14
「……い……しろ」
遠くから、何かが聞こえる。
「おい、し……しろ……」
聞き覚えのある、男の声だ。
「おい、しっかりしろ! 魔門!」
朦朧とした意識のなか、瞼を開くと、そこには遊間の顔があった。
必死の形相で、私に向かって何かを叫んでいる。
私は彼を落ち着かせるために、その呼びかけに応じようとした。しかし、思うように声が出せない。
必死に言葉を発しようとしているうちに、口の中にハンカチのようなものを詰められていることに気付いた。驚いて、身体を動かそうとするも、今度は両腕を遊間にがっちりと押さえつけられていることに気付く。
「良かった。目を覚ましたか」
私の意識がはっきりとしていることに気付いた遊間は、両腕を押さえつけることを止め、私の口から布を抜き取った。
「な、何しているんですか! この痴漢、変態!」
状況が飲み込めず、半ば錯乱していた私は、思わず遊間へ向かってそう叫んでいた。
「変態とは随分な言い草だな」
遊間は呆れた表情を見せた。
「きみがうなされて暴れていたところを、怪我をしないように押さえつけていただけなのに」
そう言われてはじめて、遊間の左頬あたりに青い痣ができていることに気が付いた。
「……すみません、私、酷いことを言ってしまって」
私は素直に謝罪した。
「それに、その痣も……」
「別に構わん。この痣も大した傷ではない」
遊間は頬をさすりながら言った。
「ところで、その様子だと見たのではないか? あれを」
遊間のその言葉に、私の頭から一気に血の気が引いていく。
そうだ。遊間に呼び起されて目を覚ます直前まで、私はまた見知らぬ誰かを殺す夢、新たな悪夢にうなされていたのだ。
私の青ざめた顔を見て、自らの推測が正しかったことを確信した遊間は、早口で私に向かってまくし立てた。
「被害者の年齢、性別、身体的特徴、その他、周囲の景色など。覚えている限りでいい。見たこと、聞いたこと、嗅いだ匂い、感じたこと。すべて話すんだ」
遊間の勢いに気圧されながら、私は早くも曖昧になり始めている夢の記憶を、必死に手繰り寄せて答えた。
「ええと……被害者の年齢は二十代くらいで……新調したての綺麗なスーツを着ていたので、恐らく就職活動中の大学生か、あるいは社会人になりたての女性だと思います。場所は室内で……カーテンがかかっていたせいで全体的に薄暗く、良く見えませんでしたが、あまり広くなく、一人暮らし用アパートの一室という感じでした」
「なるほど。それで、夢のなかのきみは、その女性をどのように殺したんだ?」
遊間が先を促した。
「絞殺……でした。女性は手足と口にガムテープを巻かれていて、身動きが一切取れない状態でした。そのうえ睡眠薬を飲まされていたのか、私が彼女の首を強く締めるまで、彼女にはずっと意識がありませんでした。抵抗できない無力な彼女の首を、私は……」
そのときの感情を思い出して、私は言葉を詰まらせた。
「私はどうしたんだ?」
遊間は私の表情の変化など、まるで気にしない様子で問いただした。
「……恍惚感に浸りながら思い切り絞めました」
私が声を震わせながら、すべてを話し終えると、遊間はすぐに部屋の片隅に倒れていたラジオを足で手繰り寄せ、電源をオンにして、周波数を調整し始めた。
ニュース番組、情報番組、芸能人のトーク番組、音楽番組……と、チャンネルが目まぐるしく変わっていく。やがて、ある報道が流れ始めると、遊間のダイヤルを回す手がピタリと止まった。
「……では、次のニュースです。神落市のアパートで、二十代の女性が亡くなっているのが見つかりました。遺体には、首を強く絞められた痕跡があり、警察は殺人事件とみて捜査を進めています」
そのニュースを聞き終えると、遊間は手錠を外して、鍵と一緒に部屋の隅へ放り投げた。
「おめでとう。これで、きみが気の狂った殺人犯ではなかったことが、ようやく証明されたわけだ」
彼はそういうと、ダイニングテーブルに置いてあったウィスキーのボトルを開け、グラスに一口分だけ注ぐと、それをぐっと喉に流し込んだ。
「きみも祝いに一口どうだ?」
「いえ、気分がすぐれないので遠慮しておきます……」
「そうか」
遊間は少し寂しそうな顔をして、グラスを洗い始めた。
私の方はというと、悪夢がまた現実になったという恐怖からか、それとも私が殺人犯ではなかったという安堵からか、腰からすっかりと力が抜けて地べたに座り込んでしまっていた。
「しかし、調査を急がねば、次の犠牲者が出るのも時間の問題だろう」
彼はそういうと、鹿撃ち帽子を被り、地べたに座り込んだままの私に手を差し出した。
「さぁ、図書館へ向かうぞ、助手」
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