Episode004:ミントキャンデー

(no name)

Episode004:ミントキャンデー



…───人生は、一本の煙草に例えられる。最初に命の火が点り、その刹那に酔いしれる人がいる。不味いと知りながら、やめることができない人もいる。満たすたびに、削られる命の紫煙を、美味いと蜜のように感じようが、不味いと毒のように感じようが、他人が吐き出すそれだけは、やたらと煙たく感じられ、自分の心身を蝕んだものが、はたして自分が吸い込んだそれのせいか、他人が吐き出したもののせいか、で、討論し、互いに、相手が全て悪い、自分はなにも悪くない、と、論争しているうちに、やがて火は燃え尽きて、最後は全て灰になる。



…───そう考えると、煙草は砂時計に似ている。どちらも、ある時の始まりと、その時の終わりを、教えてくれる。煙草は、その一本分の時間だけを告げ、砂時計は、ひっくり返せば、終わりがあって、終わりのない、閉じ込められた砂の粒が計る時と、その作りの永遠性を教えている。



…───そして、生きることは、芝居をし続けることだ。一度幕が上がってしまえば、次に幕が下りるまで、人は、「A LIFE(一生涯)」と言う名の芝居で、「AN EXTRA(私)」と言う名の役を演じ続けなければならない(変なタイトル!役名だって変だし。エリザベスがよかった。『若草物語』の三女の、エリザベス・テーラーから取って)。そして、芝居が進めば場数を踏む。場数を踏めば経験が増える。経験が増えると、時の流れが一定でないことに気付く。明るく楽しい芝居の時間は、壊れた時計のように、あっという間に過ぎ去ってゆき、つらくて苦しく惨めで悲しい芝居の時間は、これも壊れた時計のように、いつまでも経っても進まない。「え?もう?」「え?まだ?」の、繰り返しで芝居は続き、遅かれ早かれ時は流れ、やがて季節は巡ると言うのなら、楽しい時間をより過ごす人間より、より不遇な時を過ごした人間の方が、より長く人生を味わえるということか。…───味なんて気にしなければ、長い方がいいに決まっている。


この一本を吸い終えたら、今度こそ、戻らなければならない。



「毒ほど甘く、作られてるのよ、誰かさんのせいで」


世界的に有名な煙草の、販促用ロゴ入りの灰皿は、錆びて歪んでいる。


「煙草産業のこと?それとも、神様のこと?」


あたしは、それに、灰を落とした。


「みんながみんな、愛されて、春と夏に生まれるわけじゃない。親にも行政にも愛されないのに、秋と冬にだけ愛されて、生まれさせられる人間もいる。誰かさんは自分だけが信仰されて、ご満悦でしょうけど」


「神様のこと?それとも、日焼け止めクリーム産業のこと?」


「どうして、こんなに、なにもかも、上手くいかないんだろう!?」


「あたしたちのこと?それとも、他の、誰かさんとのこと?」


仕事部屋が並ぶ廊下には、カーペットが敷かれ、壁にはクロスが貼られ、天井にはシャンデリアが吊られ、その突き当りにかかるゴブラン織りのカーテンをめくると、急にカーペットもクロスも途絶え、通路を半分ふさぐ、未使用のタオルやシーツがしまわれたラックの横に置かれた、ひとつは満杯で口の絞られた、ひとつは使用済みのタオルやシーツがまだ半分入る、ふたつのクリーニング袋をよけた先にあるのが、控え室だ。


「ただ、人生を変えるきっかけが、欲しいだけなのに。なにもかもが、上手くいかない!他の人なら、上手くいくことですら。ここまでの贈り物ギフトがなくったって」


控え室の、ミラーの電球のいくつかは、抜かれている。


「もがけばもがくほど、深みにはまってゆく。夢見たり、夢を持ったり、20ワットより明るい光を信じたりすることの、なにもかもが、嫌になる!『はい』を『アッシュイエス』と発音することすら、馬鹿らしくなるわ」


仕事部屋の、鏡は見せ掛けマジックではなく本物だけど、置き物のフクロウの目は、監視カメラだ。


「これじゃあ、まるで…」


彼女は、言いかけて、


「…もう、いいわ」


と、煙たさに、涙目で言って、


「穴ほど深く、掘られてるのよ」


と、灰を、灰皿に落とした。


「しかたないわよ。神様も肉体労働者だから、水曜日の三日前と四日後は日曜日にしてくださったのよ」


あたしも、また、それに灰を落とした。


「次、生まれる時は、真夏に生まれたい」


「パパとママに、逆算して、シテもらわないとね」


売上は折半だけど、チップを隠してることがバレたら罰金だ。あとは、装飾品の羽根飾り一枚、借金だ。


「それで、フランス産のキャンディーみたいな人生を送るの。あの映画女優のような。甘くて、とても甘くて、とにかく甘くて。─────ガラス製のキャンディーポットの蓋を開けると、砂糖漬けのスミレ味や、砂糖をまぶしたマスカット味や、砂糖で煮詰めたアップル味や、シャンパン漬けのイチゴ味や、ジャムの入ったオレンジ味のキャンディーと一緒に、偽物キャンディーみたいに大きな宝石も入っていて、ピスタチオクッキーのお皿の隣には、おキャッシュの乗ったお皿。銀の盆には葡萄と金貨のチョコレイト。たまに銀貨シルバー・ダラーもまざってる。─────金糸のフリンジ付きのオットマンの横には3匹のペキニーズ。積み重なった贈り物プレゼントの箱の横にはシャムの猫。チャコール・グレーの鼻先と足先に、青い目をしたこの子はね、雨の日に、キャベツの空き箱に入れて捨てられてたんだけど、とても賢いの。薔薇の花瓶もガーベラの花瓶もジャパニーズ アプリコットの枝の花瓶も決して倒さずに、歩ききることができる。─────電話は二台。一台は仕事専用。世界的な映画プロデューサーや脚本家や芸術家アーチストや衣装デザイナーが掛けてくるんだけど、必ず取り次ぐ人がいて、名前を受話器越しに繰り返し言って、目配せをするの。わたしは、目配せで返す。『Oui出るわ』なら瞬きを1回。『Non出ないわ』なら瞬きは2回。もう一台は直通。愛の言葉にふりかけた香水が、受話器越しでも香るような、愛しい人からしか、掛かってこない。…───そんな、人生」


「あたしは、あなたと一緒なら、なんでもいいわ。またこんな、一本の煙草みたいな人生でも。そこまでつらくない。星だって、20ワットより暗いこともあるし」


「台本は、薔薇の花びらを浮かべたお風呂で覚えるの」


肌のところどころに、その薔薇の花びらを、付けて上がってきたような、赤いような黒いような、痕がある。



支配人が、苛立たし気にやって来て、


「おい、お前たち!いつまでサボってるんだ!?さっさと仕事に戻れ!クビにされたいのか!ここを地獄だと思うなよ!ここが天国だったと、移った先の地獄で思い知っても遅いんだからな!壁に張られた紙を、そう言う模様の壁紙だとでも思ってるのか!?『Do not idle away !!《汝、無駄遣いすることなかれ!!》』。部屋もタオルも水も電気も時間も名前も、何一つ、お前たちの持ち物はなく、それを破れば罰金だと、聖書が書き忘れたことを書き出して、張り出してやってるんだ!─────俺は、お前たちのことを、何一つ、信じていない。信じちゃないが、地獄も創造した神と違って、俺は天国しか創造しない。どんなにお前たちが裏切っても、だ。なんでも折半フェアの関係でいたい。わかったな?わかったなら、返事は、いらない。決して、口を開くな。『はいいいえ』も『イエスノー』も言うな。お前たちが嘘しか吐かないことは、男は全員知っている。客以外。わかったら、とっとと支度しろ!!5分後には客が来る。2分で支度しろ。1分でも遅れたら、今度こそ、クビだからな!!お前たちみたいな、嘘吐きで無能な怠け者は、地獄でも歓迎されない存在なこと、覚えとけ!!この、傷んだbad雌雄同種の果実figsどもめ!!」


と、やって来た時より苛立たし気に去っていった。



彼女は、無言で、最後の一口を吸うと吐いて、それを、灰皿の上で、もみ消した。


「あの男、あたしたちの時間を早送りするのが、趣味なんだわ。まるでもう遅刻みたいに、まだ犯していない罪で、怒鳴りつけたりして!!」


あたしも、最後に一口を吸って吐くと、灰皿の上で、それを、もみ消した。


「あの男、あたしたちから巻き上げた時間を葉巻にして、それを吸って生きてるんだわ。だから、女がいつ生まれても、あの男がいつも生きているのよ」


香水を浴びるようにふりかけ、ミントキャンディーを噛む。見ると、プラスチックケースに貼られたラベルから、『CANDY』の『Y』が消え、『ミントキャンデー』に、なっている。もしかして、『X』も消えているかと思い、壁紙みたいな貼り紙を見てみたが、『X』は消えておらず、隣に『I』が書き足されていた。



<了>

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