幼馴染を幸せにするために、悪役令嬢になって婚約破棄を目指します

二枚貝

悪役令嬢編

1. 再会

 数え切れないほど灯された蠟燭の明かりが、異国製のクリスタルシャンデリアを輝かせ、夜だというのにまばゆいほどの明るさだった。


 王家主催の舞踏会だけあって、招待客たちは目一杯に華やかな装いをしている。身につけた金も銀も宝石もきらきらと光を反射させて増幅させる。ことに未婚の令嬢たちは、誰も彼も、宝石箱からありったけの装飾品を出してきたかのように、全身をいやというほど飾り立てた格好をしていた。


 そんな中にあって、場違いなほどに質素ないでたちの少女がいる。

 他の令嬢たちのように耳飾りや首飾り、腕輪のたぐいは一切つけておらず、唯一、真珠をあしらった銀色の小冠ティアラをつけているだけ。空色のドレスは流行の型ではあるが、装飾は控えめで、はっきり言ってこの場では地味以外のなにものでもない。

 けれど、彼女はたいそう美しい少女だった。淡い金の髪はゆるく波打ち、ドレスと同じ淡い水色の大きな瞳。可憐と言っていい顔立ちだが、ふしぎと大人びた眼差しをしていて、それがひどく独特な雰囲気を醸し出している。

 彼女は他の令嬢たちとは違い、誰とも交流することなく、壁際に身を寄せてただ立っていた。もう一時間以上も、ずっとそうしている。


 彼女にとっては、今夜の舞踏会は義理を果たすために顔を出したに過ぎなかった。断れない相手からの招待だったから、気は進まないけれど形式的に出席した。それだけだ。誰かと踊るつもりもなく、そもそも”この自分”にダンスを申し込む貴族の子息がいるとも思えない。

 それでいい、と彼女は思っていた。普通の貴族なら、舞踏会で殿方の目に留まらないことは大問題だと騒ぐだろうけれど、自分にはその必要はない。むしろ、なるべく目立ちたくない。彼女は自分が貴族社会において異端的な立ち位置であることを、うんざりするほど自覚していた。今夜、ここで人目を引いても何の得にもならない。だから、舞踏会には出席したものの、二時間くらいでさっさと帰ってしまおうと計画していた。――その計画に、邪魔さえ入らなければ。


「ごきげんよう、エセル?」


 予期せぬ呼びかけに、少女――エセルはハッと顔を上げた。驚きの表情は、みるみる嫌そうな顔へと変わる。

 彼女の前に立っていたのは、これまた尋常でない雰囲気の持ち主だった。鋳溶かされた黄金そのもののような豪奢な髪に極上のサファイアのごとき双眸、華やかでいて上品、まさしく高貴な美貌。宮廷でも有数の有名人であるこの人物のことを、当然、エセルも知っていた。


「こんばんは、レディローズ。きみと顔を合わせるのはかれこれ半年ぶりだね」

「ええそうね。エセル、あなたったら、わたくしの誕生日パーティーにいらしてくださらなかったのですもの」

「ああ、それは悪かったと思っているよ。ただ、ほら……ね? きみも知っている通りさ、わたしはあんまり人前に出たく無いんだ」


 エセルは華奢な肩をわざとらしくすくめてみせた。

 それに対し、レディローズは気配だけで笑ってみせる。


「その年季の入ったひきこもりさんに、こんなとこでお目にかかれるだなんて、どんな風の吹き回しかしら?」

「わかっているくせに。今夜の舞踏会ばかりは欠席するわけにいかなかっただけだよ」

「ええ、そうでしょうとも。ですからわたくし、あなたに会えると思って、楽しみにしていましたのよ」

「わたしにとっては拷問のような時間だよ。本当なら、誰にも会わずに帰るつもりだったのに」


 言い終えて、エセルはさりげなく周囲を見渡した。

 先ほどまでとは違い、何人もの貴族たちが遠巻きに、しかし確かにエセルのことを見ている。ひそひそと何かを話している者もいる。

 それもこれも、このレディローズに話しかけられたせいだ。なにしろ彼女の実家は国内有数の大貴族であり大富豪、そうでなくとも未婚で美貌の令嬢で、となれば人々から注目されない方がおかしい。


「ああもう、きみといるから、わたしまで目立ってしまって仕方ない」

「あら、まあ。エセル、あなたほどの人が、この規模の集まりの中で目立たずにいることなんて、不可能に決まっていてよ」

「そんなことない。現に、きみに話しかけられるまでは、誰にも注目されずにいられたんだ」


 レディローズは象牙の扇を広げて口元を隠しながら笑った。


「あなたが出席していることを知って声を掛けずにいるなんて不義理はできないわ。――それに、わたくし、これでもあなたのことを心配していてよ、エセル」

「心配? どうして」

「あなたが悪役令嬢になって半年が経ったわ。けれどあなたの立場は、あなたの望みに反して、何も変わっていないように見える。わたくしの目の錯覚かしらね」

「………………」


 エセルは黙り込む。

 会話から集中が途切れた瞬間、周囲のざわめきと演奏団が奏でる舞踊曲がどっと耳に押し寄せてくる。


「わたし、は……」


 続ける言葉もなく、再び黙り込んだエセルに、レディローズは一瞬だけ笑みを消した。


「せめて俯くことはおやめなさい、グランヴィル大公女エルセリア殿下。悪役令嬢たるもの、何時いかなる時も――」

「――常に誇り高くあれ、でしょう。わかっている、わかっているよ」

「ならば結構」


 そう言ってレディローズは微笑んだ――だが、その視線はエセルの目ではなく、その頭上あたりを見つめていた。


(後ろに誰かいる?)


 レディローズの知り合いだろうか、なにしろ彼女は顔が広い。

 エセルがそう思った、次の瞬間のことだった。


「エセル」


 名を、呼ばれた。数年ぶりに耳にする声だった。

 衝撃と動揺がエセルの全身を貫いた。まるで雷に打たれたかのように。

 振り向きたくなかった。

 ”彼”にだけは会いたくなかった。だからこそ、出会わぬうちに帰ってしまうつもりだった。

 それなのに。


「エセル」


 もう一度、名を呼ばれた。慈しむようなやさしい声で。

 たったそれだけのことなのに、胸がいっぱいになって、苦しくなって、”彼”を無視することなどできなかった。

 のろのろとエセルは背後に立つその人を振り返った。

 知っている人のはずなのに、知らない人のように思えた。

 鳶色の髪と瑠璃色の瞳の、端正な顔立ちの青年だ。かなりの長身で、エセルより頭一つ分以上は背が高い。


「アレク………………」


 吐息混じりにエセルが名を呼ぶと、ふっとほころぶように、彼は笑った。その笑顔に、どきりと胸が不自然に脈打つ。

 二年か三年か、しばらく会わずにいた間に、彼は大きくなった。

 どちらかといえば男らしく整った容貌で、けれど笑うと目じりが下がるせいで、ぐっと優しい印象になる。

 そして事実、彼はとても優しい人だ。エセルはそのことを、いやになるほど、よく知っていた。

 彼はいつだってエセルに優しかった。

 幼くして身寄りをなくしたエセルを哀れんで、婚約してくれるほどに。――そのせいで世継ぎ候補から外されてしまっても、不満ひとつ言わないほどに。


 いつの間にか、周囲のざわめきは静まり返り、誰もがふたりの会話に集中していることに気付いた。

 幼馴染のエセルとアレク――――グランヴィル大公女エルセリアと、その婚約者の第二王子アレクシス。

 この国で最も高貴な組み合わせのふたり。この国で最も不幸な組み合わせのふたり。


(やっぱり、駄目だ。わたしはアレクにふさわしくない)


 エセルは泣きたくなった。この場にいる貴族たちの誰もが、エセルとアレクにまつわる不幸な逸話を知っている。

 エセルがアレクを不幸にしたことを、知っている。


 だからこそ、今夜、エセルは自分自身の手で、すべてに決着をつけなければならないのだ。

 エセルは虚勢を張って、ぐっと胸をそらし、アレクの両目を見つめた。声が震えそうになるのをなんとか押し隠し、言った。


「アレク。一曲、わたしと踊って」


 普通、女性の側からダンスに誘うことは行儀の悪いこと、はしたないこととされている。

 だが、アレクは欠片も非難の表情など見せず、心からうれしそうに、にっこりと笑った。


「よろこんで、エセル」


 差し出された手をエセルは取った。そうしてアレクに導かれながら会場の中央へとゆっくり移動する。

 触れた手の大きさに、空白の月日がどれほど長かったのかを今更自覚する。最後に会った時、十四歳のエセルと十五歳のアレクはほとんど背丈も変わらなかった。今、アレクは十八歳のはずだ――背も、手のひらも、こんなに大きくなってしまって。

 彼はもう成人して、妻を迎えることのできる年齢になっている。だからこそ、今日、エセルは王城へやって来たのだ。


 アレクに幸せになってもらうために――自分との婚約を解消してもらうために。

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