ハイオレデス仮想記

SSS(隠れ里)

【プロローグ】

 俺は、趣味の小説をスマホに書き込んでいた。創作の時間こそ誰にも邪魔をされずに、自分の深淵を探る時間だ。


 もっとも、深いことを言ったようであるが、書けるジャンルは、ファンタジーだけだ。それ以外は書けない。何故なら、俺は、物事を妄想……。──いや、想像することしかできないからだ。


 書いたものをごく親しい人に見せては、自己満足に浸っていた。趣味と言い訳をして、小説家という大海原に飛び込む勇気はない。


 今日は、非番日だ。昼まで惰眠を貪り、昼過ぎから小説を書いていたのだが、気がついたら深夜になっていた。


 流石にお腹が空いてきたので、台所に向かう。今日は、まだ良い方だ。ひどいときは、一日何も食べないときもある。


 インスタント焼きそばを食べるためにケトルでお湯を沸かす。何気なく姿鏡を見る。


 痩せ細った体は、細い柳の木のようだ。大きな目に気弱そうな顔は、俺の人生を散々なものにしてきた。


 弱々しく見える。


 もともと腰が低い。


 人間が苦手。


 この要素だけで、人から舐められっぱなしの人生だった。俺は、鏡の前で怖い顔をしてみた。


(……俺の名前は、シュウ……。なんだ? そのバカにしたような言い方は? 先輩ヅラしてんじゃねぇよ)


 いや、これは、威圧感のある顔とか関係ない。ただの仕事に対する愚痴である。実際には、心の中でしか大先輩方を批判していないし、大人しく従っている毎日なのだ。


 ケトルが、ごうごうと音を立てていた。取手を掴んで、インスタント焼きそばにお湯を流し込む。


 余ったお湯は、シンクに捨てた。ボコッという音を立てて残り湯は、排水口に流れていく。湯気の香りが、鼻の奥を上気させる。


(小説の中でなら、俺は、英雄にだって、なれるのにな……。まあ、妄想するしかないよなぁ)


 インスタント焼きそばが出来るまで、さっき書いた小説を推敲しようとスマホを手に持った。


 うん?


 スマホのホーム画面に見たこともないアプリがあった。インストールした覚えはない。


 俺は、ホーム画面にアプリを置かない主義だ。それをこんな堂々と真ん中に。


 さっきまでなかった。それは確実だ。


(……ハイオレデス??)


 俺の背筋に、悪寒が走る。カタカナだけで書かれたアプリ名。軽いホラー感。


 もしかして、スマホのウィルス……


 手が震えた。画面も揺れる。ハイオレデスの文字が不気味さを増した。


(どうしよう。押して見るか? で、でも……)


 俺は、親指でアプリをタップしようとするが、なかなかうまく行かない。何度かスマホを落としそうになったので、スマホを台所に置いて、アプリをタップした。


 ……??


 何も変化はない。画面はそのままだ。アプリではないのだろうか。


 俺は、もう一度タップした。


 なんの変化もないので、余計に怖くなる。俺は、アプリを長押しして画面上部の✖マークまでスワイプする。


 『ハイオレデス』を削除した。


(バカらしい……バグか何かか?) 


 俺は、大きなため息をついて、インスタント焼きそばのお湯を捨てようとした。


 軽いホラーではあったが、よくある? 異世界転生かなにかかと今さらながらに期待した。


 その時である。


 目の前が真っ暗になった……。





「ようこそ、ハイオレデスの世界へ」


 真っ暗な視界の前に、ボッと浮かび上がるものがあった。それ自体が光ってるのだろう。


 その姿が、徐々に浮き彫りになって、姿が、はっきりと見えてくる。


 大きな目に優しげな顔のロバだ。ゆるキャラのようである。少し左右に揺れながら立っていた。しかし、ゆるキャラにしては不気味な登場だ。


「はぁ、なに?」


 俺は、怪訝な顔を作り答えた。頭の中では、答えは出てる『明晰夢』だ。ここ最近、よく見るようになった。


 夢の中で、夢だと理解できて、自由に歩ける不思議な──夢世界ことだ。


「ここは、ハイオレデスリアルタイムワールドだよ」


 にこやかな営業スマイルを浮かべるロバ。顔に似合わず可愛い声だった。


 そうは言っても、真っ暗な空間にロバのようなゆるキャラが、浮かんでいるのは怖すぎだ。


「僕は、案内NPCのシュウ……だよ」


「え、はあ!?」


 俺は、ロバの自己紹介に心臓を掴まれたような衝撃を受けた。目の前のゆるキャラは、俺と同じ名前を名乗ったのだ。


「さっそく、チュートリアルをはじめるよー」


 俺と同じ名前のロバは、俺を完全に無視をして話を進めようとする。身勝手な奴だ。


 流石に「ちょっと待て」と話をさえぎった。いくら明晰夢でも、夢主体で語られるのは腹が立つ。


「分かってる。はやくこのハイオレデスリアルタイムワールド【リテリュス】を歩き回りたいよね」


 リテリュス?


 俺は、どこかで聞いたことのある単語。いや、書いたことのある単語だ。ハッとして理解した。


 この状況は……


「やっぱり、いつもの明晰夢だな。確定した」


 俺は、完全に理解したぞ、という顔を作ってロバを見てやった。


「っうわー、キャラを作り込んでるね。そういう人、最近珍しいから嬉しいよ」


 ロバは、満面の笑みで返してくる。


「キャラ?!」


「あ、そうだね。せっかくロールプレイを楽しもうとしてるのに邪魔してはいけないね」


 ここまで、話が噛み合わない明晰夢も珍しい。ごく稀に見ないこともないが……


 そういえば……体は重くない。明晰夢を見ているときは、常に体が重いはずだから。


「では、まずはルールから説明だー」


 ロバは、どこからか取り出した教鞭を握るとこちらに向ける。俺は、顔を後ろにそらす。


「ここはね。世界中の人達がつながる場所。言語は、自然に翻訳されるよ。だから、色んな国の人と話せる。でも、言ってはいけない言葉があるよ。禁止ワードってやつだね。これはやめようね。後は、殺そうが傷つけようが自由!!」


 俺は、戸惑った。


 殺そうが、傷つけようが、自由なのに禁止ワードだけは、守らせる意味がわからないからだ。


「君は、日本からのお客様だよね。なら、禁止ワードの意味もよく理解しているよね。悲しいな。だから、絶対に使わないようにね」


 ロバの大きな目からは、涙が流れる。疑問符ばかりが、頭の中に浮かぶ。


 日本だから何なのだろう。何一つ理解できないし、禁止ワードも分からない。


 俺は、ここが明晰夢だと、思っている。しかし、いつも見る明晰夢とは違うようだ。


 雰囲気というか、世界観が違うのだろう。


「今から君に名前と職業を決めてもらうよ。決めたらいよいよ、リテリュスの世界に行ってもらうから、もう少しの我慢だ」


 名前と職業……。


(あぁ、ゲームだったなこれ。はじめたつもりもないんだけどな。本当に明晰夢か……これ?)


「さあ、名前を教えてよ」


 ロバは、期待を込めたような目でこちらを見ている。ロバのくせにピエロみたいな動きと声だ。


「シュウ……」


 俺は、ゲームをするときによく使う名前にした。でも、せっかくの変わった明晰夢なのだ。もうすこし捻りを加えたほうが良かっただろうか。


「その名前は使えないよ。『シュウ』は禁止ワードだ。さっきも言ったのに……だめだよ」


 俺は、頭が真っ白になり、強烈な怒りが内臓からこみ上げる。


 こんな訳の分からない世界。さらには、明晰夢だとしても、俺の名前が禁止ワードなどと言われるのだ。


 しかも、こいつも同じ名前を名乗っているのにもかかわらずだ。


 理不尽の極み。


「うーん。今、運営と協議した結果、君の名前は、シュウ……で決まりだ。禁止ワードだけど、特別に許してあげるからさ。怒りを抑えてね、ね?」


 俺の怒りは、急速に萎えていく。どうせ夢なのだろう。ロバの言ってることも、二転三転している。最初から破綻している話だ。


 自分の夢に怒っても仕方がない。


「じゃあ次は、職業を教えてよ」


 ロバは、そう言ったものの選択肢がどこにも出てこない。こういうのは、眼の前にホログラム的なコンソールがでてくるものだ。


 バグでも起きたのだろうか。変なところで、リアルな明晰夢である。


「選択肢は?」


 俺の問いにロバは、大きな目を丸く見開いた。口の端を震わせている。


「何十年昔のゲームの話をしてるの?」


 この明晰夢の設定は、俺のいた世界よりも未来なのか。それともパラレルワールドの日本なのか。


 どうも俺の認識しているゲームとは、毛色が違うようである。


「なら、大盾使い」


 俺は、どうせなら自分の小説と同じ職業になろうと思った。


「君、何歳? そんな昔に廃れたような職業。他人のために自分を傷つけるなんてバカのすることだよ。もっと、自分の命を大切にしないとね」


 ロバは、アワアワと動くと、涙を流してこちらを見つめてくる。


 どうやら、バカは、禁止ワードではないらしい。何よりも、自己犠牲精神は否定された。優しい世界だ。


「まあいいや。職業は、あとからでも変えられるからね。それじゃ頑張って生き残ってよ。あ、とゲームのプレイ時間は、法律で決められてるからね。強制ログアウトが発生するから抵抗しても無駄だよ」


 ロバは、鼻息から白い煙を吹き出しながら、早口で言い放った。


「さあ、リアルを大事にしつつ、ハイオレデスリアルタイムワールドを楽しもうっ!!」


 ロバの姿は、薄っすらと歪みながら消えた。俺は、ひどい睡魔に襲われる。


 この奇妙な明晰夢も、終わるのだろうか……。まあ、たまにはいいかな。──こういう夢も……


 【プロローグ】完。

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