第31話 次回作

 年が明け、登美彦と妃沙子と響谷はスタジオ内の休憩スペースで車座になり、アニメ放送後の反響と次回作の構想について話し合っていた。


 十月から深夜帯で全十二回の放映がスタートした『ハバタキのキンクロ旅団』は、初回からヒビヤ艦長が波動砲をぶっ放し作画崩壊する、というシュールな展開がネット上で評判となった。


 艦長服を身にまとったヒビヤ艦長が戦艦のコックピットと思しき場所で、それぞれ黒いカメラ、コーヒーの入った魔法瓶、キンクロパンが詰まったお弁当袋を首からぶら下げたキン、クロ、ハジローに紛争の最前線を取材してくるように告げる。


「戦場で死ぬことは許さん。生きて帰れ。……以上だ」


 キメ顔のヒビヤ艦長が大真面目に言っているそばで、「ヒビヤさん、原画チェックして」「このままじゃ作画崩壊しちゃうよ」という冷ややかな声が外野から聞こえてくる。


 修羅場と化したスタジオの制作風景そのままの生々しい会話が副音声のように流れ、気が向いたときだけしか原画チェックをしない響谷をこれでもかと槍玉に挙げている。


 戦艦『ハバタキ弐号』のお風呂場で水浴びし、ばしゃばしゃと助走をつけて、億劫そうに飛び立ったのキンクロブラザーズは砲弾飛び交う戦地に赴く。


 長男キンは首からぶら下げた黒いカメラで戦場の風景を切り取るべく、ファインダーを覗く。しかし前方不注意だった三男ハジローが真っ先に被弾し、コーヒーを啜っていた次男クロも被弾、ついには長男キンにも砲弾が迫り……、という絶体絶命の中、ハバタキ弐号のコックピットから事態をモニターしていたヒビヤ艦長が大陸を丸ごと破壊せしめるほどの威力を誇る波動砲をぶっ放し、作画崩壊を招く。


 そして艦長は気がつくと、仕事が溜まりに溜まった作画机の上で目覚める、というオチがついた。


「せっかく沙梨ちゃんとハルちゃんがいろいろ考えてくれたのに、全部ぶった切っちゃったなあ。五分って短すぎだよ。込み入った話がなんにもできない」


 ネット上では疾走感のある展開を大絶賛された初回だが、監督を務めた妃沙子は納得いっていなかったらしい。


 高槻沙梨と藤岡春斗が考えてくれた裏設定を細大漏らさず盛り込もうとするには五分という尺はあまりにも短すぎ、放送ギリギリのタイミングまで絵コンテを変更し続けていた妃沙子の苦渋の決断により、背景ストーリーはばっさりカットと相成った。


 キンとクロとハジローは大阪城上空を飛んでもいないし、道頓堀に浮かんでもいないし、道にも迷っていないし、大阪のオバちゃんたちにも餌付けされておらず、初回から流暢に日本語を話した。なんの説明もなく、ハバタキ弐号所属の乗組員として描かれている。


「じゃあ三十分番組にして二期をやる? 三十分あれば、いろいろ盛り込めるでしょう。懐はけっこう潤ったし、制作費はなんとかるんじゃないの。ぼくは引き続き妃沙ちゃんが監督なら、作監は御免こうむるけど」


 アニメ放送中にプチ有名人となった響谷はフォトエッセイを二冊も出版し、クラウドファンディング関連のインタビューをライターがまとめた新書を一冊上梓している。


 印税の取り分はスタジオと折半だが、晴れて小金持ちになった響谷は、あるものはすべて使ってしまえとばかりにキンクログッズを大量に開発。いつのまにかオフィシャルサイトではTシャツが売られ、マグカップが売られ、手帳が売られようになり、「響谷艦長を囲んでコーヒーを飲む会」なるものも定期開催されている。


 今ではスタジオ内で絵を描いている方が珍しく、社長の林田のように野暮用でどこかをほっつき歩いている方が多い。


「三十分番組でやっても、結局ぶつ切りだしなあ」


 録画した放送を見返していた妃沙子が不満げな声をあげる。


「妃沙ちゃんは完璧主義過ぎるんだよ。作画監督がぼくじゃなかったら、第一話からきっとリアルに作画崩壊していたところだよ」


「響谷さん、なんにもしていなかったじゃないですか。気が向いたときにしか原画チェックしないし、あまつさえスタジオにすらいなかったし。作監が現場に不在で、誰が絵の修正をしていたと思ってるんですか」


 紙パックの麦芽コーヒーを飲みながら妃沙子が苛立ったような声をあげる。制作が佳境を迎えた十一月終わりの頃でも思い返しているのか、今更ながらに腹が立ってきたらしい。あの時の現場はまさしく戦場のようで、妃沙子のみならず皆が死にかけていた。


 絵の責任者である作画監督のチェックがなければ現場は前へ進めないのに、自宅に電話をかけようが、どこに連絡しようが捕まらず、響谷は制作真っただ中の現場を放り出して、一週間ほどふらりと行方不明になった。


 登美彦が後から聞いた話では、リフレッシュのためにハワイ旅行に行っていたらしい。


 監督・絵コンテ・原画・演出・キャラクターデザインの五役を兼ねた妃沙子がブチ切れるのも無理はないように思えた。


「妃沙ちゃんはへんなところだけクソ真面目なんだよなあ。あんなのぜんぶ直していたら、時間がいくらあっても足りなかったよ」


 現場がいちばん忙しい時期に脱走していた響谷だが、あれはあれでちゃんと仕事をしていたのだと言い張っている。なにも手直ししないのも仕事のうちさ、と最終回の放送終了後にうそぶいていた。確かに、響谷の主張にも一理はあった。


 妃沙子は神経質なまでに細部の出来にこだわり、とにかく原画をたくさん描き、外部スタッフが描いたものにもずいぶんと大量に修正を入れた。


 キャラクターの鼻筋の線や輪郭線のタッチ、果ては髪の毛の一本に至るまでをこと細かに修正したかと思えば、ハジローの羽ばたき方が気に入らないと動画の滑らかさに文句をつけ、たんに黒く塗られただけのキンの顔を見て、さりげなく濃い紫色の金属光沢を入れろ、と色彩設計にリテイクを要求した。


 妃沙子が描き直したものを清書する、というのも作画監督である響谷の役割であったが、響谷はその日の気分で清書するかどうかを決めていた。気分が乗ったときは清書をし、気分が乗らなかった日は清書をせず、妃沙子が手直ししたものはあっさりと捨てた。


 直さず次の工程に送るものだから、妃沙子が出来上がった映像を見て「直ってないじゃないですか、響谷さん!」と激怒することもしょっちゅうであった。それでも響谷は悪びれず、「あんなの、いちいち直していたら終わらなかったよ」の一言で片付けた。


 徹底的なまでに細部にこだわる妃沙子と、とにかく仕上げることを優先した響谷は真っ向から対立し、最後の方はまるで狐と狸の化かしあいのようであった。


「ただ、今回のアニメ化でいちばん恩恵を被ったのって、ぜったいハルちゃんと文藝心中社だよね。ぼくたちがタダでハルちゃんの作家デビューを後押ししてあげたようなものだ。今頃、篠原さんは高笑いしているよ」


「私はハルちゃんを描いていて楽しかったです」


 妃沙子は、うっとりした顔で言った。


「それは絵を見れば一発で分かるよ。第四回だけは作画のクオリティが半端なかったもん。反動で第五回はダレたけど」


 第四回は妃沙子のお気に入り回であると同時に、女性視聴者から最も支持された回でもあった。ネット上には「ハルちゃん回」だの「神回」だの、「小説妖精ハルちゃん爆誕!」だの、といった絶賛の言葉があちこちに溢れていた。


「主要キャラクターじゃないのに、ハルちゃんは大人気でしたね」


 登美彦はスタジオの休憩スペースにあるテレビに第四回の冒頭を映した。


「これで女性ファンが一気に増えたのよね」と妃沙子が独りごちる。


「その後、ハルちゃんを一切出さないというのもあざといよね。飢餓感を煽り過ぎだよ」


 響谷は、悪代官に賄賂を渡す越後屋のような笑みを浮かべた。


「そこは演出です。だらだら毎回出てくるより、パッと出て、二度と出てこない方が印象に残りますもん」


「おかげで原画集が売れたから万々歳だね」


 妃沙子は立派になった我が子でも見るかのような表情を浮かべ、テレビを眺めている。


 テレビ画面には、ハバタキ弐号の見習い乗組員となったハルが艦長のヒビヤに謁見し、「キンクロブラザーズと生活を供にし、伝記を書け」と命じられるシーンが映っている。


 謁見後、「部品パーツが足りないよ、部品が」とハルはぶつくさ言いながら戦艦の廊下を歩く。


 キンとクロとハジローは平らな廊下をペンギンのような二足歩行でよちよちと歩き、斜面をトボガン滑りし、風呂に入ったときにハジローは馴れ馴れしくハルの頭に乗っかり、「お風呂、お風呂」と楽しそうで、キンはハルの肩に乗っかって、「ネタならそこらに転がっている。見つからなければ潜れ」と潜水採餌ガモらしく励ましている。


 無表情のクロはぷかぷかとお風呂に浮かんでいるだけで、特になにも喋らない。書くべきネタが見つからず、むしゃくしゃしたハルがざぶんと風呂の中に潜ると、ハジローとキンが競うように潜水する。


 水中に浮上したハルは、ぶるぶると犬のように首を振り、ぷかぷかと浮かんでいるだけのクロに手を差し伸べる。「よし、決めた」「……ん、俺?」という短いやり取りの後、場面はヒビヤ艦長と乗組員たちとの会話シーンに切り替わる。


 そこでヒビヤの口から、「ハルは下船し、小説家になるつもりらしい。どうやら本気だそうだ」と語られる。


 妃沙子が明らかに気合を入れまくって描いたハルは童顔でありながら美形という奇跡のバランスを保っており、出番は第四回のみで終了したこともあって、女性ファンからもっと出番を増やしてくれ、との要望がオフィシャルページ経由で相次いだ。


 第五回以降は画面に一切登場してこないにも関わらず、会話中にだけはちらほらと登場し、どうやら小説家になったらしい、ハルにちなんだペンネームらしい、いずれクロについても書くつもりらしい、などと虚実入り混じった情報を小出しにしていった。


 最終回の放送後、下船したハルのその後の消息をハバタキのオフィシャルページで報じると、文藝心中社発行の原画集が飛ぶように売れ、著者近影にハルのキャラクターイラストを冠した藤岡春斗の新人賞受賞作は予約注文が殺到した。


「ほんとうにクロの話を小説化ノベライズして欲しいよね。そうしたらぜったい売れるよ」


「実はもう書いてあるんですよ。篠原さんとの改稿作業が辛すぎて、現実逃避でクロ視点の長編を書き上げちゃったみたいです」


 登美彦がついでのように言うと、響谷が目を丸くした。


「……マジで?」


「黒焦げのダークマターみたいなもので、使い物にならないと思うから奥野さんにあげる、って言われました。文章を読み慣れていないので、昨日やっと読み終わりました」


 登美彦は自席のデスクから分厚い紙束を持って戻ってきて、卓袱台の上に置いた。


「けっこうにビターテイストでしたけど、胃腸炎になるほど苦くはなかったです。アニメで描き切れなかった部分がぜんぶ補完してあって、ちゃんと一つの物語になっていました」


 妃沙子がパラパラとページをめくるなり、額に手を当てた。


「うわっ、文字がぎっしり。目眩がする」


「妃沙ちゃんって不思議だよね。脚本形式だとすらすら読めるのに、小説になるとさっぱり読めないんだ」


 響谷に笑われると、妃沙子が不本意そうな顔をして唇を尖らせた。


「脚本はビジュアルにする前提で客観的に読んでいますもん。小説だと世界観にどっぷりはまっちゃって、そういう読み方ができないんです。沙梨ちゃんの新刊だって、まだぜんぶ読めていないし……」


「なら、いっそ絵コンテにするつもりで読んでみたらいいんじゃないですか」


 登美彦が提案すると、妃沙子が自嘲気味に言った。


「それができればもうやってるって」


「僕がコマを割って漫画形式にしますよ。そこから先はいつもと同じ手順ですよね」


「登美彦、漫画なんか描けるの?」


「はい。下手ですけど、学生時代にずっと描いていたので」


 妃沙子は手元のリモコンを操作し、テレビを消した。その途端、スタジオ内がしんと静まり返り、背後で鉛筆を走らせる作業音だけが聞こえてくる。ハバタキ専属ではない掛け持ちのアニメーターたちは、今日も淡々と絵を描き続けている。


「ハルちゃんが書いた話、次回作に使えそう?」


「ストーリーに明確な切れ目がないので、一話ごとに山場を作るのが難しいと思います」


 登美彦が率直な意見を口にすると、あっけらかんとした口調で響谷が言った。


「切り刻むのが難しいなら、いっそ劇場アニメにしちゃえばいいんじゃない。まあ、そんなお金どこにもないけどさ」


「劇場アニメを作るのにいくらぐらいかかるんですか?」


 妃沙子が訊ねると、響谷が間髪入れずに答えた。


「平均だと一億から三億ぐらい。全盛期のジブリで十億から二十億。最大で五十億ぐらい。ディズニーやピクサーレベルになると百億、二百億の世界だね」


「とりあえず二億円ぐらいあれば、なんとかなりますか」


「そうだね。よっぽどの大作でもなければ、劇場アニメの予算はそれぐらいが相場かな」


 妃沙子はふむふむとうなずくと、片頬を歪めて笑った。


「うわっ、いやな予感。それじゃあ休憩おしまい。そろそろぼくも絵を描こうかなあ」


 響谷が冬眠から目覚めた熊のようにのそりと立ち上がり、そそくさと休憩スペースから離れようとするが、妃沙子がズボンのベルトをがしりと掴んで離さなかった。


「響谷さん、劇場アニメを作るので、ちゃっちゃと二億円ぐらい掻き集めてください」


「ムリっ! 今回の十倍集めるなんて、ぜったいに無理!」


 響谷は妃沙子を引きずったまま歩くが、妃沙子はスッポンのように食い付いたままで、両手を離そうとはしなかった。


「ネットからの出資だけじゃなくて、制作委員会方式でもなんでもいいですよ」


「せっかく無名の軍隊アリから脱却できたのに、劇場公開がコケたら野垂れ死にだよ。妃沙ちゃんと心中するなんてぜったいに嫌だ!」


「私と響谷さんの仲じゃないですか。力貸してくださいよ」


 薄笑いを浮かべたまま離れようとしない妃沙子を横目に、響谷は登美彦に助けを求めた。


「トミー、この子なんとかして!」


 いかにも達観したような様子の登美彦は、表情一つ変えずに言った。


「元来、制作委員会方式とは博打をするために組織するものだと聞きました。コケたら野垂れ死ぬのは当然なのではないでしょうか」


 諦めたようにだらりと肩を降ろした響谷は力なく呟いた。


「……トミー、やっぱり君は変態だよ」




 次回作についての打ち合わせが終わり、渋る響谷を引き連れて清澄庭園に足を伸ばすと、池に数匹のキンクロハジロがぷかぷかと浮かんでいた。そのうちの一匹が挨拶でもするかのようにすーっと登美彦たちの方へと近付いてきて、そのまますーっと離れていった。


 しんと冷えた一月の空気は肌を刺すような寒さで、吐く息は白く凍った。


 ファー付きのもこもこしたコートを着込んだ響谷は首をすくめ、手袋をした両手に息を吹きかけている。


「こいつら、ほんとうにシベリアから飛んで来たの? 群馬とか茨城をシベリアだと思い込んでるんじゃないの」


 シベリアやヨーロッパ北部で繁殖するキンクロハジロは、冬になると温かい場所に移動して越冬するそうだが、なるほど響谷の言うように、こんなとぼけた顔をしてシベリアまで飛んでいく姿は想像しようにも難しかった。


「暖かくなったら、またシベリアの方に飛んでいくんですかね」


 登美彦はかじかんだ両手をポケットに突っ込みながら言うと、妃沙子がかぶりを振った。


「去年は公共電波に乗ったんだし、次は劇場に飛んでくんじゃない」


 キンクロハジロの群れは妃沙子に賛意するように、ばたばたと羽根を羽ばたかせた。


 その気になればいつでも大空に向かって飛び立てるぜ、と言っているかのようであった。

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線上のキンクロハジロ 神原月人 @k_tsukihito

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