第22話
時刻は午後二時。今日は、久遠主催のカラオケが開催される日だ。
駅前には、見知った顔が既に集まっている。久遠は勿論の事、美妃虎子や白鷺めい、純恋樹咲の姿もあった。
俺は今一つ輪に入る気になれず、バレない様少し離れた位置で定刻まで待機していた。
すると、背後から声がした。
「無人……?」
振り返る。そこに居たのは、椿だった。
「あ……」
まるで声にならなかった。彼女が体育の授業で倒れて以来、一度も口を聞いていない。
それは、単純明快な理由だ。
彼女の素顔を見て、肌に触れ、喧嘩し、そして「好き」だと伝えた。それがどう言う意味だとしても、事実として互いにそう伝え合った。
俺は、ただただ恥ずかしかった。
「なに?」
「いや、別に……」
「そう、じゃあ行きましょ」
だが、彼女は至って普通だった。
皆んなの元へ向かえば、久遠に驚かれる。
「無人と椿ちゃん、一緒に来たの!?」
俺がその誤解を解いている間、椿は白鷺達の相手をしていた。
「葵さん、お洒落だね」
白鷺の背後にいた純恋は、椿の元へ擦り寄って何度も頷いて肯定する。
今日の彼女は、ワイドパンツを着用している為、シルエットは大きい。だがその分、彼女の細い体躯が際立っている。レザーブーツのお陰で、身長も少しは高く見えた。
そんな姿も、俺を惑わす要因の一つだ。
因みに俺の推しポイントは、時折見え隠れする黒に覆われた細い脚首だった。
「ど、何処で買ったの……?」
純恋が問う。
「東京よ」
「あっ! そ、それは……買いに行けないや」
「なぜ?」
「……私は、神委の外に出れないから」
「通販とかは?」
「うーん……やった事無いし……」
純恋は、もじもじと自信なさげにしている。眼を執拗に動かす姿は、椿と正反対だ。
「私と一緒に見る?」
「ほ、ほんと!? 見たい!!」
「ええ」
「良かったね、樹咲」
「うん」と、純恋は恥ずかしそうに頷いた。
⭐︎
定刻になり、カラオケ店に入った。案内された部屋は豪華な装飾のされた大部屋だった。モニターは三方に構えられ、スタンドマイクも完備している。
「神委市にこんな所あったんだ」
「何言ってるの? 初めてなの無人君だけだよ」
咄嗟に出た感動の言葉は、白鷺によって咎められてしまった。
コの字に並ぶ長椅子に、十八名の参加者は、各々好きな場所へ座りだす。
俺は椿に服を引っ張られ、隅の席へ座った。
「約束……」
「ああ、ちゃんと覚えてるよ」
彼女を一人にはしないと、そういう約束でここへ参加して貰った。今日は責任を持って、彼女に仕えるとしよう。
誰かが部屋の電気を消し、ミラーボールが回り出した所で、雰囲気に当てられた皆の高揚感は高まっていく。
ドリンクバーのコップが配られ、中央の席では誰が一番最初に歌うかで盛り上がっていた。
「椿は、何飲む?」
特に変わり映えしない椿は、黙って俺を見ている。
「飲まなくても、取り敢えず何か入れとかないと……」
「じゃあ、オレンジで」
いつの間にか隣に座っていた白鷺と樹咲が、同様のやり取りをしていた。
「樹咲は何飲むか決めた?」
「い、一緒に行くよ」
「駄目だよ。他のお客さんも居るんだし、混んじゃうでしょ」
「そ、そっか……じゃあ、コーラにしようかな」
そうして、俺と白鷺は一度部屋から退出した。
地層をモチーフにしているのか、壁は複数の茶色で塗られ、化石が複数の箇所に描かれている。こうして見ると、各部屋は洞窟のような印象を与える。
休日の昼過ぎという事もあり、殆ど満室に近い。
「まるで葵さんの保護者のようね。無人君は……」
「……それは自虐のつもりで言ったのか?」
「はい?」
白鷺は冷たく俺に微笑み掛けた。
「い、いや何でもない……椿は俺が誘ったから、責任を持たないとなって、それだけだよ……」
「ふーん、そう…………ほっとけばいいのに」
ボソッと何かを呟いた後、少し後ろめたい様子で言う。
「樹咲はね……」
だが、それに続く言葉は無かった。
⭐︎
大部屋に戻ると、既に歌い始めている人が居た。そして、俺が席を空けた事で、いつの間にか椿の横には久遠が座っていた。
激しい曲がバックで流れている所為で、何を話しているか分からない。だが、大方予想は付いている。
取り敢えず、ドリンクを机に置くと椿と眼があった。
「無人君、あっち空いてるから一緒に……」
白鷺が俺の手を引くが、それを振り払った。
「無人君……?」
「久遠悪いけど、そこ交代してくれ」
一生懸命椿に話し掛ける久遠だが、彼女は聴いていないし、美妃虎子はずっとこっちを見てるしで、散々だ。
流石に手応えが無いと理解した久遠は、素直に席を譲渡してくれた。
「最近ちょっと気になってたけど、お前らって付き合ってるの?」
半分冗談のつもりだったと思う。嫌味な言い方では無かった。
だが、それに椿は「ええ」と肯定した。
「あはは、そっかそっか。それは悪かったな」
「やるな!」と肩を叩いて久遠は自分の席へ戻って行った。
「え? 付き合ってたの、神栖君?」
肩身を狭そうにしていた純恋は、俺の脚に手を置いて疑問を投げ掛けている。
だが、それは俺自身が椿に問いただしたい事だった。
椿が倒れたあの日、確かに「それらしい事」はあった。しかし、そういう認識だったとは、今初めて知った。
仮に、このまま付き合うとして、どう接して行けばいいのか。女性と付き合った事の無い俺には分からない。
それより、幽霊の葵さんの方はどうすればいいんだ。
「あれ、めいは?」
「神栖君、めいは? めい……」
純恋の泣きそうな声と、手の圧に漸く彼女の言葉が耳に届いた。
「え……? 一緒に来た筈だけど……」
机には4つのコップが並んでいる。確かにさっきまで此処に居た。
「何処行ったんだ??」
「さっき出て行った」
椿が言う。
「わ、私探して来る」
それを聞いた純恋は出て行ってしまった。
嫌な予感がした。さっき無理に手を払ったからそれの所為だろうか。
だがその時、隣からカラオケ専用のタブレットが回ってきた。
「葵さん何歌うのかな」
そんな声が、何処からともなく聴こえて来た。
「あー、どうしよう。椿は、何か歌いたいのある?」
「…………一緒に」
「え? 二人で歌うの?」
椿は頷く。ハードルが一気に上がってしまったが、渋々俺は同意した。
遅い曲がいいとの事で、タブレットを操作しながら該当の曲を探す。その最中も、白鷺の事が気掛かりとなっていた。
「こ、これは?」
検索した曲を椿に見せると、彼女は頷いた。その曲を選択し、タブレットを久遠の方へ持って行った。
久遠の近くに座る美妃虎子から「応援してる」とニヤけながら鼓舞された。
「あ、椿これ。オレンジジュースな。ストローも持って来たから、マスク着けていても飲めるんじゃないか?」
「ええ、有難う」
俺はストローの袋を開け、椿のコップに取り敢えず差し込んだ。すると、直ぐ近くの扉が開いた。
純恋が白鷺を連れて帰って来た。
「何処行ってたんだ……?」
「無人君には関係の無い所!」
白鷺は少し不機嫌で、その横で純恋は苦笑いをしていた。
何はともあれ、白鷺が無事に戻ってくれて良かった。後は、歌の順が回って来るまで、この雰囲気を楽しむとしよう。
⭐︎
激しい音楽にノリノリの合いの手と熱唱、プラネタリウムの様なミラーボールの輝きとモニター内の目まぐるしい景色の変化。
そして薄暗い室内は、椿の無表情な顔をより美麗に見せていた。
そんな彼女に見惚れた。
チクッと左脚に痛みを覚えると、白鷺の手が引っ込むのが見えた。彼女はここに戻って来て以来、機嫌が悪い。後で謝罪を入れとかないと。
俺と椿の歌が回ってきた頃には、場の空気は最高潮に盛り上がっており、マイクを持った瞬間にどっと緊張が増した。
「葵さんって歌うんだ」
「この曲ドラマの奴じゃない?」
「二人で歌うの?」
誰かがそんな事を言っている。
「神栖くーん!」
此れは美妃虎子の声だ。テンションが高い。
椿の方を見ても、いつも通り無表情のままだ。
「椿、大丈夫か?」
「ええ」
伴奏が流れ、直ぐに歌詞が出る。歌い出しが肝心だと思い、俺は精一杯声を出した。
だが、意外にも俺の発した声は低く、画面に映し出せれた音程バーを見なくとも、外れている事が分かった。
一気に頭が真っ白になった。
俺の声が小さくなるにつれ、音程バーは正しい位置になる。
すると、歓声が沸いた。
椿は、水の様に透き通った歌声で、正確に音程を合わせている。少々メリハリの無い無機質さを残しているが、それを差し引いてもこの曲に合った、素晴らしい歌声だった。
俺は思わずマイクを下ろしてしまったが、椿に袖を引っ張られて、再び歌い直した。彼女の歌声に合わせれば、音程を取るのも容易だった。
彼女は最後のロングトーンまで歌い切り、曲が終わった後の静まりは、徐々に歓声へと変わっていった。
⭐︎
終わりが近付いてきた。
あの後椿は、数人に強請られてもう一曲歌わされていた。その場のノリに付き合わされるのも、団体としての醍醐味だ。少しは楽しんで貰えただろうか。
終了の電話が鳴り、最後に一曲全員で歌ってから大部屋を退出した。
今は午後六時。
カラオケ店を出てからも余韻は冷めず、帰るタイミングを見失った皆は、夜ご飯ついて話し合っていた。
「楽しかったか?」
俺は椿に尋ねた。
「ええ。無人は?」
「ああ、楽しかった」
「そう、良かったわね」
「椿って、歌上手いんだな」
「お母さんとリビングで、たまに歌ってるから」
全く想像が付かない光景だ。
「そ、そうなんだ」
「この後どうするの? ご飯なら行けない」
椿はマスクに手を触れた。その下に何が隠れているのか、知っているのは俺だけだ。
「そうだな。ちょっと久遠に言ってくるよ」
そうして久遠に、俺と椿が帰る事を報告すると、快く了承してくれた。
だが、白鷺に呼び止められた。純恋は眉を顰めている。
「帰るの?」
「え? ああ、まあ一応そのつもりだけど……」
「ふーん」
「あ、さっきはごめんな。手痛くなかったか?」
白鷺は、一瞬驚いた素振りを見せた。
「あー、あれは別にいいよ……はぁ、彼女が出来たんなら言って欲しかった……私馬鹿みたいじゃない」
「彼女!?」
そうだ、椿とその事について話さないといけない。
白鷺は眼を細めて睨み付けている。
「誤解だよ。と言うか、どっちが誤解してるのかよく分からない。椿と話して来るから、その事は、広めないでくれよ」
「全然意味が分からない、ってかもう広まってるし……」
俺は彼女の元から去って、椿と共に帰路に着いた。
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