第24話 艦長責任

 高槻沙梨のトークショーおよびスタジオ・ハバタキの出資説明会は、ゴールデンウィーク最終日の日曜日、午後七時半に開催されることが決定した。


 募集人数は先着三十名、参加費は林田が算盤を弾いた通りに二千円となり、トークと出資説明の持ち時間はそれぞれ一時間ずつとなった。


 四月初めに文藝心中社のオフィシャルページとハバタキのオフィシャルページの両方でトークショーの開催が告知されると、一週間と経たずに席が埋まった。同日の説明会に参加できない出資希望者に対しては、週に一度、個別相談に応じることとした。


「みてみてトミー、達成率二〇%超えたよ!」


 響谷はこのところ、一時間おきぐらいに出資金額のチェックをしている。


 お堅い社風で有名な文藝心中社のニュースメディアにも好意的に取り上げられたことで、出資に対する心理的ハードルが下がったのか、三月中に集めた出資金の二十倍近くが一気に流れ込んできた。


 当初は登美彦の薄っぺらな財布並みに空っぽだった出資金メーターは、マイルストーンの二〇%を超え、出資金総額は四百万円を超えた。


 個別相談に訪れた出資希望者に対しては大抵は林田が対応したが、林田が不在にしているときはスタジオ内で最も下っ端の登美彦が率先して対応した。


 冷やかしにきただけの失礼な若者もいたが、神社で賽銭を投げるように五百円を黙って手渡してきたおばさんもいた。出資と寄付を混同しているのか、孫にお小遣いをあげるようにニコニコしながら一万円を支払っていくおじいさんもいた。カフェでコーヒーを飲んでいるときにポスターを見て興味を持ち、出資の詳細を訊ねてきた人もいた。


 作画に集中しているときに限って社内の電話が鳴ったり、外から大きな声で呼ばれたりして作画時間も集中力も削がれたが、机に向かって絵を描くばかりだった毎日に比べると、来客者たちとの触れ合いは新鮮だった。


 この人たちやその家族が見て、楽しんでくれるようなアニメを作らなければならない、と思うと、手渡された金額が多くとも少なくとも、責任のようなものが両肩にずしりと重くのしかかってくるのを感じた。


「凄いですね。一ヵ月で二〇%ずつ増えたら、ちょうどあと四ヶ月で達成できますね」


 出資締切の八月までになんとか達成できそうなペースになりつつあることを登美彦が素直に喜ぶと、響谷はしたり顔で太い指を左右に振った。人差し指にはそこが指定席であるかのようにハジロー人形が鎮座している。


「そんなケチ臭いこと言わず来月は倍の四〇%、再来月は倍の倍で八〇%、それでえーと、トータルいくらになる? ……六月で達成率一四〇%だよ!」


「達成率って一〇〇%を超えてもいいんですか?」


「当たり前じゃん。お金はいくらあっても困らないよ。締切までに集まるなら二千万と言わず、三千万だって四千万だって平気さ」


 響谷はオフィシャルサイトに毎日のように何かしらのネタを投稿アップしていた。


 三月中は各キャラクターのイラストや設定などを中心に投稿していたが、イラスト関連のストックがだんだんと尽きてきてからは、自作したハジロー人形を街中で撮影し、気の利いたメッセージを添えてアップするようになっていた。


 当初は風景とハジロー人形だけを写していたが、目立ちたがりの癖のある響谷は、いつのまにか艦長コスプレをした自分も含めてハジローと写るようになっていた。もともとは数行だけの短いメッセージを書き添えていたが、書き慣れてくるにしたがってメッセージも長文化し、半ば響谷艦長が自分語りするフォトエッセイと化している。


 ネット上の反応は真っ二つで、完成度の高い艦長コスプレを称賛する声もあれば、いい歳こいたオヤジが云々、という紋切り型の批判もあった。響谷の経歴をネットの海からほじくり返した者もおり、とあるアニメシリーズを作画崩壊させた戦犯としてクローズアップされる契機となった。


 ハバタキのオフィシャルサイトに辛辣な書き込みがされることも増えたが、寄せられたコメントのすべてに目を通しているのは響谷ただ一人だけだ。


 当初はサイトに誰でもコメントを書き込めるようになっていたが、現在では響谷が承認したコメントだけがサイト上に表示される仕様となっている。


 響谷はハバタキのオフィシャルサイトに耳目を集めるためならなりふり構っていないようだが、辛辣なメッセージをまるっきり無視して自撮り写真を投稿し続ける行為は、登美彦の目には一種の自傷行為のようにも映った。


「このところ、純粋な応援メッセージが多い気がするんですけど、春斗君のプロットが影響したんですかね」


「うん、したと思うよ。ハルちゃんには感謝、感謝だね」


 響谷は両手を合わせて拝むようなポーズをする。ネットの海に小石を投げれば、それこそ響谷を罵倒したり、冒涜したりする声に当たるような有様であったが、藤岡春斗が書き下ろしたプロットをサイト上に全文公開したことで、その風向きが一気に変わった。


 作画崩壊を招いた張本人である響谷が戦艦『ハバタキ弐号』の艦長となって作画崩壊を招く波動砲をぶっ放す、というプロットはあまりにも自虐的で、「豪快な作画崩壊を期待しています!」という類の応援メッセージとともに少額の出資が相次いだ。


 過去の汚点を完全に笑い飛ばすことにした響谷がキンクロブラザーズの長男キンの口を借りて投稿したエッセイは、いつもの砕けたハジロー口調と違って、じつに感動的であった。



 ――作画崩壊? 

 それがどうした。ろくに雇用も守られねえ、足元の揺らいだ時代に作画が崩壊したぐらいでゴチャゴチャ言うんじゃねえよ。

 それでも生きろ。這ってでも生きろ。死にたくなったら潜れ。

 飛び立つ日までじっと耐えろ。方向なんか気にするな。いつか風が吹きゃ飛べる。

 飛べる日が来ると信じてずっと潜ってる、そんなお前が大好きだ。



「この台詞、好きです。ちょっと泣けてきます」


「だよね、ぼくも大好き。非正規のアニメーターがこんなセリフ聞いたら号泣しちゃうよ。しかも足元が揺らいだ時代って、東日本大震災のことも含意しているよね。もうさ、こんな台詞をさらっと書けちゃうのって天才だよね」


 登美彦が素直な感想を口にすると、響谷も目元を潤ませながらうなずいた。


「自画自賛ですか?」


「違うよ。これ書いたの、ハルちゃんだよ。いくらぼくでもこんなクサい台詞、自分に向かって書けないよ。クサすぎてプンプンしちゃうもん」


「え? ほんとうですか」


「ハルちゃんが書いてくれた脚本の中にこの台詞があったんだ。三話目の中盤ぐらいかな。でも、このセリフは第一話のとっておきの山場で言わせたいよね」


 響谷が言わんとしていることを察した登美彦が大きくうなずく。


「それで響谷艦長が波動砲をぶっ放して、『地球か、何もかも皆美しい』と言って、作画机の上で目覚めるんですよね。で、キンとクロとハジローがただの線画に戻る」


「おっ、なかなか分かってきているじゃないのトミー」


「このアニメって、アニメーターに関わらず『創作』と名のつく行為に全精力を傾けている人たちをキンクロブラザーズが勇気付ける話ですよね。なんとなくそんな気がします」


「どうしちゃったの。今日はやけに深い洞察だね」


 響谷に肩を思い切り揺さぶられた登美彦は、言おうか言うまいか、わずかに逡巡した後、声を潜めてこう言った。


「春斗君も小説を書いているときに、きっとこんなことを誰かに言ってもらいたい気分になったんでしょうね。僕も漫画を描いていたことがあるのでなんとなく分かります」


 登美彦がぽつりと言うと、響谷が急に押し黙り、奇妙な静寂があった。


「漫画? トミー、漫画なんて描いてたの」


「はい。ぼくが漫画を描いていたことは林田社長しか知らないですけど」


「妃沙ちゃんにも言ってないの?」


「まだ言っていません。なんとなく恥ずかしいので」


 響谷は「ふーーーーん」と意味ありげに呟くと、登美彦の頭のてっぺんから爪先までを舐め回すようにじろじろと眺めた。


「トミー、君はなにかこじらせているなあと思ったら、やっぱり派手にこじらせてたねえ。妃沙ちゃんにすら言えないだなんてよっぽどだよ。二千万円調達できちゃったら、あれでも一応は監督になるんだよ。現場のボスだよ、ボス。こそこそ隠し事していないで、もうこの際だからぜんぶカミングアウトしたら」


 登美彦がなにも答えずにいると、響谷は駄目押しのように付け加えた。


「艦長たる責任をもって波動砲をぶっ放したげるから、なにも心配することはないよ」

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