第23話 改稿しました 6月1日
隣を歩く椿の横顔を、太陽が赤く染めていた。それでも底の無い闇色の眼が俺を見据える。
「無人まで帰らなくて、良かったのに」
「一人にしないって言ったから……最後まで責任持とうかな、と……」
「そう」
無表情に違いないが、穏やかな顔をしている。何となくそういう印象だった。
「ここ最近、貴方を見ていた」
急に何を言い出すかと呆気に取られていると、彼女は続ける。
「人を避けてない?」
「え? そ、そんな風に見えた?」
「御免なさい、ちょっと違うかも知れない。避けられてる?」
子供の様な純粋な気持ちで問うたのだろうが、俺の内心は動揺を隠し切れない。
「うそ、本当に!?」
「ううん、これも違う」
「はぁ、いきなりどうした」
「興味が湧いたの」
ただでさえ表情が無く、思考を読み難い上に、彼女の言動はいつも突然だ。何が言いたかったのか、良く分からない。彼女は宙を見て、必死に言葉を探し始めた。
それを見守る内、影は細長く伸びて、いずれ全てが一つになった。街灯は点滅を始め、そして薄白く光る。もうすっかり夜だ。
その時、影が動いた。音は無く、石の塀を移動している。椿もそれに反応して、影を追うが見失ってしまった。
「今、何か通った」
「ああ、きっと……」
泣き声が背後から聴こえてくる。その姿は、不吉の象徴だった。白内障を患っている白い双眸が黒に浮かんでいる。
「『あんかけ』、久しぶりだな。おいで」
俺が呼び掛けると、その猫は甘い声を出して擦り寄って来る。
「美味しそうな名前ね」
「首輪に書いてあった」
八年前から現れた「あんかけ」は、すっかり毛並みが悪くなってしまい、老化が進んでいる。最近見なくなったのは、そういう事だと思っていた。
「あんかけ」
椿が呼び掛ける。膝をアスファルトに押しつけて、手を広げる。その姿に、見覚えがあり俺は唾を呑み込んだ。
だが、黒猫の方は毛を逆立てて威嚇した。近付こうものなら、噛み付かんとばかりに牙を見せている。
「私、動物にも嫌われてるの」
「……そう、なんだ」
俺が触れても噛み付こうとはしない。彼女に対して並々ならぬ違和感を覚えたらしい。
「生まれ付きなのか? その動物や、子供に好かれないのは……」
「分からないけど、物心付いた時からこうだった」
「そ、そっか……」
尻尾の付根を二度叩く。此れがお別れの合図だ。黒猫はその老体に似合わず、軽々しく塀へ登ると、振り返りもせずに歩き去って行った。
「猫派って自己紹介の時、言っていたよね?」
「ええ」
「不憫で仕方ないな」
無垢で有れば有る程、付随するあらゆる情報に眼を向けず、本質を捉える事が出来る。それら生物は彼女の何に怯えているのだろうか。
俺達は、また歩みを進めた。
⭐︎
「無人は、友達が嫌いなの?」
椿の家の明かりが遠くに見えた頃、沈黙は破られた。
「もしかして、さっきの話?」
「ええ」
友達。嫌いな単語の一つだ。
「別にそう言う訳じゃないけど……」
「じゃあ、どうしていつも一人なの?」
椿から強烈な目線を感じる。折角興味を持ってくれたのに、答えない訳にも行かない。それに、彼女には知って貰いたい気もする。
だが、何て説明するのがいいだろう。
「……そもそも友達と思って居ないから、かな」
「私の事も?」
「それはちがっ……」
咄嗟に否定する。そして、大きく溜息を吐いた。
「此れは我儘で、独りよがりで……ただの強がりだから、適当に聞き流して欲しいんだけど……」
「その……友達って何なのか、良く分からなくなってしまって。皆んなとは素直に向き合えない……椿は特別って言うか、昔の俺を知らないから」
「喧嘩でもしたの?」
「どちらかと言うと、裏切られた……って、当時は思った」
「当時?」
「中学卒業後の話だ。特に仲の良い友達が三人居てな。彼らは、神委高校へは進学しなかった」
「確か信仰心の維持の為、神委市に残るのが式たりな筈」
「ああ。だが、反対を押し切って出て行く者も一定数いる。特に子世代はな」
「そう」
「結局俺は取り残された訳だが、別にそれでも良かった。他の連中も良い奴が多いし……其れに三人とは、連絡を取り合おうって約束していたから」
「でも、その約束が果たされる事は一度も無かった。彼らには既に新しい世界があって、残された人の事なんて考えてない。離れて終わりの関係なら、もう要らないかなって……」
「勝手な言い分ね」
「最初にそう言ったろ? そんな風にしていたら、いつの間にか良く分からなくなってた」
高校入学後は誰とも関わらないで生きていたら、性格も捻じ曲がり、孤独を強く感じる様になった。素直にもなれないし、今更仲間に入れて貰う訳にも行かない。
人は一人で生きて行けない。孤独に陰鬱としていた時、幽霊の葵さんと出逢って、救われた。今となっては、ただの強がりだけがこうして残っている。
いつの間にか歩く事を忘れていた。椿はただじっと俺を見ている。
彼女に何を求めて、この話をしたんだろうか。態々過去を蒸し返す必要も無かったように思える。
「椿は、前の学校の友達と連絡を取ってるのか? ケータイも持ってるんだし」
「連絡をした事は無いわ」
「あんまり仲良く無かった、とか?」
「いいえ。連絡したいとか、そんな風に思わないの。でも……」
彼女は続ける。眼に宿るのは、珍しく強い思いだった。それが怒気に近いとは、この時の俺は夢にも考えても居ない。
「友達は、私に新しい価値をくれる大切な存在。無人もその内の一人」
「それは光栄な話だな」
「無人そう言うけど、どうして自分から連絡しないの?」
「どうしてって……そりゃあ、意地かな」
「だったら、被害者振るのはもう辞めなさい」
自分から連絡しようとしなかった。何故なら当時の俺は勝手に裏切られた気で居たから。そんな相手に連絡を入れるのは、プライドが許さなかったから。
たがら、ただの「強がり」なのだ。
俺の変化に気付いた人は、こんな下らない理由だとは知らなかっただろうが、励ましの言葉を掛けてくれた。
一年と少しの間、それに甘えていた。椿に叱られた事で、漸くこの「強がり」に辞め時が出来た気がする。
「返す言葉も無い」
そう言った俺の心は清々しかった。
だが、椿はほんの少しだけ眉を顰めて「私は貴方が恨めしい」と呟き、そこで丁度椿の家に到着した。
⭐︎
大きな満月が、背の高い針葉樹林から顔を出している。不気味に草木が揺れると、何処からか金属が擦れ、木材の軋む音が聞こえて来る。
「今日はありがとな」
「ええ、それじゃあまた学校で」
少しの間があった。
「あ、あのさ……久遠に言っていた事なんだけど」
「あれは、あの人がしつこかったから……利用したみたいで、御免なさい」
「そ、そっか……でも、既に付き合ってるって噂が広まってるというか……」
「私はそういうの無視するから平気」
「じゃあ、別に放って置いてもいいのか……」
「ええ」
やはりはっきりと認める事は出来ない。
「少なくとも、私達は友達」
「ああ、友達だ」
会話は続かず、口数も少ない、だが居心地は良い。このまま、曖昧な関係を続けるのも悪くない。
ずっと今日のままでいい。
どうしてか、今はその様に感じた。
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