深閑と生
朱明
深閑と生
首吊り自殺のニュースが流れてきた。妙に引き込まれたので、ロープを買うことにした。生きたいと思えた時に死のうと思う。
きっかけなんてものはなかった。あったのはただ鬱屈した気持ちだけだった。何が嫌だという訳でもない。特別気にかかるようなこともあった訳ではない。しかし、これがあるから生きようと思えるようなこともなかった。気付いた時には感情、自我がなくなってしまっていた。
しかし、ロープを買ってからは心に余裕と呼べるようなものができた。特異な言い方をすると、死に生かされているということなのかもしれない。
ある休日の朝、惰性でこなすような物事もなく虚無に浸っていた。唐突に何処かで聞いた近所の滝を思い出した。そこでは年に3度ほど自殺者が出ているという。別に死のうという訳ではないがそこへ行こうと思った。ある種の焦燥感に駆られているのかもしれない。
車を走らせ25分、その滝があるという山に着いた。誰もいない木々の間の道を歩いて滝へ向かう。
徐々に水の流れる音が大きくなってきた。水を打ちつける音も聴こえてきた。見るとそこには決して大きいとも小さいとも呼べない、なんともちゃっちい滝があった。しかしその滝にはどこか私を引き込む力があるように思えた。まるで私に手を伸ばしてきて束縛するかのように。
少しの間その滝に気を取られていると近くに見知らぬ男がいるのに気が付いた。細身で身長は約175といったところだろうか。明らかに落ち込んでいる、という訳では無いがどこか不安気な様相をしていた。
私は再び水面を眺め水音に身を委ねていた。男は私の視界の端で木のそばに佇んでいた。
「何をしにいらっしゃったのでしょうか」
私は思わず尋ねてしまった。声をかけるつもりはなかったのに、男の持つ異様な雰囲気にいつの間にか話しかけていた。
「何も。強いて言うならばお別れに」
「はて。お別れとは?」
「まあ端的に言えば自死です。せっかくならばと。あいにく、私にも懐旧の情が残されていましたので」
「なるほど」
再び辺りに自然の声が響くだけになってしまった。もう既に太陽は南中し、少し暖かくなっている。風も吹き始め、木々のさざめきが一段と強くなった。
「止める訳では無いのですが」
私は口を開いた。
「なぜ、この場所をお選びに?大して有名な訳でもないですが」
男の持つ空気が揺らぐのを感じた。
「昔、具体的に言うと15の頃に1度全てが嫌になって逃げ出しました。勉強からも。親からも。そして友人からも」
男は続けた。
「そうしてこの場所へやって来ました。今はもう何処にあるかは覚えていませんが、小さな洞穴に身を潜め、森の音に耳を傾け1時間、2時間と過ごしているうちに辺りは暗くなっていました」
「そうなるともう、帰ることもできません。お腹も空きました。仕方なく、その洞穴の中に1人蹲って眠りにつきました。植物の、水の、動物のたてる音に包まれました」
男は私から目を逸らし、後ろを向いた。
「その非日常的な刺激は、私を死の淵から救い出してくれました。翌朝、明るくなってから私はこの森から抜け出して家に帰りました。連絡も入れず家を飛び出したものですから、周りの大人に沢山怒られました。それでも、私が体験したことは一切話すことはありませんでした」
「そして再び、私は逃げ出すことを選びました。昔のその追憶を辿ってここへ来たわけです」
男は話終えると満足そうに目を瞑り、息をついた。
「では、私は少し辺りを散策しに行きます。またいつか、とは言えませんがお元気で」
「ええ。私はもう少し生きようと思います」
男は木々の間へと消えていった。私も家へ帰ろうと歩き出した。
今日は久しぶりに死のうと思った。
深閑と生 朱明 @Syumei_442
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