第8話 再戦と油断

「――いや、強かったねぇ」

「ぐあぁ」


 システムメニューに映るシルダの状態を見ながら、手厚く回復させる育江。タンパク質補給は成長に良いかもと、『焼いただけの蛇肉』も三つほど食べさせておく。


 シルダは両手用の持ち手がついた、彼女用のジョッキで水をストロー経由で飲んでいる。全力で動いたからか、喉が渇くだろうと渡したら、半分以上一気に飲んでしまうほどだった。


 PWOいぜんは、ここまでのスパルタは必要なかった。なぜなら、現在いまよりも育成相手になる魔物の種類が豊富で、常に適正レベルがのものを選ぶことができていたから。

 灰狼はレベルが高めだったが、あまり強い方ではなかったから、ここまで辛くはなかったような気がする。


 一応浄化の呪文、『ピュリフィ』を使っある。シルダがひっくり返ったほどの悪臭をなかったものにできるのだから、匂いで追いかけようとしてくる山熊に対して、ある程度だが攪乱かくらんの効果があると思っている。


「ぐあっ」


 シルダは、育江にジョッキを返す。


「お代わり?」


 シルダは首を横に振る。


「いけそう?」

「ぐぎゃっ」


 何年も一緒にいたのだから、ある程度何をしたいのかは感じ取れる。もちろんシルダは山熊に再チャレンジするつもりなのだろう。

 元々シルダは山熊程度に苦戦するほど弱くはない。けれど、自分の身に何が起きたのか、肌で感じ取っているはずだ。そう、『弱くなっている』ということに。


 シルダは立ち上がり、まだ座っている育江の背中を押して『早く連れていって』という感じに急かす。育江が、シルダのやる気に応えないわけがない。なにせ、シルダが弱くなってしまった原因は、育江自身にあるのかもしれないと悩んだほどだったから。


 持ち物を全てインベントリへ格納し、育江はシルダを背負う。一度山頂へ転移いどうすると、おおよその位置で覚えていた場所へ歩いて行く。


「いたいた」


 山熊は、こちらの匂いに気づいてないようだ。あれが『気づいていないふり』でない限り、『ピュリフィ』で痕跡を消すのは可能だということになる。

 濃厚とまじゅーは、ここへ来る前に飲んでおいた。育江は小声で『パルズマナ』をかける。これで再度、準備完了。


「いっといで、シルダ」

「ぐぎゃっ」


 シルダは駆け足。今度は余裕などない。ジャンプ一番、『飛び回ししっぽ打ち』の先制攻撃。灰狼が吹き飛ぶほどの威力があるのだから、山熊が油断さえしていれば、それなりに効いてもいいはずだった。


「やだやだ、ほんと、戦闘狂きょうぼうなんだから」


 そう言う育江の表情は、いつもより楽しそうだ。育江に攻撃力が皆無な分、シルダを通して戦闘してたのしんでいたのだろう。


 ▼


「……強いねぇ」

「ぐあ」


 シルダが首を横に振っているのが、後からでも十分にわかってしまう。彼女はこう言いたいのだろう、『山熊あっちが強いんじゃなく、シルダわたしが弱いんだ』と。


 これで戦術的撤退を繰り返すこと五回目。昼過ぎから始めて、もう四時間以上経つ。始めたときにレベル十二だったシルダは、気がつけば十四になっている。

 少しずつ戦う時間は長くなってはいる。けれど倒すに至っていない。納得がいかないシルダと、徐々に強くなっているのを見て、嬉しくなる育江。


 『れさどら』ことレッサードラゴンは、素直で可愛らしく、あるじが可愛がっているなら、よく慣れる。育てやすいと言われていたが、それは最初のうちだけ。


獣魔ペットとしてのポテンシャルは高くはない。攻撃速度が遅く、手数が少ないため、育つのが遅い。獣魔全体の平均値よりも攻撃力が低く、回避力が低く、防御力も弱い。他の獣魔や、課金ガチャ産の獣魔と比べると、正直見劣りする。


 課金獣魔に負けない可愛らしさから、『観賞用』と揶揄される。無料で最初に手に入ることもあるから、仕方がないとまで言われていた。


 憎めない愛らしさと負けず嫌いなところが、育江は好きだった。だからこちらで再開できたときは、どれだけ嬉しかったか。


「――『ミドルヒール』」


 爪で身体を削られても、育江の治癒魔法で時間が巻き戻るかのように傷が治っていく。疲れが出てはいけないと、『ミドルスタム』で体力回復。


 殴り殴られ、一進一退の攻防を続けている時間は、六回目の今回が一番長く続いている。そんなとき、シルダの取得経験値欄にまた、変化が見えた。経験値の数値が、一桁に戻った。そう、レベルが十五になったのである。


 攻撃力も劇的に上がったわけではない。だが、山熊の体力が限界に近づき、シルダは育江に手厚い支援を受けている。均衡が崩れ、シルダが押すような展開になってから、十分ともたなかった――。


 シルダの目の前には、力尽きて倒れている山熊の姿。シルダはそのぷにぷにして可愛らしい両手を、目一杯突き上げる。


「ぐぎゃあああっ!」


 昼過ぎから、日が傾くまでの長きにわたる死闘だった。ついに勝った。体中で喜びを表すシルダ。


「よくやったね。がんばったね。おめでとう、シルダ」


 育江は膝をついて、シルダを抱きしめた。その間もシルダは、『ぐあぁ、ぐあぁ』と、何かを噛みしめるような声を漏らしていた。


 『時空魔法』を町の人に知られたくないこともあり、山熊をインベントリに格納し、林の出口あたりに転移してくる。そのとき、シルダの前を横切った魔物。


 なんと間が悪かっただろう? 何のために出てきたのだろう? シルダも反射的に、身体を捻っただけのしっぽで振り払ってしまう。それは、この辺りによく出没する灰狼だった。


「なんて間の悪い……」

「ぐあ?」


 本来なら、中級以上の探索者『二人以上』推奨の討伐依頼。そんな灰狼があっさり転がったのである。


 その夕方、育江はギルドで既視感デジャヴに襲われる。


「イクエちゃん、それ、上級の依頼……」

「まじですかー」

「ぐあ?」


 ▼


 山熊を倒したはいいが、報酬をもらうわけにいかなくなり、『おあずけ』をくらってしまった翌朝。


「あ、みつけた」

「ぐぎゃっ」


 山頂からゆっくりと山熊を探しながらぐるりと回って降りてくる。育江は昨日のような山熊を探そうと『範囲鑑定』を使ってみた。だが、反応が全くない。


 システムメニューから『範囲鑑定』の部分にある説明書きを読んでみると、索敵にはやや使いにくいことがわかった。鑑定スキルのレベルが低い場合、あまり広い範囲では反応しない場合があるとのこと。


 育江の鑑定スキルはレベルが二だった。育江は両肩を一瞬落としそうになったが、目視を含めてゆっくり探せばいいと開き直ることにした。このあたりは、育江の良いところかもしれない。


 シルダは周りをきょろきょろ見回すが、山熊の姿は見当たらない。


「ぐぎゃ?」

「ごめんね違うのよ」


 育江は幹が細く、少し黒めの木に駆け寄る。根元近くにしゃがみこみ、手を伸ばしてそっと摘む。

 彼女が手にしていたのは、育江の手の大きさはある緑色につやつや光る葉。根元が朱色に染まる茎を持つ珍しい薬草。

 これはPWOで薬草採取の合間に、偶然みかけることがあった『ホウネンカズラ』という魔力茶の原料になるものだ。


「これよこれ。ごめんねシル――」


 笑いかけようとしていた育江が、シルダの目の前を吹き飛んでいく。転がって、木に打ち付けられる。服などを残してあっさりと、灰となりその場へ落ちてしまった。


「ぐあ?」


 シルダは状況がわからない。育江がいなくなった。そこにあるのは、わからないもの。ただ、あのときと違って、再生が早く開始されたようだ。


 ▼


「――ぐあっ、ぐあっ」

「……あれ? シルダ。あたしどうしちゃったの?」


 育江が目を覚ましたとき、目から涙をこぼしながら、ずっと声をかけ続けるシルダの姿が見えた。


「ぐぁぁああああ……」


 育江は身体を起こし、シルダを胸に抱く。背中をぽんぽんとたたき、泣く子をあやすように。それでもなかなか、シルダは泣き止まなかった。


 育江が倒れていた場所から少し離れたところに、昨日よりも一回り大きな山熊が仰向けにひっくり返っていた。


 やっとシルダは泣き止んだが、育江を恨めしそうにじっと見ている。シルダの顔と、遠くに倒れている山熊。

 ぼうっとする頭がはっきりしてくると、自分の身に起きたことがわかってきた。


「あ、そっか。あたし、あれに殴られでもしたのね……」

「ぐぁ」


 シルダはおそらく『そうよ』と返事をしたのかもしれない。


 今回も無事、再生したのだろう。今後このようなことが再びあったとしても、同じように再生するはずだ。

 わかっていたこととはいえ、シルダに心配をかけてしまったことを悔やむ育江。


「ごめんね、シルダ。不注意だったわ気をつけるわね――あ、同じことあると駄目だから、『範囲鑑定』、……あれ? 『範囲鑑定』、『範囲鑑定』、『範囲鑑定』」


 いくら連打しようとも、何も起きないこの状況。


「ぽちっとな」


 嫌な予感がして、システムメニューを開いた育江。


「あぁあああああ、……鑑定が落ちてる」


 いわゆる『デスペナルティ』で、鑑定レベルが落ちてしまって、レベル一になっていた。『範囲鑑定』が使えなかったのはそういう意味だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る