第488話

 なんだかんだと話をして、フィリップが遅めの朝食を摂るのをルキアとステラが手伝って、チェスやトランプで遊んで、ティータイムを楽しんで。


 そんな穏やかな一日は、日没と共に終わりを迎えた。

 ルキアとステラが帝城に戻った後、ノアに手伝って貰いながら夕食を終えたフィリップは、いつもの倍の時間をかけて身支度を整える。そして少し苦労して窓枠を乗り越え、縄梯子を伝って庭園に降り立った。


 「……」


 窓の下に控える二人の立哨は、鎧が擦れる音も立てずにフィリップを一瞥するだけだ。

 制止も、何処へ行くのかと尋ねもしない。彼らの役割は夜歩きする馬鹿な子供のお守ではなく、吸血鬼の監視と出現時の対処だ。護衛のように見えても、その命は帯びていない。


 斯くして、満身創痍の少年は再びの狩りへと赴く。

 

 奇しくも同時刻、帝城のバルコニーから宮殿を見下ろす人影が二つ。


 月に映える白銀の髪を靡かせた少女は膝を突き、彼女の神に祈りを捧げる。昏い空に輝く月に。

 夜闇を照らす金糸の髪を持つ少女は、明かりの消えた街を見下ろして溜息を零す。きっと忠告も何もかも脇に置き、自らの憎悪に忠実に動く少年へ。


 彼が忠告を真剣に受け止めること。友人に心労をかけることを心苦しく思うこと。

 それは二人も分かっている。そして、フィリップがその身を内から焦がす憎悪に抗えず、抗おうともしないことも。



 ◇


 

 夜の街を歩いていると、昼間には見えなかったものが幾つか目に付いた。


 時刻は八時を回ったところ。

 既に日は没し、足元を照らすのは月と星の明かりだけ。


 全ての店が仕舞われた大通りを出歩く人間は殆どいない。一部、「いまさっき帝都に着きました」という風情の旅人が居たが、すぐに宿屋の並ぶ別の通りへ行ってしまう。


 しかし全くの無人というわけでもなく、明日に向けての前準備や仕込みをしている者もいる。

 そういう働き者は、往々にして首輪を付けていた。夜目の効く獣人の有効活用かと思えば、中には純粋な人間も居るようだ。


 「あの、すみません」


 ふと気になって、フィリップは荷車から大量の包みを下ろしている人間の奴隷に声を掛けた。

 特に体格に優れるということもない、平凡な男だ。労働力としては獣人に軍配が上がるだろうし、見てくれが特別佳いわけでもない。


 「はい、なんでしょう?」

 「えっと……」


 声を掛けてから、フィリップは続ける言葉に迷った。

 帝都では奴隷の扱いについて厳格なルールがあるとはいえ、通常の人間と比べて立場が劣ることに変わりはない。自ら奴隷の地位を望むはずもないし、「どうして奴隷に?」なんて聞くのは憚られる。


 「あー……、この辺りで、黄色いローブを着た害虫ひとを見かけませんでしたか?」

 「黄色いローブ? いえ、見ていません」

 「そうですか、ありがとうございます。お手数をおかけしました」

 

 フィリップはぺこりと会釈し、愛想笑いでその場を離れようとする。


 その背中を、「おい」と強い声が呼び止めた。

 聞き覚えのある声に振り返ると、奴隷も同じく声の主を見ていた。


 夜闇に浮かび上がるような黒いスーツ姿の偉丈夫。左腕には真鍮の腕輪が安っぽい光で存在感をアピールしているが、飾られたラピスラズリは品のある輝きを纏っている。


 「あ、ジャック。こんばんは」

 「“さん”を付けろ、クソガキ。……ちょっと来い」


 大通りの隅で人目を憚るように立っていたジャックが顎をしゃくり、振り返って歩き出す。

 フィリップは数秒ほど悩み、結局、彼の後ろに続いた。


 「……奴隷が珍しいのは仕方ねえが、妙に絡むな。カルトだのマフィアだの血腥い話は、俺たち裏の人間だけで済ませよう」


 ジャックの言葉は少しだけ、年少者への叱責の色を含んでいた。

 「俺たち」と口の中で転がしたフィリップは、その言葉には頷かない。まあ光と闇の二元なら、フィリップは間違いなく闇の側に立つ人間ではある。しかし裏社会の人間と言うわけではない。


 とはいえ、フィリップも無関係の人間を徒にさせることは望まない。無知な者は、その安寧に包まれて死ぬべきだ。

 少し軽率だったと反省しつつ、当初の疑問はジャックにぶつけることにする。


 「ねえ、獣人が労働力として優れてるのは分かるけど、普通の人間まで奴隷にする意味あるの?」


 人間なんぞよりフィジカルに勝る種を奴隷にできるのなら、少なくとも労働力としての奴隷に人間を選ぶ意味はない。

 愛玩奴隷なら「人間の方が好き」とか「獣人はイヤ」みたいな趣味嗜好が理由になるだろうけれど。


 そんな疑問を受け、ジャックは嫌悪感に顔を歪ませる。

 その宛先はフィリップではないようで、深く重い溜息の後に向けられた視線に敵対的な色は無かった。


 「お前、確か王国人だったか。……帝国の構造については知っているな? 宗主であるウルタール帝国が、強大な軍事力で周辺の小規模国家や少数民族を制圧し、植民地として統合した。奴隷になるのは、その植民地の奴らだよ」


 ジャックが語ったのは帝国人の常識だが、フィリップにとっては「なんか授業で習ったかも?」くらいの情報だ。

 ふむふむと相槌を打ち、基本的な内容を頭に入れる。


 そして、


 「これは受け売りだが、人間ってのは根本的に社会性動物だから、上下関係があった方が何事もスムーズなんだそうだ」


 急に飛んだように思える話に、フィリップの思考が停止した。

 素直な表情筋が表出させた疑問を汲み、ジャックは暫し思考する。


 言った通り、受け売りなのだ。以前に自分が受けた説明を思い出し、帝国人以外にも分かりやすく噛み砕くのは難しい。


 「うーむ……。簡単に言えば、帝国国民の方が植民地の民より優れてるってことを、分かりやすく民衆に示すためだな。そうすることで、上部は上部、下部は下部で纏まるし、下部は上部に対しての抵抗心を抑制され、従順になる。結果として民衆全体が統制コントロールしやすくなるんだとか」


 暫し、沈黙。

 フィリップは頭の中でぐるぐる回る言葉をどうにか咀嚼し、ジャックは自分の言葉がかつて教わったことと矛盾していないかを確認している。


 どうやら政治的利点があるらしいと簡単に納得したフィリップは、この場での理解を一旦諦めた。どうしても気になるなら、帰ってその道の人王女殿下に改めて聞けばいい。


 「な、なんか難しい話だね?」

 「だよな。正直、俺も話の半分も理解できてない」


 じゃあ僕が分かるはずも無いじゃん、と眉根を寄せるフィリップ。

 しかし実のところ、魔術学院の一般教養課程で帝国の社会制度について教わっているはずなので、「政治のことなんか平民の僕には絶対に無関係だしなあ」なんて思って集中していなかった自分が悪い。まあ龍狩り以前の話なので、仕方ないといえばそうなのだけれど。


 「植民地出身者、ねぇ。実際、違うものなの? 王国だと、王都出身者とか貴族が高い魔術適性を持つ、みたいな傾向があったりするけど」


 まあ王国の例に関しては意図的に優秀な魔術師を集めた結果なので、「王都出身者だから魔術適性が高い」というのは間違いなのだが。

 現に王都生まれ王都育ちのモニカだって、魔術学院入学の最低基準に満たなかった。


 とはいえ魔術適性は先天的な才能──遺伝によるところが大きい。

 優秀な魔術師が家庭を築く王都では、魔術師同士のカップルも多く、結果的に生まれてくる子供の魔術適性も高いことが多いわけだ。


 だから断定ではなく傾向の話をするのなら、強ち間違った言説でもない。

 

 「さあ、どうだかな。そんな分かりやすい違いがあれば、もっと周知されてると思うんだが」

 「……」

 「お前にはどう見える? 奴隷のいない国の民から、俺たちは」


 無いらしい、と苦笑を浮かべたフィリップに、ジャックは静かに問いかける。


 どうと言われても、と暫し考えると、フィリップの苦笑がその色を増す。


 「人が人を支配するなんて、って言わせたいの?」

 「いや、素直なところを聞かせてくれ」


 少し先を歩くジャックの表情は、フィリップの位置からでは窺い知れない。

 当たり障りのない答えを返すことも出来るが、別に彼の気分を害することで不利益を被るわけでもなし、どうでもいいだろう。


 「……知ったことじゃない、かな。僕は王国民だし、奴隷でもなければ、彼らを抑圧する支配者でもない。帝国人が植民地出身者を奴隷にして飼おうが、植民地出身者がクーデターを起こして立場が逆転しようが、どうでもいいよ」

 

 いや、それでステラが不利益を被るのなら止めて欲しい。というか、自分にできる範囲で止めるけれど。

 だが、他国の情勢に一番敏感な立場のステラが困るとか、或いは交易品の品薄なんかでフィリップの大切な人たちの生活が激変する、なんて状況にならなければいい。


 どうでもいい。

 奴隷が何人死のうが、抑圧者側に何人の犠牲が出ようが、たとえ帝国皇帝が弑逆されようと知ったことじゃあない。共倒れで何億死のうが、「ふーん、そうなんだ」程度の感傷だ。


 「フッ……本当に素直だな。だが、変に正義漢ぶるより俺好みだ」


 淡々と語られた無関心に、ジャックは気分を害するでもなく、むしろ愉快そうな声を上げた。


 「なら、奴隷以外の差別についてはどうだ? と言っても、帝都しか見たことねえなら分からんか。ここはワースは入ることすら出来ねえしな」


 「わーす?」と首を傾げたフィリップに、ジャックは重ねて説明をくれる。

 

 「植民地出身者のことだよ。帝国人フルブラッドに対して、非帝国人は獣人も少数民族も全部まとめて『低劣な血統ワースブラッド』って呼ばれてる」

 「ふふっ……」


 小さく失笑したフィリップに、先を歩くジャックも同調するように笑う。

 「笑えるよな」なんて声に愉快さはなく、彼が笑った理由が面白かったからでないことは明らかだった。


 対して、フィリップが噴き出したのは可笑しかったからだ。

 

 「そうだね。人間なんて劣等存在が格付けして何になるのか……。あれかな、下の下よりは下の中のほうがいい、みたいな思想なのかな? 外から見ると下の下同士が争ってるだけなんだけど」


 くつくつと喉を鳴らすフィリップ。

 まるで自分が人間ではないかのような物言いだが、声色には明らかな自嘲が混ざり、自分も含めたすべての人間が下等だと言っていることが分かる。


 妙に実感の籠った言葉を冗談と笑い飛ばすことも出来ず、さりとて同意や共感も出来ず。ジャックは「お、おう……」と歯切れの悪い相槌を打つに留めた。


 そこでふと、フィリップは話の流れを思い出す。

 どうしてこんな話をしていたのだったかと。


 少し考えて、話しかけたのはジャックが先だったことに思い至った。フィリップが奴隷の話を持ち出して逸れてしまったが、元はジャックが呼び止めたのだ。


 「そういえば、用件は?」

 「あぁ、そうだった。昨日お前が取り逃がした十人長のことだが、いま俺たちの方でも居所を探ってる。見つけたらお前にも共有するようにと、姐御からのお達しがあった。今日はその旨を伝えに来たんだ」

 「そりゃ有難い。進捗はどうなの?」


 フィリップの声が弾む。

 親に欲しいものを買って貰えた子供のような、楽しげで嬉しそうな笑顔も浮かべて。


 その様子を見て、ジャックはむしろ背筋に冷たいものを覚えた。

 無邪気な笑顔だが、彼に与えられるのは本や玩具ではない。人を殺すための情報だ。


 「いいテンポだ。十人長にはそれぞれ管区……縄張りのようなものがあるらしいからな。何も帝都全域を探すわけじゃねえし、連中も透明人間ってわけじゃねえ。三日もあれば見つかると思うぜ」

 「いいね、楽しみにしてる。……僕の方でも探すけど、僕に報告義務はないよね?」

 「そりゃそうだが、十人長をブチ殺した証明くらいは出来ねえと、次のアジトの情報は教えられねえな」


 フィリップは言葉通り、単なる質問をしたつもりだった。

 あくまでアズール・ファミリーの指揮下に入るわけではない、という強調と受け取ったジャックは、牽制の意も込めてしかつめらしく頷く。


 指揮下に入ろうが入るまいが、どちらにしても、アデラインの提示した「アジト一つの壊滅」という情報開示の条件を満たし、それを証明する必要がある。

 先のアジト襲撃では十人長を含む数名が逃亡、殺せたのは死兵が二人だけという話だった。これではまだ壊滅とは言えない。せめて最大戦力にしてグループの中核である十人長くらいは殺して貰わなければ、アジト壊滅とはとても言えない。


 ジャックの言に、フィリップも道理だと頷いて同意を示す。


 「そうだよね。……それじゃ、首でも持って行くことにするよ」

 「お前、そりゃ殺し屋っていうか蛮族だぞ……」


 呆れ混じりに苦笑したジャックは、伝言を完了して立ち去っていった。

 「よろしくお願いします」なんて手を振って見送ったフィリップも、カルト探しに戻る。


 今夜のめぼしいイベントはそのくらいで、結局その夜、フィリップはカルトに関する情報を得られなかった。


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