第七章 はぐれものの島

セントラル突入-1

 すっかり奏澄の体調も回復し、ハリソンから説明を受けるため、たんぽぽ海賊団は島の広場に集まった。そこには、既にエドアルドと、白虎海賊団の幹部たちがいた。

 驚きを隠せないたんぽぽ海賊団の面々だったが、全てはハリソンが説明してくれるだろう。皆大人しく、ハリソンに視線を集めた。


「皆さん集まりましたね。では、この本の内容について説明します」


 ハリソンが掲げた本は、奏澄が預けたセントラルの禁書だった。


「結論から言います。無の海域への入口は、セントラルが封鎖しています」

「!」


 ハリソンの言葉に、にわかに広場がざわつく。しかし、動揺しているのはたんぽぽ海賊団の側だけで、白虎の者たちは落ちついていた。


「場所はセントラルの領地、東の端にある監獄島かんごくとう。その裏にある洞窟内に、無の海域への入口を封じているようです。そして、その封印を解く鍵になるのが、はぐれ者の血――つまり、カスミさんの血です」


 一斉に、奏澄に視線が集まる。それを受けて、奏澄はたじろいだ。


「カスミさんの持つコンパスは、はぐれ者の生き血を吸わせることで、その機能を果たします。おそらく、それを知っていたから、セントラルは『生け捕り』で指名手配したのでしょう」


 生き血。体の内を巡る血液。殺して血を絞ったのでは、意味が無い。だから、生け捕りのみだと。


「入口にさえ辿り着ければ、あとはコンパスが導いてくれます。問題は、場所が監獄島だということです」


 監獄島。奏澄にはわからないが、他の面々はわかっているようだった。皆一様に厳しい顔をしている。

 困惑する奏澄に気づいて、メイズが説明した。


「監獄島というのは、セントラルの重罪人を捕らえておくための監獄がある孤島だ。島が丸ごと監獄のための設備だから、警備が厳重で、近づくことすら困難な場所だ」


 それを聞いて、奏澄は事の大きさを理解した。それほどの場所に、たんぽぽ海賊団の戦力では、立ち向かうことはできない。

 たんぽぽ海賊団の、戦力では。

 はっとして、奏澄は白虎海賊団の者たちへ視線を向けた。

 彼らがこの場にいる意味を。ハリソンの説明に、驚きを見せない理由を。理解して、喉が詰まる。


 けれど、それは。


 奏澄の想像通りなら、彼らは奏澄が言い出すのを待っている。心から助けを求めれば、きっと力を貸してくれるだろう。

 そうして元の世界に帰れたとして。奏澄は、彼らに何も報いることはできない。

 仲間たちとは、信頼関係がある。奏澄の目的を最初から理解して、奏澄の方も旅の中で精一杯心を尽くしてきたつもりだ。

 でも白虎は違う。出会ったばかりで、しかも奏澄はさんざん助けてもらった後だ。その上で、まだ助力を乞おうなどと。


 青い顔をした奏澄の肩を、メイズが支えた。


「カスミ。巻き込むのが辛いなら、止めておけ。俺が何とかする」


 頼もしい言葉に、メイズを見上げる。この人はいつだって、奏澄を尊重してくれる。助けてくれる。無理をしてでも。

 自分の力が及ばない事態に、メイズは、奏澄のために白虎を頼った。

 ならば、奏澄が今更、他者を巻き込みたくない、などと。

 優先順位を、間違えてはいけない。このままでは、メイズは無茶をして、最悪命に関わることになる。それだけは、避けなくてはならない。


 奏澄は前に進み出て、エドアルドと白虎の幹部たちに頭を下げた。


「さんざんお世話になった後で、厚かましいのは承知の上です。私にできることなら、何でもします。だからどうか、力を貸していただけないでしょうか……!」


 奏澄には、このくらいしかできない。差しだせるものが何もない。だから誠意だけは、尽くしたい。

 奏澄は本当に、どんな要求でも呑むつもりだった。無論それは、白虎ならば常識的な要求しかしないだろう、という前提があってのことだったが。


「えっマジで何でもいいの? じゃぁカスミちゃんハグしてもらっていい?」


 能天気に両手を広げたアニクは、隣の幹部に頭を叩かれてよろけた。


「アホかお前は」

「だぁーって! せっかく何でもしてくれるって!」

「最低だな」

「ちゅーしてとか言わなかっただけえらくない!?」

「ケダモノ」


 他の幹部にボコボコにされているアニクを、奏澄はぽかんとして見つめていた。

 頭を抱えたエドアルドが、奏澄に声をかけた。


「うちのが馬鹿ですまん」

「あ、え、いえ。えぇと、ハグくらいなら、構いませんよ……?」


 混乱のせいか、頓珍漢な回答をした奏澄を、エドアルドは渋い顔で見た。


「年頃のお嬢さんが、簡単に何でもするなどと口にするもんじゃない。それと、そういうことは連れの顔を見てから言うんだな」


 奏澄はメイズの顔を見て、すぐ目を逸らした。なるほど却下だ。


「そう思い詰めずとも、俺たちは元より力を貸すつもりでここに残っていた。お前さんの口から意志が聞けた今、何の異存もない。白虎海賊団は、全面的に協力する」

「ありがとうございます。あの、本当に、できることがあれば言ってください」

「……対価が要求されないと不安か?」


 言われて、奏澄は目を丸くした。そんなつもりはなかったが、確かに、そう取られてもおかしくない。これでは、彼らの善意を疑っているようだ。


「ご、ごめんなさい。そういうつもりでは」

「ああいや、いい。そうだな、なら――親愛の握手を、頼めるか」


 差し出された大きな手に、奏澄は少しだけ驚いた後、笑顔で握手を交わした。




 白虎は言葉通り、団をあげて協力してくれるようだった。今は主船のみで行動しているが、既に分隊にも伝令を飛ばしており、白の海域で合流する手はずらしい。


「俺たちと一緒に行動していると目立つからな。サロリオン島で落ち合おう」


 四大海賊は誰もが知る所であるし、巨大な船は目を引く。セントラルに悟られぬよう、白虎海賊団とたんぽぽ海賊団は別々の航路を使い、監獄島から少し離れた島で落ち合うことにした。


 いよいよ、全てに決着がつこうとしている。

 本当に、元の世界に帰れるかどうかはわからない。けれども、ただのオカルトだと思われた無の海域が、手の届くところまできている。

 どことなく現実感に欠けて、サロリオンまでの航海中、奏澄はずっと上の空だった。


「カスミ」

「メイズ」


 船首近くでぼうっとしていたところ、後ろから声をかけられ、ふわふわとしたまま奏澄は答えた。その様子に、メイズは何かを言いたそうにしていたが、結局当たり障りのない言葉を選んだ。


「大丈夫か」

「何が?」

「……いや」


 言葉少なに、メイズは奏澄の隣に立った。

 沈黙が、怖くない。そう思える程度には、この人と長く一緒にいる。

 このまま黙っていても良かったが、奏澄は口を開いた。どうでもいい話が、したかった。


「メイズって、煙草の臭いしないね。吸わないの?」

「……なんだ藪から棒に」

「白虎のアニクさん、煙草の臭いがしたから」


 やけに奏澄に馴れ馴れしかった男を思い出し、メイズは顔を顰めた。


「うちの船、誰も吸わないよね」

「ラコットたちはたまに吸ってる」

「そうなの? 見たことない」

「まぁ船ではな」


 奏澄は特に禁煙をルールにした覚えはなく、首を傾げた。


「木造船で火災は命取りだからな。よほどの馬鹿でない限り、パイプや葉巻はおかでしかやらない」

「ああ、そういうこと」


 アニクから煙草の臭いがしたのは、島にいたからだろう。しかし、よほどの馬鹿、とつけるからには、もしかして船上で喫煙して火災を起こした人物でも過去にいたのだろうか。


「じゃぁ船ではずっと禁煙? 辛くない?」

「いや、噛み煙草」

「噛み煙草」

「火を使わないから、船乗りはだいたい持ってる」

「へぇ……。でもそれも見たことない気がする」

「お前がいるところじゃやらないだろ」

「そんな気にする?」

「臭いに過敏だろ」

「……そうかなぁ?」


 そんなこともない、と奏澄自身は思っている。

 確かに、体臭の強い傾向にある欧米人に比べて、日本人は臭いに敏感かもしれない。風呂だってできれば毎日入りたい。けれど海の上でそんなわけにもいかず、奏澄も随分と慣れた。火を使わない煙草なら、煙も出ない。それほど臭いが気になるとは思わなかった。


「メイズはやらないの?」

「……昔やってた」

「え、そうなんだ。じゃぁなんでやめたの?」


 渋い顔で奏澄を見るメイズに、自分が何か言っただろうか、と奏澄は記憶を辿った。しかし思い当たることはない。


「……以前」

「うん」

「パイプの近くで咳してたことがあったろ」


 奏澄は目を瞬かせた。そんなことも、あったかもしれない。すっかり忘れていたが。

 そんな奏澄自身も覚えていないような出来事を、メイズは記憶していて。何も言わずに、禁煙を決めた。

 おそらく噛み煙草も続ければ陸で煙を吸いたくなるから、全て断ったのだろう。彼のそういうところには、本当に脱帽する。


「メイズって、ほんと私のこと、よく見てるよね」


 しみじみと感心したように告げると、照れ隠しのように髪をかき回された。


「目が離せないからだろ」


 それは、どういう意味で。

 ぐしゃぐしゃになった髪を直すふりをして、奏澄は顔を隠した。


 どうでもいい話をしていたい。普段通りにしていたい。

 今は、まだ。

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