第一部
1
もし、前世というものが本当にあるのだとしたら、それは、現世の人生にどれほどの影響を与えるのだろうか。
私、
正確には、殺人鬼だった、が正しい。
私には前世の記憶がある。それもとびきり最低な、悪夢のような記憶だ。
私がそれを思い出したのは、二十八歳を迎えた年の、ある夏の夜のことだった。
一年前、過労により身体を壊して入院した私は、当時勤めていた会社を辞めて、退院後もしばらく一人で療養生活を送っていた。
失業手当を受け取るために、職業訓練を受けてきたその帰り道。夕飯を作る気力もなく、私はコンビニで弁当を購入して帰宅した。
帰宅すると、すぐに異変に気付いた。
朝、家を出るときには、確かに真っ暗になっていたはずのタブレットの画面から、何やら光が漏れ出している。
近づいて画面を確認してみると、見たことのない名前の動画共有サイトが開かれており、「ルシファーの実験」や「エンキとエンリルの戦い」などといった怪しげな単語が飛び交うオカルト系の解説動画が流れていた。
当時の私は、オカルトと呼ばれるものに対し、強い嫌悪感を抱いていた。
両親ともに物理学者の家庭で育った私は、幼少の頃から常に、実験と観察を通して数学的に証明された事実だけが真実だと教えられて生きてきたからだ。
「いいですか、愛。この先、あなたに何が起ころうとも、決して真実を見定めようとする気持ちを忘れてはいけませんよ」
私が中学生の頃、行方不明になった母親は、幼い私に繰り返しこの言葉を伝えた。
そのように育てられてきた私にとって、悪魔だとか魔術だとかの目にも見えない存在を、あたかも実在するかのように取り扱って騒ぎ立てるオカルト信者の行動が、到底理解できなかったのである。
私は、その不快な動画を停止させようとタブレットの画面に手を伸ばした。
「というわけで、この宇宙が悪魔によって創られた偽物の宇宙であるという思想はグノーシス主義と通ずるところがあり……」
画面のなかで、怪しい出で立ちをした男が、息つく暇もなく語り続けている。
動画の停止ボタンに指先が触れようとした、まさにそのときであった。
突如、金槌などの鈍器で思い切り殴られたかのような、強烈な痛みが頭部に走り、次々と前世の記憶が蘇ってきたのである。
田舎の古びた民家に、しわくちゃの制服。誰もいない教室。校舎裏の秘密基地。帰ってこない父親に、泣き叫ぶ母親の後ろ姿。道端に転がる、動物たちの死体。日に日に増していく、歪んだ殺人願望。
――そして、私に首を絞められ、死にゆく少女の、絶望に満ちた表情。
それらの記憶が、頭のなかでぐるぐると目まぐるしく切り替わっていく。
気が付くと、私は涙を垂れ流しながらその場で嘔吐し、そしてすべてを思い出していた。
それからの一年間は、地獄のような日々だった。
毎晩、少女を殺す夢を見てはうなされ、碌に眠ることもできず。
病院に通っても、原因は分からず、処方される薬が増えていくだけ。
疲弊した精神に鞭打って、就職活動に勤しんでも、新しい仕事はなかなか見つからない。
仕事が見つからないことで、元々疎遠気味であった父との関係はさらに悪化し、兄からも見放される始末。
唯一の心の支えであった母との温かい思い出も、しだいに薄れ霞んでいく。
何をやってもうまくいかない日々。
前世の私が殺人という罪を犯したから、現世の私がこうしてその分の罰を受けているのではないか。
非科学的な話を一切信じてこなかった私の頭に、そのような馬鹿げた考えが浮かぶほどまでに、私の心は弱り切っていた。
しかし、そのときの私はまだ気付いていなかったのである。本当の悪夢は、まだ始まってすらいなかったことに。
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