第16話 部品

 翌日の午後、春めかしいクリーム色のダウンジャケットを着た高槻沙梨がハバタキを訪ねてきた。本の表紙に写った清楚な印象そのままだったが、スタジオ前で妃沙子に会うなり、どちらともなく飛びつき、きゃあきゃあ言いながら熱い抱擁を交わしている。


「あそこらへん、ATフィールドですね」


 高槻沙梨の傍らに齢の離れた弟のような少年が連れ添っているが、スタジオとカフェ前の往来で親密そうに話している女性二人を冷めた目で見守っている。


 季節感のない灰色のパーカーを着た小柄な少年は明るさには欠けるが、よくよく見ると綺麗な顔立ちをしており、中学生ぐらいの年頃に見える。お互い初対面の間柄であるため、登美彦も体温の低そうな少年も先陣切っては自己紹介せず、旧交を温めまくる女子二人の話が一段落するのを待っていた。ようやく話が切り上がると、高槻沙梨が登美彦に向かって小さく会釈し、少年の背中を軽く押した。


「はじめまして、高槻沙梨です。こちらは藤岡春斗君。四月から大学生です」


 少年はちょっと照れたような表情を浮かべた。


「……可愛い。もしかして沙梨ちゃんの彼氏?」


 妃沙子が意味深な笑みを浮かべると、高槻沙梨もちょっとはにかみながら首を横に振り、やんわりと否定した。


「妃沙子先輩。立ち話もなんですから、ひとまず入りませんか」


 登美彦が言うと、妃沙子は渋々うなずいた。


 四人揃ってリバーサイド・カフェに入店すると、店内にはすでに林田がおり、コーヒーを美味そうに啜っていた。テーブル席を確保しておいてくれたらしい。


 四人がボックステーブルに着席すると、林田は無言でカウンター席に移動する。


「春斗君は小説家の卵です。担当編集者が一緒なんですよ。まだデビューはしていないけど、私よりもプロットを作るのが得意なので無理やり連れてきました」


「いや、得意でもないです」


 沙梨は我が子を褒める母親のようで、藤岡少年はどこか居心地悪そうにしている。


「篠原さん、すごく褒めてたよ。藤岡さんはプロットを作るのがほんとうに上手で、どんなお題を与えられても上手く書けてしまう気がします、って言っていたよ」


 篠原というのは高槻沙梨の担当編集者で、ソフトな外見に似合わず、文章への駄目出しは容赦のない「鬼」であるらしい。沙梨は四年間の休筆期間中も小説は書くには書いていたが、その篠原氏に原稿を突っ返されるばかりで、書き方そのものを根底から覆されるぐらいに徹底的に指導されたという。いわばスランプの原因のような人物だそうだ。


「あれは篠原さんの嫌味です。プロットはそこそこ面白いけど、テーマはなんでもいいわけじゃないよ。心の底から書きたいテーマじゃないと認めないよ、っていう意味です。表面上は褒め言葉ですけど、ひっくり返すと完全な駄目出しです」


 春斗の補足説明を聞き、高槻沙梨が苦笑いした。


「私は篠原さんに褒められたことないから、春斗君すごい! って思ったんだけど」


「ぼくも褒められてません。偽装褒め言葉ばかりです」


「偽装でも褒められていればいいじゃない。私なんてボロクソだったもん」


「ぼくもボロクソだったので、途中からシカトして好き勝手に書いてました」


「それがすごいんだよね。私なんてコメントを真に受けちゃうし」


 登美彦がコーヒーを人数分注文している間も話は途切れることなく続いていた。


 マスターは焙煎してあるペルー産の豆を挽くと、ドリッパーにセットしてあるペーパーフィルターに粉末状になったコーヒーの豆を入れる。その後、細口のドリップポットからお湯を注いでいく。フィルターからぽたぽたと黒い液体がこぼれ、紙のコーヒーカップに溜まっていく。登美彦が手順をじっくりと観察していると、マスターが支払い金額を告げた。


「ここはいいから。せっかくの機会だから奥野君も話に参加しなさい」


 登美彦が財布を出すのを制し、林田が千円札二枚をすっと支払った。


「あ、はい。ありがとうございます」


 登美彦はコーヒーカップを二つ持ち、テーブルの方へと運び、もう一往復した。


「砂糖とミルクってないんですか?」


 登美彦が運んできたコーヒーに口をつけるなり、藤岡少年がぽつりと言った。淹れたてのコーヒーはブラックで飲むもの、という常識は高校生には存在しないらしい。


「マスター、砂糖とミルクってありましたっけ?」


 登美彦がおそるおそる尋ねると、マスターがわずかに顔をしかめた。


 レジ横のポットを指差し、「ミルクはそこ。勝手に使って。砂糖はない。甘いコーヒーが好きなら他のお店を紹介するよ」と素っ気なく言った。それを聞いていたらしい藤岡少年は、登美彦に向かって小さく頭を下げ、苦いコーヒーを不承不承、ちびちびと啜っている。


「キャラクターはこれなんだけど、なにか思いつく?」


 妃沙子がテーブルの上に広げたのは、クロッキー帳とキンクロハジロのラフ画だった。


 隣り合って座っている高槻沙梨と藤岡少年がクロッキー帳をパラパラとめくる。


「やっぱり妃沙子さんの絵は可愛いです」


 高槻沙梨が目を細めた。


「春斗君、なにか思いつく?」


「これだけじゃなんとも」


 コーヒーカップを両手で持った藤岡少年はなんとも言えない微妙な表情を浮かべている。


「いくつか部品パーツがあれば作れると思いますけど」


「パーツ?」 


「アニメの制作現場だったり、働いている人の様子だったり、この鳥をマスコットキャラにしようとした経緯だったり、とにかく部品がないとどうしようもないです」


「つまり参考資料ってことかな」


 登美彦が訊ねると、藤岡少年がこくりと頷いた。


「ちょっと社内案内してあげなさいよ。なにか思いつくかもしれないし。私はもうちょっと沙梨ちゃんとお喋りしてるから」


 妃沙子が他人任せな提案をすると、藤岡少年がおずおずと手をあげた。


「戦場カメラマンが登場して、戦艦が波動砲をぶっ放して、キンクロなんとかの鳥が羽ばたくアニメ業界の話を考えてほしいらしい、って沙梨先生から聞きました。いまいち意味が分からないんですけど、どういうことですか」


 登美彦がさっと妃沙子の方を振り向いた。


「いいんですか?」


「うん、もう過去のことだし。でも忘れちゃいけないことだと思うから」


 先ほどまでのハイテンションとは打って変わって、妃沙子の声がしんみりしたものとなった。


「戦場カメラマンっていうのは私が昔、親しくしていた人なの。必須要素ってわけじゃないけど、そういう感じの設定が入っていたら、せめてアニメの中だけででも生きててくれるかなって。詳しく語ると重くなるから、あとは登美彦に聞いて」

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