第17話【ゲームの死体は、どこに逝く?】

 眼の前のバケモノは、目の玉をむき出してこちらを見ている。殺意をひしひしと感じるし、痙攣のような悪寒が止まらない。しかし、逃げ出すための足が動いてくれない。


 一方、アルターヴァルを止めるものはなくなった。さきほどまでの苦しみはなさそうだ。


 それもそのはず、十二支石の輝きは失せてしまった。俺は、十二支石を探す。そこにあるのは、長細い鉄板?


 いや、大きな盾だ。俺が、はじめてアルターヴァルと対峙したときに手にした盾などよりも大きな。


 巨大なふたつの黒い手が、クロスしている意匠の金色の盾だ。あきらかに、ただの盾とは違う。


 どこから現れたのか。十二支石が、大盾に変わったのだろうか?


 状況を見れば、それ以外には考えられない。


 俺は、この大盾こそが絶望的な状況を変えるゲームチェンジャーになるだろうと思えた。いや、思うしかない。


 手を伸ばせば、大盾に触れられる。


 アルターヴァルは、顔を天井に向ける。すべてを丸呑みにするかのような口が、大きく開かれた。光が、がま口の中から溢れ出す。


 あらゆる光輝が、バケモノの口に集まっているようだ。強すぎる光は、周りを虚無へと変えてしまう。


 人間が臨死体験のおりに見る光の世界のようだ。大盾を掴む手は、振るえている。


 俺の死を確信しているであろう目玉とともに光の本流が、こちらに迫ってきた。


 死の天使のニンブスの如き輝きは、激しい耳鳴りを起こす。俺は、死神の腕を払うために大盾を力いっぱいに構える。


「ガード《小範囲防御》」


 このバケモノの前では、木の板にすらならないと分かっている。それでも、抗うことは生きるものとしての……


 いや、NPCのくせに。


 衝撃、押し寄せる。命をけずる極光は、大盾を振り払おうとする。まるで激流だ。ただ、防げている。


 体に痛みはない。大盾のおかげだろう。恐怖もやわらいで、考える余裕すらある。行ける、押し返せる。


「リヴァーサル《反転》」


 語句が、自然と口から出ていた。


 井戸の底から吹き出したような漆黒の影が、アルターヴァルの光の本流を飲み込んでいく。


 アルターヴァルは、一歩。また一歩と踏み出して闇を押し返そうとしているようだ。まるで、逆ではないか。


 バケモノの攻撃は、銀河の輝きの如き咆哮。対する俺の抵抗は、冥土にあふれかえる怨嗟の影だ。


 アルターヴァルの眼球は、はちきれんばかりだ。怒りと殺意が、眼窩に集まっていた。


 大盾から染み出した黒雲は、光を飲み込んだ。アルターヴァルの断末魔とともに、四肢は吹き飛ぶ。


 周辺の本棚は、爆発でも起きたかのようにあちらこちらに倒れている。


 悪臭を放つ噴煙が、室内にひろがっていた。口元を大盾で隠して、少しでも新鮮な空気を求めた。それほどの激臭だ。


 大盾が落ちていた場所に、十二支石があった。下敷きになって、隠れていたのだろう。


 取りに行こうとしたが、俺は激痛から立つことができなかった。


 尻ばいに、十二支石の近くまで行く。慎重に指先で突いてみる。何も異常はない。


 石は、振動して浮き上がる。俺は、素早く指を引っ込めて少し離れた。骨と肉の破片の付いた皮だけになったアルターヴァルが、十二支石と同じように振動して浮き上がる。


「何だ? 死体が……石に吸い寄せられてる?」


 低く悲しげで、まとわりつくような音が聞こえる。仲間を求めて、広く深い海の底で希求する悲鳴の響き。


 終わりのない場所から発せられているような語音が、資料室に反響する。


 バケモノの残骸は、十二支石へと吸い寄せられるように、引きずり込まれていった。


 周囲に立ち込められた煙は、怨念にも似た残留思念のように漂っている。しかし、死骸を追い求めるように十二支石へ吸い込まれていった。


 資料室を埋め尽くしていた悪臭は、たちまちになくなって古びた書物の臭いがもどってくる。


 もの悲しい低い呼び声も、アルターヴァルの残滓が消えてなくなったと同時に聞こえなくなる。


 十二支石は、役割を終えたかのように地面に落ちた。そして、ゆっくりと俺の方に転がってくる。


 手に取ると、亥の刻印が前よりも濃くなっているように見えた。しかも、少し重くなっている感じもする。


「命の重さなのかな……。それとも本当に死骸を吸収したから?」


 俺は、そう考えてすぐに否定した。あれだけの質量を持つ巨大なバケモノだ。皮と骨になったとしても、これだけの重さで済むはずもない。


 でも、何かを吸収したのは間違いがないはずだ。アルターヴァルの力だろう。魔力のようなもの。いずれにせよ、書籍に書かれていた十二支石の説明にはなかった。


 資料室には、アルターヴァルの痕跡は何一つ残っていない。ただ、この部屋で激しい争いがあったのであろうことは伝わるはずである。


 エドガールに報告すべきだろうか。俺は、十二支石から現れた大盾を見つめた。


「十二支石のことは、秘密にするとしても。この大盾のことは、なんて説明しよう……。うーん、資料室で見つけたとでも言うのか。──あっ!?」


 まだ人間だった頃、元の世界で起きたことだ。死んだクジラが、何十キロもの海洋ゴミを飲み込んでいたニュースを目にしたことがある。


 この大盾も死骸から見つけたことにすればいい。しかし、問題がある。消えた死骸は、どう説明するのか、だ。


 やはり、十二支石のことを言うべきか。でも、この石は俺にとって切り札になり得る。


 エドガールたちは、信用も信頼もできない。いざとなったら、彼らに抗うための力が必要だ。


 十二支石も、この大盾も、その”力”になってくれるだろう。少なくとも、エドガールたちよりは、信頼できる。


 エドガールが、俺を監視していないことは十二支石を隠し通せていることから間違いないだろう。


「──あっ、そうか。思い出した。あのとき、エドガールたちが、アルターヴァルを倒したとき。死骸は消失した。なら、そのことで言い訳をする必要はないじゃないか」


 俺は、安堵してため息をつく。後は、この大盾のことだ。この世界が、ゲームなら大盾はドロップアイテムとでも言い訳できるだろうけれど。


 死骸が、大盾に変わったと報告するしかない。そう結論づけて、ドアを見る。どのみち、エドガールに連絡を取らなければならないだろう。


 足の痛みは、まだ癒えていない。立ち上がることはできない。大盾を引き釣りながら、ほふく前進をする。


 右腕だけで、体を前に移動させる。大盾が、地面に擦れる音。前に進むたびに、足の痛みから息が荒くなった。


 ヴィクトリアたちは、どうなったのだろう。俺を助けに来てくれる途中で、アルターヴァルに襲われたらしいが。


 もし死んでいたとして、このドアの向こうにヴィクトリアたちを殺したアルターヴァルがいたとしたらどうなる?


 この状況で勝てるのだろうか……


 第17話【ゲームの死体はどこに逝く?】完。

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