緑の海域-1

 ラコット一味とアントーニオを仲間に加え、たんぽぽ団はカラルタン島を出航した。

 ラコットたちは細かいことを気にしない性質たちなので、あっという間に船に馴染んだ。たまにデリカシーの無い言動で女性陣から怒られていたが、力仕事は進んでするので、そこは頼りにされていた。

 アントーニオの料理は乗組員たちに大好評だった。奏澄は手伝いで共に厨房に立つことも多く、人見知りするアントーニオが船に馴染むのに一役買った。次第に笑顔も増え、奏澄は内心ほっとした。経緯が経緯なので無理をしているのではと心配していたが、環境を変えたことはアントーニオにとって良い方向へ働いたようだ。

 一気に人が増えて気苦労も増えるかと心配していた奏澄だったが、特に不都合が起こることもなく、船内は平和だった。ただ一つ、大きく変わったことは。


「っしゃーかかってこいやぁ!」

「おねしゃぁっす!」


 バチン、という人と人の肌が強くぶつかる音がして、反射的に奏澄は肩を竦めた。


「おーおーやってるねぇ」

「マリー」

「あんた苦手なんだったら見るの止めたらどうだい?」

「そうなんだけど、毎日やってれば目に入るから、慣れておきたいし」


 二人が眺める先では、ラコットを筆頭に男性陣が手合わせをしている。

 ラコット一味が仲間になってから、悪天候でない限りは、ほぼ毎日上甲板で戦闘訓練が行われていた。参加は任意だが、ラコット一味は基本全員参加、メイズとドロール商会のメンバーは各自の都合に合わせて参加していた。

 ラコットは格闘技が主だが、カトラス程度なら扱えるようだった。肉体を鍛えるための基礎訓練、格闘術、剣術を指導している。それに加えて、メイズが銃や戦術を教えていた。自身が使うのはリボルバーだが、船に用意があるのはマスケットのみだ。それでも、教えるのに支障はないらしい。

 二人とも『習うより慣れろ』という方針らしく、よく参加者はぼろぼろになっている。

 ラコットはともかくメイズは理論派だとばかり思っていた奏澄は、それを意外に思っていた。参加者いわく、奏澄が見ていると少しましになるらしい。そのせいか、メイズが参加している時は、あまり見ていると良い顔をしない。

 商会メンバーは戦闘員ではないため、戦闘時に表に出る必要は無い。しかし、本人たちたっての希望で戦闘訓練に参加している。自衛程度はできるようになりたいらしい。それは奏澄がセントラルと問題を起こしたからではないか、と思ったものの、聞くことはしなかった。聞けば否定するだろうし、聞くだけ野暮というものだ。

 本来戦闘員ではない者も、戦わねばという意志を持っている。それは、そうせざるを得ない状況下にあるということだ。だから当然奏澄も、その意識を持っていた。では何故戦闘訓練に参加していないのかというと。




「ねぇメイズ、やっぱり私も訓練に参加した方が」

「却下」

「まだ最後まで言ってないじゃない!」


 膨れる奏澄に、メイズは駄々っ子にするように言い聞かせた。


「お前は戦わなくていい。というか、その段階にない」

「でも武器を買った時は、自衛できた方がいいようなこと言ってなかった?」

「あの時は俺とお前の二人しかいなかったし、心構えをしておけという話だ。元々戦えるようになるとは思ってない」

「でも、できるに越したことはないんじゃないの」


 言い募る奏澄に、メイズは溜息を吐いた。呆れられたかと身構えたが、そうではないらしい。言うことを整理しているようだった。


「自衛ってのは、何も戦闘技術だけを指すんじゃない。逃げるのも、隠れるのも、誰かに助けを求めるのも、自分の身を守るための行動だ。お前が危ない目に遭った時、まず最初に考えるべきなのは逃げることだ」

「逃げる……」

「下手に小手先の技術を覚えると、それが『通用するんじゃないか』と錯覚する。真っ先に逃げるべき場面で、立ち向かってしまう。それは一番やったらいけない」


 それは、現代でも警察から教わったことがある。日本には銃刀法があり、一般人は武器を持ってはいけなかった。立ち向かう術がないから、逃げるのだと思っていた。だが、例え武器を持っていたとしても。それが付け焼刃でしかないのなら、無いのと一緒だ。


「というわけで、お前に今できるのは、逃げ足を鍛えることくらいだ。暫くは体力づくりに専念しろ」

「うん……」


 正論過ぎて、何も言えなかった。船内生活では体も鈍るし、セントラルの一件もあり、奏澄も体力づくりをしてはいた。しかし、ラコットたちの訓練に混ざれるほどかといえば、全然足りない。今加わったところで、早々にへばって終わるだろう。何かを教わったからといって、それが覆るわけではないのに。

 へこんだ奏澄に、メイズは言葉を続けた。


「やる気は買う。何かあった時の逃げ方くらいなら教えてやるから」

「うん、ありがとう」


 またフォローされてしまった、と奏澄は力なく笑った。無理を言って困らせたのは自分の方なのに。


「私ムキムキだったら良かったね」


 奏澄は肘を曲げて、力こぶ一つできない腕を残念そうに見た。

 今や女性でもマッチョは珍しくない。武術をやっている、までの贅沢は言わずとも、せめてスポーツ体型だったら、訓練に混ざれる程度にはなったかもしれないのに。

 そう思って零したひとり言も同然の呟きだったが、それを聞いたメイズは顔を逸らせて少し黙った。


「お前は、そのままで、いいんじゃないか」

「……え、嘘。メイズ、もしかして、笑ってる?」

「笑ってない」

「じゃぁこっち向いてよ」

「おいやめろ」


 無理やり自分の方を向かせようとする奏澄に、メイズは手を掴んで抵抗した。奏澄が怪我をしないように加減しているのだろう、力を込める奏澄と拮抗している。


「ずーるーいー」

「見て面白いもんじゃないだろ」

「私は見たい」

「その内な」


 結局あしらわれたが、奏澄は胸が温かくなるのを感じていた。メイズが、笑った。それだけのことが、すごく嬉しかった。

 笑顔を見たことが無いわけではないが、こんな風に無邪気に笑ってくれたことは無かったように思う。気を許してくれているのだろう。


 ――もっと笑ってくれたら、いいのにな。


 仲間も増えて、メイズだけが気を張る必要は無くなった。もっと人を頼って、背中を預けて、気を緩めてくれたら嬉しい。できることなら、自分に頼ってくれたら、もっと嬉しい。

 そのためには、まず心配されることがないようにしなくては。奏澄は筋トレメニューを頭に浮かべた。




 そんなやり取りがあり、奏澄は未だに眺めるだけの日々を送っている。


「ま、うちの男共も鍛えてもらえてありがたいよ。強くなったら商会に戻った後も、わざわざ護衛を雇わなくてよくなるしね」

「うん……そうだね」


 商会に戻ったら。この旅が終わった後の話をされて、奏澄の顔が陰る。最初からわかっていたことだが、それでも離れることが寂しいと感じるくらいには、今の生活に馴染んでいた。


「そんな顔しなさんな。まだ暫くは先の話でしょ?」

「わっ!」


 肩に腕を回されて、マリーとの距離がぐっと近くなる。


「あたしはあんたに最後まで付き合うって決めてるから。あんたが無事に元の世界に帰るまでは、一緒だよ」

「……うん、ありがと、マリー」


 そう。いつかは、この船の人たちとは離れる。奏澄は元の世界に帰るために、旅をしているのだから。その目的を遂げれば、皆もそれぞれの場所へ帰る。


 ――メイズは。身を寄せる場所は、あるのだろうか。


 帰る場所は、無いのだと言っていた。奏澄が元の世界へ戻った後。メイズは、どうするのだろう。


「カスミ?」

「ううん、なんでもない」


 やめよう。今はまだ、それを考える時じゃない。

 自分は、元の世界へ帰るという自分の願いのために、これほどの人たちを巻き込んでいる。まずは、それを達成するところからだ。

 奏澄はもやもやとした気持ちを振り払うように、笑顔を作った。

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