第7話 灰狼はおいしかった

 PWOあちらで、獣魔ペットを飼育している調教師テイマーは少ないほうではなかった。そんな中でも、育江は時間だけはあったから、調教師としてのランキングがあったとするなら、上位ランクに入るほどの経験者でもあった。


 調教は基本的に、『地味な作業ゲー』と言われることもあった。獣魔ペット育成相手の魔物モンスターと戦わせることにより、経験値を得ることで育てていく。もちろん、その際獣魔も傷を負う。それを治して、ひたすら戦闘、その繰り返しを育成と呼んだ。


 あちらでは、ある瞬間に『シルダは、レベルが上がりました』というアナウンスが流れる。それで始めて、獣魔のレベルが上がったことを知るわけだ。ただそれは、上級の調教師まで。

 育江のように最上級の熟練度マスタークラスまでに達している調教師には、ある特典が与えられる。それは『獣魔の取得経験値が見える』というもの。


 育江たち一部の調教師は、ペットを育てる行為を『育成』と呼んだり、『スパーリング』と呼ぶものもいる。PWO運営が仕様説明時に黙っていたことがあった。検証作業が好きなユーザーにより、調教師の間では暗黙の了解とまでになった仕様が二つ存在した。


 一つ目は、『自分の獣魔のレベルと、育成スパーリング相手のレベルを比較して、育成相手のレベルが上回っている状態でないと、経験値を得ることができない』ということ。経験値を得られる条件が揃った瞬間に、システム的に再計算された確率でだけ、経験値を得られるというもの。

 例えば、シルダが灰狼のレベル帯を超えたとき、灰狼をいくら倒しても経験値は入ることがなかった。このように、弱い敵を殲滅して、簡単に経験値が入ってしまうと、ゲームバランスが狂ってしまうことが理由だった。


 二つ目は、獣魔だけでなく、プレイヤーキャラクターにも該当すること。それは『経験値は必ずもらえるわけではない』ということ。

 一つ目と同じように、プレイヤーにも簡単に経験値が入ってしまうと、ゲームバランスが崩れ、ゲーム自体の面白みを薄れさせてしまう。そうならないように、設定された仕様だった。

 すなわち、打撃を与えたり、ダメージを受けたり、魔法かけたり、かけられたりすると、経験値が入る『権利が発生する』だけで、確定するわけではないということ。


 結果から言えば、『最弱の魔物を倒し続けても、相手のレベルが自分のレベルを上回っていなければ、経験値は絶対に入らない』という法則があっただけの話である。これは育江にとっても、ごく普通の、一般常識のようなものであった。


 相手のレベルが数値的にわからなかったとしても、経験値が入ったそうでないか、入った場合は相手のレベルが高い。または、鑑定スキルの熟練度が最上位まで上げてあるのなら、相手のレベルを知る術となる。それを利用すれば、スキルや獣魔を効率よく育てることができる。

 もちろん、獣魔を育てるためだけに、育江も鑑定スキルは持っていたのである。それは、ゲーマーの常識であったからだろう。


(あの蛇、レベル一だもんね。噛まれたら怪我をするかもだけど、経験値的には無意味なんだよねー)


 あのとき育江はそう思っていたはずだった。例えば外に出る魔物や、ダンジョンにいる階層主など、どれを見ても『あれは育成に使える』とか、『あれは育成に使えない』などと、育成を基準に考えてしまうのは、調教師の悪い癖だったりするわけだ。

 それは仕方がない。調教師にとって、育成可能なレベル以下の魔物は、狩りの対象にしかならないからである。


 まさか、その仕様と同じ現象が、この世界でも同じように働いていたとは育江も思わなかった。ただ、その仕様を知っていたからこそ、育江はシルダを改めて育てることができたのだろう。


 ▼


 育江はシルダの育成を再開していた。シルダは現在、レベル六になる。先日シルダが倒した灰狼は、格納する際に鑑定を終えていた。確かレベルは十だったはずだ。個体差があるにしても、せいぜい二、前後くらいだろう。


 初級の探索者では、ひとつ間違えたら倒しきる前に、怪我では済まない状態に陥るレベルだ。中級の探索者であれば、ソロでは難しいが、二人以上なら灰狼と相対することが可能だとされている。だからカナリアが、灰狼の討伐を中級としたのは、そのあたりの理由が関係しているのだろう。

 育江的には、灰狼はまだ、『シルダの育成に使える』と思っていた。


「シルダ、いたよ。ちょっと待ってね」


(えっと、『鑑定』、……レベル十一か。全然いけるね)


 自分の獣魔と精神レベルでのつながりを持っている調教師なら、獣魔の生命力を数値化して、リアルタイムに把握することができる。それはパーティを組んでいるプレイヤーキャラクター同士にも可能であった。要は、育江とシルダは、常にパーティを組んでいるような状態である。


 こちらの世界ではどうかはわからないが、PWOでのシルダたちレッサードラゴンは、公式イベントにもいたくらいよく見る獣魔。『レッサー』という意味は『より小さい』や『より劣る』という意味がある。


 そんな『レッサー』を名前に持つレッサードラゴンは、攻撃速度はあまり速くないし、攻撃力もレベルなり。防御力や回避能力は低く、いわゆる『紙装甲』と呼ばれる類い。

 育てるのが簡単に見えて、実のところ面倒くさい。ただ、カンストレベルと呼ばれるレベル百に近づくと、急成長するという仕様を持つ、ドM気質なテイマーだけが、その領域に行けるとされていた。だが、見た目が可愛らしく人気があったため、観賞用マスコットとして所有していたプレイヤーが多かった獣魔でもあった。


 目の前に背中を向けている灰狼がいる。周りには灰狼以外いなさそうだ。

 当たり前だが、シルダの生命力は満タン。自分の残存する魔力も満タン。育江はシルダの背中をぽんと叩く。


「よし、いっといで」

「ぐぎゃっ」


 育江は、半透明になって見える、システムメニューを出しっぱなしで育成をする。シルダのステータス表示ウィンドウを出しておき、常に状況を把握する。


『ぱあん!』


 シルダは灰狼のおしりを蹴飛ばす、その小気味の良い音が辺りに響く。こうして、敵対心――ヘイトを稼いで、魔物の意識をシルダ自身に集中させるわけだ。


(あ、経験値入った)


 獣魔に経験値が入る瞬間は、与ダメと呼ばれる攻撃ダメージを加えた瞬間と、被ダメと呼ばれる攻撃を受けて生命力が削れた瞬間。

 シルダのレベルより、五多い灰狼は、生命力も数値的に見たら多いはず。蛇の尻尾を持って、振りかぶって地面に叩きつけていたあのときとは違い、簡単に倒すことはできない。


 灰狼はシルダに体当たりをしかけてきた、もちろんシルダはそれを避けるようなことはしない。まだレベルが灰狼とのレベル差があるからか、結構がっつりと見た目でわかるくらいに生命力のゲージが減る。

 それでもまだまだ大丈夫なのはわかるが、ここで育江はシルダに手のひらを向けて、治癒魔法の初級呪文をかける。


「『ライトヒール』」


 治癒魔法は接触だけで発動するわけではない。ある程度の遠距離範囲レンジでもかけることは可能なわけだ。だからこうしてシルダの生命力を回復させられる。


 育江は実のところ、治癒魔法のスキル上げも平行して行っているわけだ。自分自身にかけるよりも、シルダや他者にかけた方のが上がりやすい。あちらでは常識だったが、こちらではどうかはわからない。


 シルダはボクシングのアッパーカットのような動きで、握った拳を灰狼の顎に打ち込む。『ぐぎゃん』と鳴き声が聞こえた。それなり以上にダメージが入っているのだろう。


 そのような感じに、シルダが攻撃を与えては、灰狼の攻撃をしっかりと受けたりして、調教という名のスパーリングは続いていく。


 ▼


 十数分かかっただろうか? 肩で息をするように、仁王立ちのシルダ。その横には、シルダよりも数倍の大きさがある灰狼が横たわっている。

 シルダは育江を振り返る。


「ぐぎゃ」


 いつもの『ドヤ可愛い』ポーズ。褒めろと言っているのだろう、きっと。

 育江はシルダに向けて両手を広げる。するとシルダは、小走りで駆け寄ってくる。ぎゅっと抱きしめて目一杯褒める。


「偉いね-、シルダ。頑張った頑張った」

「ぐあっ」


 よく見ると、シルダのしっぽは地面をぱたぱたと叩いてる。彼女にとって、嬉しい意思表示の一つなのだろう。


 育江は両手に魔力を込めて、シルダをなでなでする。もちろん、調教スキルの『癒やしの手』で治療しながら。ときおり『ライトヒール』を併用して、シルダの回復につとめる。

 生命力のゲージを見ると、完全回復したようだ。レベルを見ると、二つ上がってレベル八になっている。


 一度のスパーリングでこれだけ上がるのも今のうちだろう。そのうち、灰狼を二匹倒しても、上がらなくなる時期が来る。そのときには、違う相手を探さなければならないだろう。

 その点困ったら、探索者ギルドの依頼を見たらある程度なんとかなりそうだ。もしなんなら、カナリアに『強い魔物の存在』を教えてもらってもいいということ。


 育江は灰狼をインベントリに格納する。


「じゃ、次を探そうか?」

「ぐぎゃっ」


 こうしてこの後、育江とシルダは灰狼を三匹探してスパーリングを重ねた。シルダはレベル十一になり、もう灰狼では上がらなくなってしまった。

 周りに灰狼が見当たらなくなったタイミングで、育江は撤退することを決めたのだった。


「――え? 何これ? イクエちゃん」


 ギルドで灰狼四匹買い取りのお願いをして、カナリアに驚かれたのはわかっていたこと。こうして初級の育江には、受け取れない報酬が増えていく。

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