魔力回収機構 終末のアトリビュート

七海 まち

魔力回収機構 終末のアトリビュート

序章

序章 刃面の瞳

 七百年前、一人の男が「大災害」を引き起こした。

 彼は突如手にした「魔力」を暴走させ、世界の大部分を灰に変え、約八割の生物を死に追いやった。

 男は、星屑のような斑点のある目と、肉体再生能力を持っていたと言う。本名は不明のため、今日まで「アバドン」の名で語り継がれてきた。

 アバドンの忌まわしき魔力の残滓は、崩壊後の世界にいまだ影響を及ぼし続けている。人々を「傀儡魔くぐつま」に仕立てて異常行動を起こさせるのみならず、ごくまれに彼と同じ性質を持つ赤子が産まれるようになった。かつて「アバドンの子」と呼ばれ、ただちに生贄として天に返されてきた彼らは、現在では「稀人まれびと」の名で呼ばれている。

 彼らを旧習から救い収監・保護したのが、当機構の前身である魔力研究庁である。われわれの研究と教育により発露した稀人たちの力は、傀儡魔に取り憑いた魔力の回収を可能にさせた。

 魔力の回収と根絶。それこそが、われわれ魔力回収機構の目的である。


 ――『魔力回収機構 設立宣言』より



  序章 刃面の瞳


 金属音で目が覚めた。

 手足の動きを封じる鎖が、わずかな痙攣とともに引っ張られたようだ。

「起きたか」

 姿の見えない男の声に、イザヤは乾いた口内を舌で舐めた。

 だるい。頭が、ひどく重い。部屋を満たす冷たい空気とは裏腹に、体内を駆ける血はやけに熱く、寝台の四隅に伸びた手足の指先で脈打っている。

「番号と名前、合言葉を」

 男は機械的に言った。手術前、麻酔をかけるのに必要があるのかと問うたイザヤに「決まりだからな」と言って手錠をかけたときと同じ声だった。

「一一〇六一、イザヤ。――『石を切り出す者は石に傷つき、木を割る者は木の難に遭う』」

 旧世界文書の一節を唱えると、男は「ふむ」と感情のない声を返す。

「意識ははっきりしているようだな。気分はどうだ」

 白い天井と壁の視界に、黒衣の男の無表情が加わった。重い目玉を動かし、辺りを見回す。寝かされる前と変わらない、施術室の風景。「魔力回収機構」内の一室だ。イザヤの住む独房から窓と祭壇をなくしてわずかに広げれば、この部屋の風景と同じになるだろう。

「終わったんですか。左目の、交換は」

 声に若干の不審を感じ取ったのか、男――機構職員は乾いた笑いを漏らした。

「無事に終わったぞ。額の傷も既にふさがっている。半月を待たずに、おまえは回収人として外に出ることになる」

 手錠がはずされ、両手が自由になる。イザヤは右手を顔の前にかざし、動かしてみた。鼻より左に動かすと、途端に手が見えなくなった。指で睫毛を撫でてみても、その動きは彼の視界の上に像を結ばない。

 左目の交換手術。麻酔効果のある魔石を一時的に額の中に埋めて行われるこの改造手術のことを、イザヤは子供の頃から胡乱うろんに感じていた。成人年齢である十五歳を迎え、「回収人」として外の世界に出る前に行われる、不可欠な儀式。

 回収人は、イザヤのような稀人に許された唯一の職業だった。物心つく前からこの機構内に収監され教育を受けてきたのは、この日のためだったと言っても過言ではない。

「回収人の任を解かれない限り、おまえは右目でしかものを見ることができない」

 メスを布で拭いながら、職員は続けた。

「その左目の持ち主――『目』が自身の意識を彼の肉体に戻している間も同様だ。もう『目』の声は聞いたか」

 そう言うと、職員はイザヤの左目にちらりと視線を向けた。

「いえ」

「まだ眠っているか。そのうちしゃべり出すはずだ。わかっていると思うが、『目』の声はおまえにしか聞こえない。外に出たら、会話する場所は選ぶように」

「わかっています」

 この左目の持ち主――イザヤの左目を移植されたもうひとりの稀人――は、この機構内のどこか別の部屋で同じように寝台に横たわっているはずだった。閉じられたままのまぶたに、そっと手を触れる。撫でるように指を動かしてみるが、眼球は動こうとしなかった。

「乗馬訓練の間に懇意になっておけ。そうすれば後が楽になる」

 それまでの事務的なものとは異なる物言いに、イザヤの張りつめた気持ちが一瞬緩む。

「『目』は回収人の監視役であり、友人ではないと教わりましたが」

「それは建前だ。同じ稀人同士だろう、仲良くやれよ」

 イザヤは聞こえない程度に細く息をついた。これまでに彼が会話を交わしたことがあるのは、教育係の司祭と、数名の機構職員のみ。幼い頃より機構内の独房で過ごす稀人は、互いに顔を見ることも会話を交わす機会すら与えられないうえに、こうして手術をした後でも、職員から相手の情報を知らされることもないのだ。

「さて、おまえの魔石だが」

 イザヤの顔に影が落ちた。厚みのある金色の指輪をつまむ男の手が、右目の上に差し出されたのだ。そこに嵌め込まれた小さな魔石を見て、イザヤは思わず息をのんだ。

 男から指輪を受け取ると、黄色い魔石の中に渦が生じた。イザヤは、魔石の部分をぐっと右目に近づける。

 やがて見えてくる、鮮やかな図像。頭の中に流れてくる、文字情報。稀人にしか感知できないそれを味わった後、イザヤは小さく息を漏らした。

「気に入ったか」

「……私の、一番好きな『主題』です」

 興奮から、誰にも話したことのなかった思いが口から漏れ出でた。

「意外だな」

 男の言葉に、イザヤは指輪を目から離した。

「回収人の歴史上、この魔石が反応したのはおまえが初めてだ。それはそれは激しく渦巻いていたぞ。おまえの精神に共鳴するかのように、な」

 そう言うと、男は近くの台に置かれていたメスをイザヤの前に差し出した。

「見てみろ。おまえの相方――左目も、その魔石と同じ色だ」

 そこに映った二つの瞳には、どちらも稀人特有の星屑様の斑点が散っていた。しかし、左右で色が違っていた。右目は瑠璃色。左目は、琥珀色。

 まず、右目が小さく見開かれた。そこから少し遅れて、左目がゆっくりとまばたきをした。

 ――星屑の向こうに、自分ではない存在がいる。

『よう』

 頭の中に、男の声が響いた。

『おれはエレミヤ。今日からおまえの「目」だ。よろしくな』

 左目が、わずかに細められる。イザヤは答えることも忘れ、その黄色い瞳をじっと見つめた。

 青の目と、黄色の目。

 この二つの目で、自分は運命に立ち向かっていくことになるのだ。

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