ブエルシナ島-6

 部屋に荷物を下ろすと、メイズは再び買い物へ出かけた。ある程度必要な物は一人で揃えられるから、その間に奏澄はゆっくり湯浴みすれば良いという配慮だった。

 仮にも怪我人であるため、荷物を持たせることを奏澄は渋ったが、本人が全く問題無いと言い張った。それ以上意固地になっても堂々巡りになりそうだったので、奏澄が折れた。

 気づかいに甘えて、奏澄は温かな湯を被った。ほっとする温度に僅かに心が解れる。しかし、すぐに肩に涼しさを感じて苦笑した。

 風呂屋が無い時点でそんな気はしていたが、やはりシャワーは無かった。そもそも浴室があるわけではなく、深めの木桶に沸かした湯を入れて、差し水で温度を調整する形だった。深めと言っても当然肩まで浸かれるはずもなく、またバスタブのような保温性も無いため、湯の温度はどんどんぬるくなっていく。

 気温が高いから風邪をひくことはないだろうが、あまりのんびりするものでもなさそうだ、と溜息を吐き、奏澄は手早く体を清めた。


 買ったばかりの服を身につけ、姿見の前で確認する。麻で出来た生成りのシャツに、ゆったりとした紺のパンツ。温暖なブエルシナ島らしい、涼し気な着心地だった。襟元は開いており、そこに見慣れたネックレスが無いことに寂しさを覚える。首を振って、その気持ちを払った。あれは必要だった。その選択を、後悔などしていない。


 ベッドに倒れこんで思い切り息を吐く。メイズが戻ってくるまでもう少し時間があるだろう。久しぶりの柔らかい感触に、泥のように沈んでしまいそうだった。すぐに出かけなければならないのだから、あまり深く眠らないように、と自分に言い聞かせて、奏澄は目を閉じた。




*~*~*




 何かを叩く音に、奏澄の意識が引き戻される。ああ、これはドアをノックする音だ。メイズが戻ってきたのだろう。重たい瞼をむりやり動かそうとして、眉間に皺が寄る。

 少し間を開けて、再度ノックの音がした。慎重な男だ。鍵は持っているのだから、このノックは奏澄に気をつかってのことだろう。返事にならない呻き声を上げつつ、のっそりと身を起こす。それと同時に、メイズがドアを開けた。


「寝てたのか?」

「すこし」


 微妙に呂律が回っていない。意識をはっきりさせようと、こめかみをぐりぐりと押した。


「眠いならもう少し寝てるか?」

「いえ、明日発つんですから、今日中に買い物を済ませないと。出ます」


 メイズも中途半端に待たされても困るだろう。気合を入れるため、勢いをつけてベッドから立ち上がる。


「行きましょうか」

「ああ」


 メイズには聞きにくい、女性に必要な諸々については、湯を用意する時に宿屋の女将に聞いておいた。それらを思い出しながら、スムーズに買い物が済むことを願って、奏澄はメイズと共に宿屋を出た。




*~*~*




「だいたい揃ったか?」

「そうですね、概ね」


 身なりも整え、金銭を持っていれば、買い物は何事もなく済んだ。最初こそ身構えたが、何てことはない。元の世界と同じように、人の営みがあるだけ。地域性はあるだろうが、この世界の人間が特別冷たいわけでも優しいわけでもない。むしろ言葉が通じる分、元の世界の外国より難易度は低かったかもしれない。そう考えることで、奏澄は異様とも思えたこの世界を、少しだけ身近なものに感じることができた。

 買い物のシステムも、特に困惑することはない。通貨の概念があるので、基本的な計算さえできれば問題なかった。貨幣は世界共通で、金貨・銀貨・銅貨の三種類。島によっては物々交換でないと応じない場所もあるそうだが、ほとんどの島では貨幣が使用できる。しいて言えば、レジスターが無いので、おつりを誤魔化されたりしないか、物の値段が正しいかを注意しなくてはならない。


「宿に戻りますか?」

「いや、最後に寄る所がある」

「寄る所?」

「武器屋だ」

「武器……」


 日用品を買い揃えて、すっかり気が抜けていた奏澄の心が急激に張り詰める。

 武器。そうだ。この世界は、武器の必要な世界なのだ。メイズが腰に下げているものは、飾りではない。海に出ようと言うのなら、奏澄にも覚悟が必要だ。


 重い扉を開けると、中には銃器や刃物の類が平然と並んでいた。思わず生唾を呑む。

 メイズは慣れたように店員に話しかけ、何かを探してもらうようだった。


「その銃以外にも、武器がいるんですか?」

「使えなくはないんだが、これは使いにくい。できれば慣れた銃が欲しくてな」

「あれ? この銃、メイズのじゃないんですか?」

「これは俺のじゃ――……」


 言葉を途中で詰まらせ、メイズは目を逸らした。まずいことを聞いただろうか、と奏澄が不安に思い始めたところで、店員がメイズを呼んだ。


「悪い、何か使えそうなの見ててくれ」

「はい」


 メイズが店員とやり取りしている間、奏澄は店内を見て回った。使えそうな物、と言っても、奏澄は武器を扱ったことなどない。触れることもためらわれて、文字通り眺めているだけだ。

 銃なら引き金を引くだけだから、扱いやすいだろうか。でも、手入れができる気がしない。

 剣なら持っているだけで見栄えするだろうか。でも、まともに使えるまでには相当訓練が必要だろう。

 他にも種類はあるようだが、何に使うのかよくわからないような物まである。スタンガンでもあればわかりやすかったのに、と思ったが、無いものは仕方ない。


「良さそうな物はあったか」

「さっぱりです……」


 目に見えて眉を下げる奏澄に、だろうなという表情のメイズ。腰元には、変わらないマスケットが差し込まれていた。


「メイズのお目当てはなかったんですか?」

「ああ、交易はあるようだからもしやと思ったんだが、もっと大きい島じゃないと駄目だな」


 残念そうに溜息を吐くメイズに、奏澄も同調する。武器のことはわからないが、馴染みの物が無いというのは不安だろう。それが命に直結するものなら、尚更。

 せめて奏澄は何かちゃんとした物を買わなければ、と気を取り直して武器と向かい合った。


「初心者が扱いやすい武器って何かあります?」

「そうだな……どんな武器でも扱うには心得が必要だが、護身用ならナイフで充分じゃないか」


 そう言って店内を見回すと、メイズは小型なナイフを一つ手に取った。


「このくらいは持っておいた方がいい。武器として使わなくても、あれば役に立つ」

「なるほど」


 確かに、島々を渡り歩くのなら、サバイバルという観点からもナイフはあった方がいい。刃物を身につけることに抵抗はあるが、丸腰というのも嘗められる要因になる。

 とはいえ。とはいえ、だ。


「私に、使えますかね」


 じっとナイフを見つめる。これは人を傷つける道具だ。今まで生きてきて、奏澄は人を殴ったことすらない。いざという時が来たとして。自分に、これを扱えるだろうか。その覚悟は、持てるだろうか。

 思わず口にした後で、これではただの弱音だと気づき慌てて取り繕おうとする。だが奏澄がそうするより早く、メイズが口を開いた。


「お前がそれを使わなくていいようにするのが、俺の役目だ」


 息を呑む奏澄に、メイズは言葉を続けた。


「だが、絶対は無い。万が一の事態は常に考えておけ。他の誰を害しても、お前は、自分を一番に考えろ」


 その『他の誰か』には、メイズも含まれるのだろう。それに気がついて、奏澄は唇を引き結んだ。

 メイズは、何を犠牲にしてでも、奏澄を守ってくれるだろう。奏澄が自分自身を守れなければ、失うのは奏澄の命だけではない。自分を守るということは、メイズを守るということだ。


「わかりました」


 その返事に、メイズは僅かに目を眇めた。

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