空に生きる SEASON2

夏の陽炎

第1話 シャミセングサ滲む

 (自宅に帰ろうかな。)

なずなは、書き置きもしないで出て行こうと思った。働いて7カ月目のコンビニは、来月辞めようかと思い始めた。明日は休みだから、実家に帰りたい。

(もう言葉なんてなかった。)

私の失敗の数々が脳裏に焼き付いていた。


(私は、どうしてもうまく目が合わせられない。仕事中に…。)

 グラスを割ってしまった。オーナーのものだった。

 「出勤時にお茶を冷蔵庫から出して注いでおいてくれる?」

 と言伝てされてあってそれが日課だった。そういうオーナーが、トイレ用の雑巾で汗を拭いているところを見てしまった。私は、

(そういうの、ちょっと…。)なずなは吐き気をもよおしてしまった。たったそんだけのこと。だけど、本当は挨拶したりしなかったりする先輩たちにも怯えていた。

(私のこと嫌いなのかな。)そんなこと誰に言ったらいいのか考えもせずに、帰ったら黙々と洗濯物の片付けや、食事の準備を始めて忘れようとしてた。

帰ったら

 「おはよう。」

 と夕方に起きてくるかなでさん。

 「おは、おはょ、ゃっ。」

 「???」

 かなでさんは、はてなはてなという顔をした。最近ずっと(私たちは)こうである。でも、湊さんは何も聞いてこない。あくびをして作り始めたご飯をささっと味付けて持っていってしまう。

(ぐふ、遅かった。)思っても、…つなぎの言葉を願ってしまう。

(廉恥、…ハ。)


 そんな日常の中で、仕事がうまくいかなくなっていくのを防ぎきれないなずな自身を感じてしまった。今日グラスを割ってしまった。謝った。謝り倒した。“なんでこんなことも…”という目で見られた。白々とした目に地元の山の端を思ってしまって涙が出た。

 「泣かなくていいよ。大丈夫。また買うから。」

 オーナーは優しかった。でも、今日も先輩の挨拶は冷え冷えとしていて、お客さんに笑顔をしても時々辛く当たられた。

(もう辞めようかな。帰ろう。)

湊さんの無言で退く顔を想像してしまった。

(私はなんでもかんでも悪い方へ持っていってしまう。)

それでもどうしても行き先を見つけ逃げてしまう心を止められなかった。

(家事も手伝ってくれて優しい人よ。…。)

(家事もまともにできなくて働けない女の子だ…。)

 …。

 (あ。幻聴?)

 耳鳴りがして頭の中で

(優しいあなた…。家事さえできない君…。

 優しいあなた…。家事さえできない君…。

 優しいあなた…。家事さえできない君…。

 優しいあなた…。家事さえできない君…。)と繰り返された。

(統合失調症が…。)

体調が悪くなってきていた。初夏手前の白いシャミセングサの花が滲む風がない日だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る