第22話【ゲームに、リアルを求めすぎたら……】

 この本は、いつからここにおいてあるのだろう。虫食いに侵食され、少し触っただけで破れてしまった。


 落ちている物を動かすだけで鼻と目が痛くなる。クシャミと涙が止まらなくなり、苛立ちから集中力が削られてしまう。


 この駐在所に配属されて数日が経った。いまだに同じ職場で働く人間やNPCとの交流はない。挨拶すら無いのだ。


 警ら任務をこなす以外は、駐在所の片付けをしているのだが、一度も声をかけられたことはない。


 俺の行動や存在に興味を持ってくれるのではないかと期待している自分が情けなくなってくる。


 思えば、元の世界。いや、過去の世界かもしれないけれど、同じような働きぶりだったと思う。もっといえば、学校生活もそうだった。


 皆が嫌がることを積極的にこなして、誰かの顔色をうかがう。認めてほしくて、褒めてほしくて、自分を傷つけながらも努力した。


 全ては、無駄に終わってしまったが……


「いや、だからって、今さら辞めるわけにはいかないよな。ここまで片付けたんだし──うん」


 俺は独り言を言いながら、拾い上げた鉄くずにしか見えない物体をリアカーに入れる。


 このリアカーは、ここ数日の俺の相棒だ。駐在所の横で、ゴミに埋もれていたのを使用している。


 使用許可は、取っていないので、もしかしたら怒られるかもしれない。


 俺は、二階に行くための階段を見つめる。俺以外の駐在所に務める者は、警らが終わるとそそくさと二階に戻っていく。


 一階にいるのは、俺といまだに飛び回る羽虫だけだ。初日に比べると、数は少なくなった。手を付けていない生ゴミの周辺で最後の砦を守っている。


 換気のために開けている窓から風が入ってくるたびに、鼻の奥を突き破るほどの臭い匂いがする。


「こんなところまで作り込む必要があるのか? はあ……。生ゴミってどこに捨てるんだろう」


 鉄くずにしか見えないゴミは、裏路地に集積場があるので、リアカーでそこまで運ぶ。生ゴミもそこに捨てても良いものなのだろうか。


「おい……。お前は、片付け機能を持つNPCなのか? 本部の奴らは、ここの散らかりようが気に入らないのか?」


 不意に背後から声が聞こえてきた。悪寒が走り、俺は後ろを向く。そこには、軽鎧を身に着けた騎士が立っており、俺を睨みつけていた。


「え?」


 俺は、返答に窮した。騎士が、NPCなのか人間なのかが分からない。質問の意図も理解できないのである。


「──NPCが人格を与えられたって話もあるそうだが。たしかお前は、S63と言ったな? 質問にも答えられないのか? 毎日毎日同じようなことをしているのは何のためだ?」


 騎士は、ゴミを見るように目と眉をひそめた。換気のために窓を開けていて部屋のなかは、人の顔が見えるほど明るい。


 そのことを騎士の顔を見て後悔した。


「…………」


 俺は、言葉を飲み込んだ。というよりは、言い返す術が見つからなかったのである。


 本当は、NPCではない。名前は、S63ではなく、「シュウ」なのだ。と声高に叫びたかったが、それが何になるのだろう。


「ふん、NPCはNPCだ。どれほど進化しようとも、人間になれない。貴様を見て安心したよ。俺の考えは間違ってなかった」


 騎士は、言葉を吐き捨て二階へと上がっていく。NPCに対する増悪を感じた。


 俺は、リアカーにガラクタを入れる。ゴミとゴミが、すれあう音が響く。


 NPCになりきることが、自分を守ることになると、エドガールは言った。本当にそうなのか?


 俺以外のNPCも、同じような扱いを受けているのだろうか。



 日差しが強い。大通りを行き交う人々の話し声が、ぶつかりあう。甘い匂いや刺激臭。目が眩むほどの人だかり。


 俺は、五感が狂うほどの人混みが嫌いだ。

 

 リヤカーを引きつつ、裏路地の集積所を目指しながらも、このゲームの──ハイリアルに住む人々のNPCへの扱いについて考えていた。


 前を歩く群衆が立ち止まる。笛のような甲高い音とともに。


 人の群れが、次々に片膝をついていく。まるで、騎士が国王に謁見するような感じだ。奥の通りから、大げさなほど真っ赤に塗られた馬車がこちらに向かってきていた。


「王族馬車だな」


「おい、顔を伏せとけよ。めんどくせー」


「ゲームのなかでも、ペコペコしてなきゃいけないのか……」


 二人の男が、声を抑えて話していた。やはり、彼らにとってハイリアルは、リアルと陸続きになってしまっているのだろう。


 彼らにとっては、エドガールたちが主張する現実を忘れるための場所とは、名ばかりのようだ。


 俺は、周りの人間に合わせるため、リアカーを止めて片膝をついた。


 御者が、長いラッパような物に口をつけて左右に振っている。


 馬のような生物に乗った騎士たちが、赤い馬車を守るように周囲を睨みつけている。


 赤い馬車は、地響きを立てて通り過ぎていく。長い車列が、後をついて行った。


 このひとりひとりが、プレイヤーであり、人間なのだろう。NPCもいるかもしれないけれど。


 皆が皆、役になりきってゲームを楽しんでいるレベルではない。ハイリアルは、仮想ではなくて現実世界なのだ。


 通り過ぎていく権力者たちを見送りながら、人々は重い腰を上げて蜘蛛の子を散らすように大通りや路地裏に消えていった。


 笛の音と地響きが、段々と弱々しく遠くになっていく。俺も立ち上がろうとした。


 爆発音や破裂音が、一瞬で街を静寂にした。笛の音は、聞こえなくなる。


 刹那、悲鳴とともに煙が立ち上る。上空に小さな黒雲が、複数出現すると、雷が落ちる。怒声と剣戟の音。車列が乱れて、騎士を乗せていた動物が大通りを逆走していく。


 数匹が、いななきをあげながら裏路地や露店のなかを疾走する。王族馬車が、通り過ぎていった方向からNPCとも人とも分からない集団が逃げてくる。


「モグラだッ!? モグラどもが、王族を襲っている。逃げろッ!?」


 俺は、帯刀している剣を見つめた。モグラは、ヴァシュを持つリアルに生きるテロリストたちだ。


 ハイリアルを滅ぼそうとする人類の敵である。シュウとしての俺。本当の俺にとっては、敵ではない。


 今の俺は、S63。ハイリアルを守るGMナイツに仕える存在だ。


 俺は、鞘を引き、剣を抜いた。敵も味方もない。仕事として、「処理」をするためである。


 第22話【ゲームに、リアルを求めすぎたら……】完。

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