第9話【ゲームの飲み物は、回復アイテムに分類される】
そのクジラの化け物。名前は、アルターヴァルと言うらしい。
アルターヴァルの最後の咆哮が、俺の耳の中に残響している。
(あぁ、これはゲームじゃない……)
目の前に見えるHPバーだけを見ればゲームだ。
でも、この心の底からの憎しみを込めた咆哮。死を嘆く悲鳴は、とてもゲームとは思えなかった。
例え、どれだけの技術革新がおきてもこの心をえぐるような怨嗟の年だけは、再現できない。
「ヴィクトリア。これが、実戦だ。良い勉強になっただろう?」
男は、アルターヴァルが消失すると、剣を鞘に納めた。
その顔には、笑顔はなく勝利したにも関わらず喜びの色は見えない。
そして、地図のようなものを確認する。ホログラムのようなものだろうか。
「はい、父様のおかげで初陣を勝利で飾れました。しかし、ベトフォン家の名に連なる者としては、決して褒められるものでは……」
ヴィクトリアは、伏し目がちに言う。どうやら、大きな家のご令嬢といったところか。
彼女には、色々な苦労があるのだろう。声色からも分かる。
初陣を勝利で飾っても、口調には憂いしか感じられない。
大きな家に生まれたものは、家名に泥を塗るような生き
もっとも、ベトフォン家が、大きな家かどうか知らないのだが。
生きのこれて、勝ったことを素直に喜べないのだから。それは、悲しいことだ。
俺は、すっかり当事者意識がなくなっていた。自分も、その化け物と戦っていたというのにである。
「彼のおかげだ。感謝する相手を間違えるな」
男は、俺を見る。眼光は鋭く、言葉通りの思いは持っていないように感じる。
つまりは、感謝する相手だと言いながらも。男は、俺を値踏みするような目付きで見てくる。
俺は、どう見ても不審者だ。男が、俺を疑うのは、当然の話だろう。
俺だって彼らを疑っている。この世界も人間も。信じられない……。無意味な対抗心だけれど。
「俺の名前は、エドガール・ベトフォン」
エドガールは、義務的な自己紹介をしたように感じる。どうでもいいような口調だった。
おそらくは、俺の名前にも興味はないだろう。しかし、非常識だとは思われたくはない。
「シュウです」
俺も、お返しとばかりに感情を込めず、半ば義務的に自己紹介をする。
この人たちは、俺をどうするつもりだろうか。また独房に戻すのか。
脱走したことを咎められるかもしれない。
「リアルでの名前だな?」
エドガールの目は、鋭さを増した。
「あの、僕には、リアルとかハイリアルとかの違いがわかりません。ここは、ゲームの世界なのでは?」
俺は、再び独房に入る前に、リアルやハイリアルの違いくらいは、ハッキリさせようと質問をした。
上手くいけば、この世界がなんであるのかを知ることができる。
エドガールは、何かを考えるように厳しい表情を浮かべて沈黙していた。
何か失言でもしたのかと心配になる。
俺には、この世界や状況もわからないのだ。客観的な答えを聞きたくて仕方がなかった。
リーフデに尋問されたとき、まともなことは、一つとして答えられなかったのだ。
いまさら取り繕っても怪しい人物であることは、誤魔化せないだろう。
だから、隠す必要はない。
「父様……」
ヴィクトリアは、エドガールの様子をうかがうように恐る恐るといった感じで声をかけた。
「ヴィクトリア。……彼を、いや、シュウ君を執務室に連れて行くんだ。俺は、事後処理をする。誰にも見つからぬようにな」
エドガールは、ヴィクトリアに琥珀色のひし形の物体を手渡した。
「わかりましたわ……」
ヴィクトリアは、何かを察したように声をひそめた。
俺は、独房には戻らずに執務室とやらに移動させられるらしい。
誰にも知られずにということは、この場で殺す気はないのだろうか。
俺に利用価値でも見出したのか。
ヴィクトリアは、俺を見る。美術品のような顔立ちだ。
先ほどのように、流石は、ゲームの世界だと言い切れなくなった。
ヴィクトリアが、近づいてくる。俺の目の前に立ち、琥珀色のひし形の物を肩に押し付けた。
跳ね上がる心臓を落ち着かせたいが、どうにかなるわけがない。
俺が、疑問に思うまもなく──
「転送石、室長執務室ヘ」
ヴィクトリアの言葉が、耳に反響する。同時に視界は、湾曲したり波打ったりしながら揺らいでいく。
✢
俺は、いつの間にか小さな部屋にいた。
床は赤い絨毯が敷き詰められている。絨毯には、翼をひろげた鷲が、刺繍されている。
テーブルといくつか調度品がある。窓からは、星が疎らに見える。
俺は、気分が悪くなった。まるで、熱中症のような具合の悪さだ。
頭が痛くて、吐き気がする。
たまらずに膝をついた。
胸のあたりが、ムカムカする。かきむしりたくなるような不愉快さである。
「大丈夫よ。死にはしないわ。これを……」
俺は、声がする方を見上げる。ヴィクトリアが、コップを差し出していた。
コップの中には、透明な液体が入っている。
(毒とか入ってるんじゃあ……)
俺の手は、そのコップを掴むことはできない。死は、恐れていない。
毒であった場合、苦しむことになるだろう。それを恐れているのだ。
「飲みたくないなら、それでいいわ。あと数十分間、その気持ち悪さに耐えれば治まるでしょ……」
ヴィクトリアは、その整いすぎた顔を一つも動かさずに冷たく言い放つ。
俺は、なんだか飲まないのが悪い気がしてきた。もしかして、気を使ってくれたのかもしれない。
他人の行為を無駄にしたくない。
(ははッ、もうどうにでもなれ……)
俺は、ヴィクトリアからコップを受け取る。少し息を吐いた。
その水のようなものを一気に飲み干した。
ヴィクトリアの驚く顔と、朦朧としてきた意識の中で、自分が飲んだものが何だったのかを考えた。
しかし、考えつくよりも……
俺は、力なく地面に倒れ込むのだった。
第9話【ゲームの飲み物は、回復アイテムに分類される】完。
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