第480話

 口を真一文字に引き結んだフィリップはカジノフロアから逃げ出す客の波をやり過ごし、階段を降り切って戻ってきた。

 カジノフロアの扉を開けると、数人のマフィアが警戒するように構えたが、フィリップは何ら反応を見せない。


 フロアには自分で齎した以上の惨劇の跡が散らばっている。


 四肢を失い顎を切り裂かれた芋虫の死骸。

 肺を海水で満たし陸上で溺死した変死体。


 そして──身体が内側から爆発したかのような、乱雑な破壊痕を見せる下半身。

 上半身が丸ごと爆ぜ飛んでいるように見えるのに、血液が飛び散った痕跡が無いのが不可思議だった。

 

 「あら、戻ってきたのね。それに随分と早いけれど、まさか、もう終わったのかしら」


 血の匂いと死の香り、カジノに居た客の吐瀉物と小便の臭いが漂う中で、香草と蜂蜜の匂いに包まれたアデラインは、異質なほど優雅にバーカウンターに残っていた。

 いつの間に復活したのか、先ほどまでフィリップが座っていた席にはノアがいる。虚空から湧き出る水を、もはやグラスを使うことなく直に飲んでいる様子は、豪快を通り越して可笑しくすらあった。


 フィリップは二人に無感動な一瞥を呉れると、近くのカルトの死骸に無造作に歩み寄り、膝に手を置いて覗き込む。

 そして。


 「……おえぇぇぇ」


 胃の内容物を盛大に吐き出した。

 死体の上に。


 勿論、わざとだ。


 「あー……、お酒飲んで運動しちゃ駄目だって知ってたはずなんだけどなあ……」


 教皇領でのワイン祭り直後にも似たようなことをして、似たような教訓を得たはずなのに、とフィリップは自嘲する。

 あの時には「二度と酒は飲まない」とまで思っていたのに、旅先で調子に乗ってしまったか。


 「ぺっ……なんか言いました?」

 「……もう終わったのか、と聞いたのよ」


 ゲロ塗れの死体に唾を吐き、土気色からやや回復した顔でむっつりと尋ねるフィリップ。

 アデラインはその振る舞いに気分を害した様子も無く、婀娜っぽい笑みで言葉を重ねた。傍に控える黒服──ジャックは、死体への狼藉に思いっきり眉根を寄せていたが。


 「いや、逃げられました。脚が凄く速いって風でも無かったので、擬態か、触手で屋根の上にでも逃げたんじゃないかと」


 応じながらノアの隣に座り、「僕にも水下さい」とコップを差し出す。


 「おかえりぃ……。うっ……、取りこぼしは全部殺しておいたよ……」


 込み上げてきたものを飲み込むような音を立てつつ、ノアは虚空から湧き出た水をフィリップのコップに注いでくれた。


 二人とも似たような顔色で、似たような力の抜け方をしているが、フィリップの方が吐いた直後でややすっきしりしている。


 「……僕の五、六倍ぐらい飲んでましたよね? なんでもう僕と同じぐらいの症状なんですか」


 というか、ぶっ倒れていないのがおかしい。

 魔術で何かしらズルしていた可能性もある、というか、でなければ同じ人間かどうかちょっと怪しい。


 「帝国軍人の根性ってやつだよ……。あ、やばい、吐く。ちょっとあっち向い……おえぇぇ……」


 ノアはフラフラと覚束ない足取りで席を立ち、フィリップが吐いたのとは別の死骸の上に嘔吐した。


 しばらくゲーゲーやっていた彼女はうがいをして顔を洗って、フィリップ以上にすっきりした顔で戻ってくる。そして何とも言えない顔をしていたフィリップを見て、むっと眉根を寄せた。


 「……なに。あんま見るもんじゃないし、そもそも見たって気持ち悪いだけでしょ」

 「それはまあ。でも、態々死体の上で吐いてたので、ちょっと好感が持てて。つい見つめちゃいました。すみません」

 「好感? ……ふーん。あんたも特別嫌いなんだ?」


 バーカウンターまで戻ってきた彼女はフィリップの隣に座ると、アデラインの前に置かれていたフレーバード・ミードの瓶を取りグラスに注ごうとして、思い直して水を注いだ。賢明な判断だ。


 彼女はグラスを呷り、「特別?」と首を傾げているフィリップに向き直る。


 「カルトって気持ち悪いしさ、普通の人は教会に報告しておしまいだし、戦う力があっても討伐以上のことはしないじゃん。害虫と一緒。潰す以外のこと、しないでしょ?」


 そうですね、とフィリップは軽く頷く。

 厳密にいえば、カルトを見つけた一般人が私刑に処す過程で拷問じみた制裁を加えることもある。死ぬまで殴るとか、杭に縛って石を投げ続けるといった。


 しかしそれは、あくまで「殺すための暴力」だ。


 「君が殺した奴を見たけどさ、凄いじゃん。断面が滅茶苦茶綺麗だし、攻撃位置も的確。頬と顎を切って口を利けなくしてたのは笑っちゃった。抵抗の痕跡もないし、反撃された様子も無い。攻撃動作が洗練されているんだろうってことは分かる。……けど、攻撃位置がおかしい。急所以外を六回も斬れるなら、一撃で首を落とした方が戦闘面でも体力面でも高効率スマートなはず」


 その通りだ。


 フィリップの殺し方は一般的な過剰暴行とは違う。

 「拷問」と「殺害」を、明確に区別して行使している。殺傷能力の全てを敢えて使わず、苦しみを長引かせ、惨く殺すことを目的にしている。


 「虫を殺すのに、肢を、羽を、触覚を、順々に千切っていく必要なんかないじゃん。けど、あんたはそれをしている。そうするだけの憎悪理由があるからでしょ?」

 「……そういう貴女こそ、聖痕者とは思えない殺し方でしたよ。神罰術式を使えば、死体も残さず一撃で全員殺せたはずでは?」


 答えの代わりに薄く笑ってみせたフィリップは、上半身が弾け飛んだ死骸を視線で示す。

 何をどうやったのか、どんな魔術を使ったのかさえ分からない死に様だが、見るに堪えない死骸を残すのはルキアやステラなら珍しい。


 「まあね。けど、そんなクリーンな死に方、カルトには相応しくないでしょ」

 「あら。それもそれで、聖痕者らしからぬ残虐な思考ではありませんか? そこまでカルトがお嫌いなのですか?」


 アデラインの愉快そうな声が会話に混ざる。

 フィリップは「確かに」なんて相槌を打つが、ノアは舌打ちをして、アデラインへ肩越しに侮蔑と嫌悪の混ざった一瞥を呉れた。


 「マフィアもね。というか、犯罪者が好きな軍人なんかいないって。皇帝陛下からのお達しがなきゃ、帝都に潜む害虫なんか全員ここで殺してるところだよ」


 背筋の凍るような殺気が迸り、フロア中を埋め尽くす。

 掃除をしていたスタッフや死体の処理をしていたマフィアが動きを止め、何人かは武器まで抜くほどの威圧感。


 アデラインの護衛役であるジャックも、背中に手を回して得物を握っている。


 その反応さえ気に喰わないと言うように、ノアの殺気はさらに高まった。


 「は? 何、やる気? あたしはマフィアを見つけても殺すなとは言われてるけど、武器を向けられても殺すなとまでは言われてない。……死ぬか?」


 空気が凍ったような、或いは深い海の底にいるような、ただ動くことすら拒むような重圧が部屋の中を埋め尽くす。

 会話を聞いてさえいなかったスタッフでさえ、張り詰めた空気を感じて動けずにいる。


 誰も動けない。

 動けば死ぬと肌で感じる。


 ただ一人、魔力も感じられなければ、人間程度の威圧感で怯えることもないフィリップを除いて。


 「いや、貴女がビビらせるからですよ。というか、まだ聞きたいことがあるので殺されると困ります」


 淡々と、空気に呑まれることも空気を読むことも無く言ってのけた子供を、ノア以外のほぼ全員が異常なものを見る目で見つめる。


 視線を戻したノアは不機嫌そうだったが、既に殺気は霧散していた。


 「えっと、皇帝……国が犯罪組織マフィアを守ってる、ってことですか?」

 「まあ、概ね? 詳しいことは教えられないけど、こいつら、高位の貴族に飼われてるんだよ。帝都の治安を守る軍人としては一掃したい汚物だけど、皇帝陛下の剣である軍人としては、仕える主人の意向無くしては動けないってワケ」


 ノアは億劫そうに肩を竦めてみせる。

 「聖痕者なのに、国とか王様の命令に従うんですね」とフィリップは不思議そうだが、その疑問はすぐに自己解決する。


 ルキアもステラもヘレナも聖痕者という特権以外の立場を持っていて、それに応じた振る舞いをしていた。

 ノアは彼女たちとは感じが違う──上品さがやや欠けているとはいえ、その辺りは同じなのだろう。


 「んー、まあ、突っぱねる権利もあるんだけど、平民根性と軍人気質が染みついちゃってるからさ。なんか、つい?」

 「あぁ……ちょっと分かります。僕にそんな権利はないですけど」


 泡のような劣等生物相手にでも、フィリップが「怒られるのは嫌」と感じるのと同じ……まあ似たようなモノだろうと、勝手な想像で同意する。


 「ま、そんなことはどうでもいいですね。それより、連中の詳しい情報を貰えますか?」


 フィリップはノア越しにアデラインに言う。

 しかし答えたのは、その視線を遮るように身を乗り出したノアだった。


 「なんで……なんて、聞くまでも無いか。あんな粘着質で気分が悪くなるような殺し方を見れば、殺意の根深さも分かる。でも駄目だよ。来賓にそんなこと──」


 ノアの言葉が途切れ、同時にフィリップは表情が動いたのを自覚する。

 すぐに取り繕ったつもりだが、常々演技力や表情制御力の欠如を指摘されているフィリップが自分で気付けたということは、向かい合っているノアがはっきりと見るだけの濃さと時間があったことだろう。


 内心がそのまま表情に出たとしたら、大変よろしくない。


 フィリップは今、面倒だと思っていた。

 止められると面倒、ではない。


 邪魔をするなら殺すが、聖痕者を殺したら面倒だろう、と。そういう意味で。


 殺気は出なかったはずだ。

 フィリップは「歩く」「手を挙げる」といった日常的行為と同じところに、「殺す」という動作が並んでいる。単なる動作の予兆が感じにくいように、怒気や悪意、戦意に依らない殺意は表出しにくい。


 しかし──相手は聖痕者。それも軍人だ。

 戦闘センスは生来高く、それを訓練によって研ぎ澄ませた最強の魔術師。


 殺気を隠す訓練などしていない、ただ性質上隠れているだけの殺気を見逃すほど生温い人間ではない。


 自分に向けられた殺意を鋭敏に感じ取り、ノアは。


 「……あはっ」


 愉快そうに嬉しそうに、声を上げた。

 弾むような声に相応しい笑顔に、フィリップは敵意を向けられる以上に慄く。


 殺意に対して笑うなら、それは威嚇か、迎撃態勢に入る戦意の発露であるのが普通だ。

 しかし彼女の表情に獰猛さは無く、むしろ友好的ですらあった。


 それは、初対面の人間と趣味が同じだと分かったときのような。


 彼女はそんな笑顔のまま、フィリップに二つ指を立てて示す。


 「来賓に害虫駆除なんかさせたら、あたしが叱られるの。あんたのご主人様にバレても怖いしね。……さて、あたしの側の主張はこの二つだ。あんたはこれをどう攻める?」

 「え? えーっと……ミナは僕の趣味のことを知ってるので、僕がカルト狩りをすることに関して口を出してこないと思いますよ。怒られる、に関しては……」


 ちら、とノアの顔を窺うフィリップ。

 今更ながら怒られないかを心配しているようだが、しかし結局、本心をそのまま語ることにした。


 「……僕が知ったことじゃないので、勝手に怒られてください。どうせ聖痕者相手にそこまで強くは出ないでしょう? まあ、軍に査定とかがあるなら多少の減点になるかもしれませんけど、それも僕が知ったことじゃないので」


 なんて、誰でも怒るような本心を。

 まあ適当な嘘が通じる相手では無さそうだし、いい言い訳も思いつかなかったので仕方ない。仕方ないのだが、とはいえ、流石に飾りが無さ過ぎる。


 ステラでも眉を顰めそうな──最適解なら応じてはくれるだろうけれど──暴言に片足を突っ込んだ発言に、ノアはますます目を輝かせた。


 「──あっははは! うんうん、なるほど、そうだよねー!」

 「……なんか面白いこと言いました?」


 フィリップの胡乱な目にも構わず、ノアは暫くけらけら笑っていた。愉快そうに、嬉しそうに。


 やがて笑いの発作が収まると、彼女は口角を揉み解しながら「自分が昔言ってたようなことを言われたら、そりゃあ、面白くない?」と首を傾げる。

 言わんとしていることに即座に思い至れないフィリップを置いて、彼女はさっさと先を続ける。元より、フィリップの同意を求めたわけではないらしい。


 「いいよ。あんたの我儘の責任、あたしが取ったげる。あの陰湿な殺し方に免じてね」


 



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