白虎、邂逅-10

 翌朝。ハリソンは奏澄を診察して、ほっと息を吐いた。


「もう、大丈夫そうですね。熱も下がっていますし、後はゆっくり休んでください」

「はい。ありがとうございます」


 弱々しくも自分の言葉で返した奏澄に、マリーは我慢できないとばかりに抱きついた。


「もーっこの子は! みんなに心配かけて!」

「ちょっと、マリー」


 言葉だけは窘めるようにしながらも、奏澄も嬉しそうだった。マリーの体に腕を回して、抱き締め返している。

 その様子を微笑ましく見守りながら、ハリソンは廊下にいたメイズに声をかけた。


「もう、大丈夫そうですよ。安心してください」

「――……そうか」


 目を覚ました奏澄の様子を見てはいたが、ハリソンのお墨付きをもらい、メイズはようやく全身の力を抜いた。廊下にしゃがみこんだメイズに、同じく廊下で待機していたアニクが声をかける。


「おいおい、大丈夫か?」

「放っておけ」


 冷たい一言に、アニクは肩を竦めた。


「じゃぁ俺カスミちゃんに挨拶してこよっかな」

「ダメですよ」


 部屋に入ろうとしたアニクは、ハリソンに首根っこを掴まれて潰れた蛙のような声を出した。


「なんで!?」

「当たり前でしょう。女性の無防備な姿を見るものではありません。私の護衛で入ったのは例外です」

「えぇ~」


 文句ありげなアニクを横目に、メイズは立ち上がってハリソンに向かい合った。


「本当に、助かった。礼を言う」

「いえ。私の方こそ、サクラさんの雪辱を果たせたようで――感謝しています」


 眼鏡の奥の瞳が、何かを思い出すように揺らいだ。


「あんたを白虎に返さないとな。エドアルドにも礼をする」

「今はカスミさんに付いていてあげてください。まだ体調も不安定ですし、次の島までは私たちの船も近くにいるように言っておきます。島に着いたら、改めてカスミさんと一緒に挨拶に来てください」


 奏澄の体調が万全になるまで、ハリソンは面倒を見てくれるつもりだということだろう。

 最大限の厚意に、メイズは頭の下がる思いだった。


「何から何まで、感謝する」

「海では、お互い様ですよ」


 穏やかに微笑むハリソンに、メイズは一連の出来事を思い返し、力では敵わない人間がこんなにもいることを、強く実感した。




 ハリソンとアニクをゴールド・ティーナ号に見送り、メイズは仲間たちに奏澄の無事を告げた。一斉に歓声が上がり、まるで祭りのような騒ぎになった。こぞって顔を見に行きたがったが、それはメイズが止めた。というか、メイズですら、まだまともには話せていない。身支度が整うまでは、とマリーに追い出されたからだ。


「メイズさん、良かったですね!」

「ほんと、一安心っすね。メイズさんも、休んでくださいね!」


 乗組員に口々にかけられる言葉に、メイズは自分も心配をかけていたのだと、初めて気づいた。そのことに甘んじて暫くもみくちゃにされていると、マリーがメイズを呼びに来た。許可が下りたので、メイズは奏澄の部屋へと向かう。


 部屋の前で、何故か少し緊張して、メイズは深呼吸をした。ドアを軽くノックし、中から返事が聞こえたことを確認して、ドアを開ける。


「メイズ」


 体を起こして微笑む奏澄は、幾分かさっぱりしていた。マリーが身支度したのだろう。


「まだ寝てろ」


 熱が下がったとはいえ、意識の無い状態から回復したばかりだ。体を起こしているのもしんどいだろう。メイズは奏澄の体をベッドに倒した。


「少しくらい大丈夫なのに」

「お前の大丈夫は信用できない」

「ひどい……」


 文句を言いながらも、奏澄は大人しく横になった。その状態のまま、口を開く。


「白虎海賊団の人たちに、お世話になったんだよね。お礼しに行かないとね」

「それなら、島に着いてからでいいと言われている。今は休むことに専念しろ」

「そうなの? いい人たちだね」

「……そうだな」


 エドアルドやハリソンを思い返し、メイズは目を伏せた。

 いい人。ああいう人種を、いい人、と言うのだろう。本来なら、奏澄は、ああいう人間に拾われるべきだった。そうだったなら、要らない苦労をせずに済んだのに。

 それでも。今更手放すことなど、できはしない。約束があるからではない。自分が、この手を離すことができないと。気づいてしまった。


「あれ?」


 奏澄が、小さく疑問の声を上げた。


「どうした?」


 メイズが問うも、言い辛そうにしている。その視線がメイズの首元を捉えていることに気づいて、メイズの方から心当たりを告げた。


「指輪か?」

「えっあ、うん。いつも、つけてたのになって、思って」


 よく見ている、とメイズは感心した。指輪は服の中に入れていたので、首元からは僅かにチェーンが見えただけのはずなのだが。


「あれは、白虎の船長に預けている。心配しなくても、挨拶に行けば返してもらえる」

「そう、なんだ? なんで指輪?」


 至極もっともな疑問に、メイズは黙った。あれはそれほど高価なものではない。何らかの価値があるから預けた、とは推測できるだろうが、自分にとって大事な物だから、と素直に言うのは気恥ずかしい。


「なんでもいいだろ」


 珍しいメイズの態度に、奏澄は首を傾げた。そして自分の指にはめたペアリングを眺める。


「でも、戻ってくるなら良かった。やっぱり、一緒がいいし」

「そんなに気に入ってたのか」

「もちろん。メイズがくれた、ものだしね」


 表情を緩ませて、奏澄はペアリングを唇に寄せた。それを見て、思わずメイズは目を逸らした。


「どうしたの?」

「なんでもない」


 訝し気な視線を感じるが、目を合わせることができなかった。


「……お前、熱出してた間の記憶、無いよな」

「え? 寝てた間の記憶は普通にないけど……もしかして、何か変な寝言とか言った?」


 急に慌てだした奏澄に、どうやら何も覚えていなさそうだ、とメイズは息を吐いた。


「別に」

「ほ、ほんと? ならいいけど……なんか、夢見てたような気がするから」

「……どんな夢だ?」

「んー……覚えて、ないや」


 眉を下げて笑った奏澄に、メイズはそれ以上追及しなかった。下手なことを言って、記憶を刺激しない方がいい。

 

 それから奏澄の負担にならない程度に、メイズはいくらかの言葉を交わした。

 こうして、何気ないやりとりがまたできることに、言いようのない幸福を感じながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る