第26話 寄付
トークショー終了後、高槻沙梨は列をなした一人一人にサインをし、にこやかに握手をしている。登美彦が出入り口横に出資相談用ブースを作ると、高槻のサイン本を抱えた客たちが次々に押し寄せてきた。登美彦の隣には、春斗がちょこんと腰掛けている。
「坊や、頑張りなさいよ。小説家ってのは人生経験が豊富じゃなきゃならん。いっぱい勉強して、いっぱい遊びなさい。そうすりゃいつかはデビューできる」
年配の客たちは
登美彦は、春斗に投げ銭してそのまま立ち去る出資者を呼び止めては氏名と連絡先、出資金額をメモしていく。渡した金額をど忘れする者、募金感覚でそのまま帰っていこうとする者ばかりで、登美彦ひとりでは手が足りず、出入り口付近は大混雑し、高槻のサインを待つ客よりもブースに並ぶ人数が多くなった。
「お名前と連絡先、出資金額を控えさせていただきますので、順番にお願いいたします」
登美彦の声に疲れの色が混じるが、ブースに並ぶ客も残すところあと数人だけだった。
ベレー帽をかぶり、色の濃い眼鏡をかけ、マスクをした男が分厚い茶封筒を差し出した。ぱんぱんに膨らんだ封筒の厚みに驚いた登美彦が思わず顔を上げる。白髪の目立つ黒ずくめの男の全身をよく見ると、左手首から先が長袖に完全に隠れている。衣服に厚みがまったく感じられないところを見ると、左肩から先がないのかもしれない。
「事前にお電話したものです。家族のある身なので、名前は非公開にさせていただきたい」
「ですが……」
登美彦が躊躇っていると、ベレー帽の男は机上の茶封筒を右手ですっと滑らせた。
「出資ではなく、寄付にさせていただきたい。特典も不要です」
「せめてお名前だけ頂戴できませんか」
登美彦が食い下がると、ベレー帽の男は首を横に振った。
「大塚監督のファンです。彼女は新しい世界に飛び立とうとしている。それだけ分かれば、十分です」
自分ではどうしようもないと思った登美彦が林田に助けを求めると、林田は直立不動の姿勢でテラス席に立っていた。ベレー帽の男を見送り、深々とお辞儀をする。
「ご無事で何よりでした。大切に使わさせていただきます」
林田がつかつかとブースに近付いてきて、登美彦の肩をぽんぽんと叩いた。
それ以上、なにも聞くな。
無言のうちに、そう言っているような気がした。
ブース近くで響谷が初老の男性とすっかり打ち解けた様子で話している。預かり金額を確認すると、五十万円の出資を決めた人物であるらしい。最高額の出資案件であるはずなのに不思議と高揚感はなく、茶封筒の中身がただただ気になった。
登美彦は机の下で開封し、中身を確認した。
茶封筒の中には、帯封でまとめられた新札の一万円札が百枚入っていた。
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