方が嬉しいです。僕は何よりも、僕が恋した貴女の笑顔が見たいだけだから。もし断っても、何も変わりやしません。ただのクラスメートになるだけです。半年もしたら卒業、お別れになります。


 最後に。たとえ、貴女の答えが是でも否でも、困ったことがあったらいつでも相談して欲しいです。最近、強面の男と君が喧嘩していたのを見かけました。まさか、付き合っている相手だとは思いたくはないけど、貴女が悲しそうな顔をしていたのは覚えています。なにかトラブルになっているのなら、いつでも頼ってくれて構いません。僕のような臆病者でも、何かしらできることはあるかもしれませんからね。


 ここまで根気強く、読んでくれてありがとうございました。これから寒くなりますが、頑張りすぎて、体調など崩されないよう、気をつけてお過ごしください。


敬具

…………

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