第3話【ゲームのはじめかた】
この世界は、ものすごく広いのだろう。この街もおそらくは、広いはずなのだ。
これだけ多くの人々がいるのだから、広くなければ嘘である。
俺を見るたびに悲鳴をあげる人々……
武器を手に取るプレイヤーらしき人々……
人混みが、逃げ道をふさぐ壁となる。人がいない場所に、人がいない場所に……
まるで、牛追い祭りのようだ。逃げ場など一つしかない。
路地裏だ……
ありがちな展開だけど、今なら分かる。もう、ここしかないのだ。
悲鳴も怒号も聞こえなくなった。ただ、異様な臭いがただよう。妙にジメッとした細い道。
壁には、古い紙で何やら殴り書きがされている。後ろを振り返る。
誰もいない。安堵する。追手もいないようだ。ただ、雰囲気が悪い。
元の世界にも、このような場所があった。なるべくなら避けて通っていた道なんだけど。今は、そうも言ってられない。
しばらく進むと、開けた場所に出る。口の中に嫌悪感を及ぼす臭いの原因がわかった。
「ゴミの山……」
使えなくなった木材、使えそうな金具と鉄屑、腐りきった根菜類が、山のように積まれている。
ゴミの山から、溢れ落ちたと思われる薄汚れた人形が、壁の隅で苦しそうにしていた。
ボロボロの箱が、あらゆるところに置かれ、ガラクタや折れた剣や武具などが入っていた。
臭いを気にしなければ身を隠す場所としては、丁度いい。
しかし、一方通行である。
ここから先の道がない。ほとぼりが冷めるまでの間、隠れ場所にするくらいがちょうどいいだろう。
夜になるまでここで──そもそも、この世界には、夜があるのだろうか?
確か案内役のロバが、そんなことを言っていた気がする。
この格好だ。外が明るいうちは、ここから出ることができない。
ゴミの山が、俺の終点とでも言うのだろう。夢にしては、妙にリアルだ。
ここに来てから、繰り返しの疑問。ここは、夢の中なのか、現実なのか。
いや、いい加減に認めるべきだ。こんなにリアルで長い夢があるわけがない。
「でよ、その女がな……」
「本当か!? そりゃ……」
複数の男の話し声が聞こえてきた。俺は、ボロ箱の後ろに隠れた。
強烈な腐臭に、目に膜が貼ったようになる。胃を絞り上げるほどの吐き気を我慢しながら、息を殺す。
「ひっさしぶりのGM警告だったな」
野太い声の男が、かなり近づいてきている──見つかるのではないかと体が震えてきた。
頭の天辺からつま先まで電流が走った。目をギュッと閉じて見つからないようにと祈る。
「やっぱこういうゲームは、不測の事態が起こってこそだなッ……クゥ~」
声の高い男は、奇声をあげる。その声は、頭上近くで聞こえた。
「不審者とか、リアルでもお目にかからないだろ。何十年前の世界だよ?」
野太い声の男が、馬鹿にしたように言う。周りの人間の賛同を求めるかのようだ。
その声に重なるように複数の笑い声が聞こえた。どうやら、3人以上はいるらしい。
「知らないだろうがな。こういうトラブルには、昔のゲームなら、GMが詫び石を配るんだぞッ」
声の高い男は、少し食い気味に言った。
詫び石とは、ソーシャルゲームで運営の不手際が起きた場合、プレイヤーに送られる補償のことだ。
何十年前のゲーム……?
「何だよそれ。石なんてもらって嬉しいのかよ。昔の奴らは……」
野太い声の男は、明らかに嘲笑を含ませた調子で言った。
「でもよ、GMナイツが動き出したってことは、倫理違反のプレイヤーは、不正ログインだな」
「倫理違反って……昔風に言うなら公然わいせつか? 昨日見たぞ。昔の映画でな。HENTAIってやつさ」
声の高い男は、興奮気味に言った。
「それも何十年前に滅びた人種だな。まぁ、この世界では、ヘヘッ、合法なんだけど?」
野太い声の男は、そう言ってアクビをするような声を発した。
俺は、謎のロバのチュートリアルや男たちの会話を聞いて確信した。
ここは、俺のいた時代から何十年もたった未来の世界だということを。
となれば、この世界は、VRMMO系の進化型といったところだろう。
俺のいた世界の技術では、数年後にどうにかできるレベルではなかった。
何十年後なら理解できなくもない。問題は、俺がなぜこのゲームの世界にいるのかである。
「おい、てめえら。逃げた野郎は見つけたのか!?」
すごみのある低い声が、ゴミの山に響いた。俺の後ろで、ガタッと音がした。
まずい…………
「おい、居たぞ。どこに目をつけてやがった。捕まえろ!!」
俺の心臓は、握りつぶされたかのような衝撃。目を閉じて震える体を丸めた。
「殺すなよ、状態異常をかけろ」
すごみのある低い声に複数の男たちが短く返事をすると、足音はますます近づいてきた。
もうダメだ、逃げられない……
足音は、すぐ近くで止まった。何かが崩れる音が、聞こえる。鉄の破片が、俺の目の前に落下した。
「離してッ、痛いよ」
子供の声が、頭上で響いた。
男たちに見つかったのは、俺ではなかったようだ。俺は息を殺して、嵐が過ぎ去るのを祈る。
「うひょー。連続食い逃げ犯GETだぜ」
声の高い男が、俺の頭上近くで響く。俺は、呼吸が出来ない。苦しい、早くどこかに行ってくれと願う。
「それ、前にも言ってたな。古代語かよッ!!」
「いいだろ。俺は古代語が好きなんだ」
声の高い男は、何度もGETだぜと、これみよがしに繰り返した。
どうでもいいことだ。さっさとどこかに消えてくれと、俺は心の中で念じる。
「やめてよ、お願いだよ」
子供の声が、俺の頭に反響する。心をえぐるような叫びだ。その恐怖が、痛いほど伝わる。
「黙れ、犯罪NPCがッ!! なんでこんなもの作るんだろうな……NPCに人生と心を与えるなんてな」
声の高い男は、子供に何らかの暴力行為をしたのだろう。子供のすすり泣く声が聞こえてくる。
「いいじゃん楽しいから。これのおかげで、リアルは、平和になったんだろ? ……ハイリアル最高」
俺の心臓は、枠に収まりきらないくらいに鼓動している。
「まぁ、うまく逃げたよな。このガキと一緒でさ。リアルの連中……」
声の高い男の言葉を遮って「これで、3万円だ。さっさと王国に引き渡すぞ」すごみのある低い声の男は、吐き捨てるように言った。
「誰か助けて!!」
「誰も助けねえよ。薄汚いNPCなんて……」
俺は、立ち上がった。助けてと言った子供を見捨てるわけにはいかなかった。
それは、過去に俺を助けなかった連中を認めることになる。それだけは、出来ない。
せめて、子供が、助けてなんて言わないでくれたらという勝手な思いで立っている。
俺は、善人ではない。何故なら、助けてと言わなければ見捨てていたのだ。
子供の髪を掴む男に体当たりをした。
「わぅあッ!! なんだ!?」
何も身に着けていない男の体当たりだ。ダメージよりも驚きのほうが大きいだろう。
その拍子に、掴んでいた子供の髪を離した。
子供は、一目散に大通りの方に逃げ出した。
「何だこいつッ!! 寄るなッ!?」
俺は、腹部に膝蹴りをくらう。人数的に勝てる見込みもなく。
俺は、地面に倒れ伏して、咳き込む。
ゲームの割にリアルだ、この弱さ、情けなさ、痛み、苦しみ……理不尽。そして空虚。
「こいつは、倫理規定違反のやつだな」
俺は、すごみのある低い声の男と目があった。冷たい目だ。虫けらに向ける目である。
下卑た笑いを浮かべているその男たちの表情は、ドス黒く濁っていた。
「ボス、3万のガキが逃げましたけど……」
目つきの悪い男が、大通りを指さして言う。
「あんなガキなんて目じゃねぇよ……それより、こいつだ。GMナイツに借りを作れるぞ。俺らの株も上がるってもんだ」
ボスと呼ばれたすごみのある低い声の男は、俺の髪の毛を掴み上げる。
俺を見て、黄色い歯を剥き出しにしている。
「殺すなよ。状態異常は必要ない。こいつは、NPC以下だ。骨の何本くらい折っちまえ……」
ボスは、ゴミの山に笑い声を響かせる。
俺の頭上から、複数の男たちの笑い声と暴力が熾烈に降り続いた。
それは、俺の意識が途切れるまで……
第3話【ゲームのはじめかた】完。
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