第453話

 サバト──そんな言葉では到底足りない、邪神たちの会合。

 参加者最後の一人であるマイノグーラの化身、黄金の鎧を纏ったレイアール卿が、黒煙を上げて燃え盛る村の方からやってきた。


 彼女の手には、金剛杵とそれを掴む手の骨のような意匠のある魔剣『インドラハート』が握られている。

 周囲には雷撃に伴うオゾンの臭いと、それを包み隠して余りある焼け焦げた臭いが立ち込め、背後の炎と黒煙と合わせて彼女を鮮烈に彩った。


 「言われた通り、死体が残る程度に焼いておいたわよ。あれはオマケね」


 レイアール卿が振り返りもせず肩越しに背後を示す。村ではなく、上方、星の瞬く夜空を。


 正確には、そこに浮かぶ二つの十字架を。

 血と海水を雨の如く滴らせる、巨大なヒトガタ。魚と蛙を掛け合わせて人間の胎で育てたような巨人──かつてゾス星系の住人であった、地球外より飛来した邪神。深きものどもの先祖であり神、ダゴンとハイドラだ。


 両腕を大きく広げた身体に、目に見える傷は無い。にもかかわらず全身から血を流している光景は奇妙だが、その奇妙さに首を傾げる者は、この場には居ない。その理由を知っており容易に再現可能な者と、理由なんて気にしている余裕がない者の二種しか、この場には居ない。


 「……主人の望まないことまでするのは、優れた従者とは言えませんよ。マイノグーラ」


 微笑の仮面で嘲笑を隠した、浅黒い肌の神父が嗤う。

 黄金で身を飾った古いファラオと、深いスリットから瑞々しい太腿を覗かせるチャイナドレス姿の女が、同意を示すように頷いた。

 

 ある意味では一人芝居と言える彼らの動きに、レイアール卿は兜の下で鬱陶しそうに眉根を寄せた。まあ、彼らにとって三次元世界の中で化身が行動していること自体、人形芝居のようなものではあるのだけれど。


 「あら、彼は喜んでくれているわよ?」

 「呆れ笑いを“喜んでいる”って捉えられるんですかぁ? わぁー、長い化身生活でなにも学んでないんですねぇ。上手におねだりできたらぁ、先生が教えてあげますよぉ?」


 けらけらと、明らかな嘲弄の笑い声を上げるのは猫耳の少女だ。

 レイアール卿の右手が霞み、直後、少女の柔肌に刃が通らなかった魔剣が半ばで折れて飛んでいった。


 「彼の子に害を為した愚物を膺懲する。我らが為すべきはそれまでだ」


 同一存在の別化身が斬り付けられたことに一切頓着せず、黄金のファラオが威厳に満ちた声で語る。

 「骨粗鬆症ってやつですねぇ」とけらけら笑っていたナイ教授が笑いの質を変え、嗜虐心に満ちた顔を村人たちに向けた。レイアール卿の魔剣は確かに折れていたはずだが、彼女が溜息交じりに鞘へ戻す時には刃毀れ一つない状態だった。


 「左様ですなあ。というか、やり過ぎると「やられる前にやってまえ」いう阿呆が沸くんや。その阿呆があん子に手え出したら、その時はお前様の所為ってことでええんか?」


 煙管を吹かし紫煙を燻らせていたチャイナドレスの女が、気怠そうに言う。赤い唇から吐き出される煙は、毒々しくも鮮やかな青色だった。


 「鬱陶しいわね。どれか一体だけに喋らせなさいよ」


 レイアール卿は空を見上げ、三つ並んだ赤黒い月に言う。

 燃え上がる三つの目は嘲笑の形に歪むだけで、何も答えなかった。その代わり、偏屈そうな時計職人の老人がしわがれた声で叱責する。

 

 「グダグダ言わずあれを下ろさんか、馬鹿者が。どうせ、俺に言われてるうちに下ろすか、寵児に言われて下ろすか、どっちか選ぶことになるんだからな」

 「……あーあ、折角用意した余興だったのに」


 繰り返しの勧告に、レイアール卿は大袈裟に肩を竦めた。

 夜空に浮かんでいた生きた十字架は外され、盛大な水柱を上げて海に返される。噴き上がった海水は雨となって村の跡地に降り注ぎ、落雷による火災を消し止めた。


 「……さぁ、我らが寵児のご帰還です」


 黒髪の神父の言葉に、喪服の女と黄金の騎士以外の全員が膝を折り、首を垂れた。

 二人の村人の膝は、関節の稼働で「折れた」というか、外部から凄まじい力が加わって「捻じれ折れた」と表現すべき有様ではあったけれど。



 ◇



 アンテノーラの背に乗ったフィリップが村の近海まで帰ってきたとき、二人は揃って空を見上げていた。

 素性は定かではないが、口調や所作の上品なアンテノーラまでもが口をぽかんと開けて、呆けた顔で。


 「なんですの、あれ。マーマンにしてはクジラくらい大きいですし、変異種……?」

 「なんかダゴンとハイドラが浮いてる……」


 素直に疑問を口にするアンテノーラと、得も言われぬ表情で呻くフィリップ。


 何故、とは、フィリップは思わなかった。

 まだハスターを召喚していない以上、あんなをするのは外神に決まっている。いや、他のクトゥルフに敵対的な邪神の仕業という可能性も無くはないが、状況を考えると、そいつらが唐突に介入してくるよりは外神が出張ってきたと考える方が自然だ。


 「……邪神だよ。トルネンブラはこの手の知識を与えないだろうし、重要な部分だけ教えておくと、君が海の中で聞いた“声”は、あいつらの親玉のテレパシーだ。ついさっき飛び起きて、今は二度寝の真っ最中だろうけどね」


 どうせそのうち、トルネンブラが最低限の智慧を与えてしまうのだ。ここで多少喋り過ぎたって、何も変わらないだろう。

 そう割り切って、フィリップはカノンやシルヴァに対するときのように配慮を捨てる。


 「邪神……。もしや、オットーモグと何か関係が? マーマンもどきが信仰していた、気色の悪い怪物なのですけれど」


 マーマン──フィリップは実際に遭遇したことは無いが、学院の授業で習った。

 海棲の魔物で、二足二腕だが体表面に魚の鱗やえらを有し、深きものと似た特徴を持つ。ディープワンより人間的特徴が強いが、完全鰓呼吸のため陸上では生存できない。そして魔物であるため、殺すと身体組織が魔力に還り、消滅する。


 その“擬き”、きっとディープワンだろう。

 深きものが信仰する「オットーモグ」、海棲の邪神とくれば、邪悪言語を聞き覚えて無理やりに再現した発音からでも、その正体には察しが付く。


 「旧支配者ゾス=オムモグ……クトゥルフの末裔だね。知ってるの?」


 ゾス=オムモグ。旧支配者の一柱で、円錐形の身体と、角があり、四つの目と多数の触手を備えた爬虫類のような頭部を持つ。

 不死身であり、殺しても数十年で復活するが、神格としてはそれほど強くない。目視が即発狂を意味する相手ではないし、ルキアやステラ級の火力が用意できれば人間でも殺せる……はずだ。存在格の隔絶、干渉無効化能力を持っていなければ。


 「えぇ。私の所属していたポッド……群れのトップが活発なお方でして。数年前に、怪しげな儀式をしている気味の悪い集団がいたので、戯れに襲撃したことがあるのですわ。その時に召喚されたのが、確かそのような名前だったかと」

 「遭ったんだ? まあ、そんなに強い相手じゃないし、この速度なら逃げ切れるだろうね」


 ゾス=オムモグは動きが素早いタイプではない……というか、支配個体であるクトゥルフの継嗣だけあって、自ら戦うタイプではない。戦闘を想定した身体をしていないのだ。


 特に好戦的であるという智慧もないし、船なんかよりずっと速いマーメイドの航行速度であれば、容易に振り切れるだろう。


 そんなフィリップの予想を、アンテノーラは頷いて肯定する。


 「そうですわね。私たちなら、きっと容易く。けれどあの時は、何人かが狂ったように敵意を剥き出しにしていて、私たちもつい引っ張られてしまって……15人が12人になってしまいました」

 「そっか……」


 フィリップは神妙を装った相槌を打つ。

 いくら人魚が御伽噺の登場人物とはいえ、面識も無い相手を悼むことが出来るほど、フィリップは優しい人間ではない。それがアンテノーラの家族であってもだ。


 それに、不運にも発狂したか、ウォードが言っていたようにパニックを起こして攻撃的になったのかは不明だが、逃げようとしない奴が──馬鹿が馬鹿なことをして死ぬのは、それは仕方のないことだ。むしろ馬鹿に足を引っ張られながらも、生還出来たことを褒めてやるべきだろう。


 そんなことを考えていたフィリップだったが、アンテノーラが悔しそうな理由は「全員で逃げられなかったから」ではなかった。


 「皆が冷静なら、一人も欠けずに殺し切れたでしょうに」

 「うん……ん? え? 最終的には勝ったの?」

 「はい。ですが三人もの犠牲が……」


 アンテノーラは痛ましそうに言う。

 しかし、フィリップは半笑いだ。苦笑いとも呆れ笑いともつかないし、愉快そうでもあったが、アンテノーラに気遣って笑いを堪えている風ではない。


 引き攣った笑顔は、アンテノーラの語った内容と、彼女自体に向けられたものだ。


 存在格差は、数では覆せない。

 人間の中では最精鋭の兵士である衛士団が、魔術師抜きとはいえ数十人規模の古龍討伐隊を組み、それでも魔剣を手に入れるまで傷一つ付けられなかったように。或いは数では覆せない差があるからこそ、存在の格に隔絶が生じるのかもしれないけれど。


 そんなことはどうでもいい。

 つまり──彼女らマーメイドは、数さえいれば旧支配者を打倒し得る程度には上位の存在格を持っていることになる。或いは、ゾス=オムモグがただの生物との間に存在格の隔絶を持たない、劣等生物であったかだ。


 流石に、古龍以下ということはない……と、思うのだけれど。


 「クラゲといいサメといい、君たち人魚や邪神といい……海って怖いところだね」

 「意外ですわ。あれを見ても動じない貴方様にも、恐れるものがあるのですわね」


 揶揄い交じりに言うアンテノーラ。

 進行方向を向いたその表情はフィリップの位置からは見えないが、きっと声色通りの悪戯っぽい笑みを浮かべているのだろう。


 軽口に真面目に返すこともないだろうと、フィリップは小さく肩を竦めた。


 「沢山あるよ? オバケとかね」

 「あら。ふふっ……お可愛らしい」


 それから少し他愛のない話をしていると、星明りの中に海面以外のものが映る。

 見覚えのある海岸線、桟橋、船──しかしその奥にあるはずの質素な木造建築群は、もうもうと上がる黒煙に遮られて見えなかった。空中に浮かんだダゴンとハイドラといい、大火事にでも遭ったかのような村の様相といい、フィリップが謎の転移をしている間に全部終わってしまったようだ。


 「あれが邪神召喚の儀式、なのでしょうか? 私が生贄にされかかった……」

 「いや……あれはサービスだよ。まあ、顧客の求めていないことをするのは、サービスじゃなくて余計なお世話なんだけどね?」


 フィリップの言葉に、アンテノーラは含蓄のある言葉を聞いたとばかり深々と頷いた。宿屋の丁稚だった頃、偶に言われたことなのだが。

 

 それから二人はラグーンと外海を繋ぐ水道を通り、神殿の傍まで戻る。

 フィリップがその背中から降り、暴行を受けたまさにその場所に上陸すると、彼女は数刻前にそうしたように恭しく一礼した。


 「それでは、ごきげんよう。またいつか、必ず」

 「うん、まあ、多分会えると思うよ。トルネンブラがそうするはず。……それまで元気で、もうディープワンなんかに捕まらないようにね」


 今度はフィリップが揶揄い交じりに言う。

 まあ、そもそもちゃんと戦えば──気が立っているからと暴走気味に戦ったりしなければ、彼女が深きものなんかに負けるとは思えないけれど。


 「はい。貴方様も、どうかお元気で」


 アンテノーラは数刻前と同じように、度々振り返って名残惜しそうに手を振りながらラグーンを横切り、やがて見えなくなった。


 こちらも数刻前と同じように、見えなくなるまで手を振り返していたフィリップは、一息つくと不愉快そうに鼻に皺を寄せる。

 周囲には潮と森の臭いだけでなく、火災を警告する焦げた臭いと、腐臭にも似た鼻に纏わりつくような臭気が漂っていた。


 「さて、と……。なんか臭い……なんだっけ、この臭い? どこかで嗅いだんだけどなぁ……」


 首を傾げながら、フィリップは馬車の方へ戻る。

 途中、馬車を囲う黒山羊の一匹がフィリップの臭いを嗅ぐように鼻を鳴らしたが、一歩近づいた途端、フィリップの冷たく咎めるような視線に射貫かれて怯えたように頭を下げ、へたり込むようにして伏せた。


 跪き首を垂れるナイアーラトテップの化身達が傍に控える道を、フィリップは驚きもせず、初めて見る化身に興味の一瞥を呉れることもなく、平然と歩く。


 道の途中にはカノンも跪いていたが、彼女は大量の外神に怯えて畏縮しきり、もう震えることすらできない有様だ。


 焚火の側でフィリップを待つマザーの所へ向かう道すがら、黄金の騎士の前で足を止めた。


 「あぁ、マイノグーラの魔剣か……。この臭い、毒って言ってなかった?」

 「はい。風のある場所ですので、ヒトの身でも影響はないかと」


 跪いたまま顔だけを上げ、黄金の騎士は僅かに陶然とした表情で答える。いつの間にか、顔を覆うフルフェイスヘルムは取り払われていた。


 「そう。駆除は済んだみたいだけど、もう報復まで終わっちゃった?」

 「とんでもない。フィリップ君、私は勿論、君が最早“駆除”などという甘い裁定を望んでおられないこと、理解していますよ」


 フィリップの問いは宛先を明確に持っていなかったが、ナイ神父がすぐに答える。


 薄い笑みを浮かべたフィリップは、近くの木に見覚えのある顔が三つ、縛られていることに気が付いた。木の幹に身体を縛り付けているのはロープではなく、捻じれ、細長く伸長された自らの四肢だ。


 「ショーはこれからです。どうぞ、特等席でご覧ください」


 ナイ神父が恭しく示した先で、黒山羊に腰掛けたマザーが自分の膝をぽんぽんと叩いた。


 確かに特等席だ。だが。


 「どれだけ面白い演目でも五分で寝ちゃいそうですね……」


 村人たちがどんな末路を辿るのか──外神がどういう“報復ショー”を見せてくれるのか、見てみたい気持ちは、まあ、ないわけではない。

 だが、その興味は眠気を押すほどかというと、そこまでではない。


 劣等生物がどう苦しんでどう死ぬかなんて、フィリップが知った事じゃあない。

 自分の命令がどんな結果を齎すのか、どんな地獄を作り出すのかなんて、どうでもいい。


 言葉通り、フィリップはマザーの抱擁を受けてから僅か三分で眠りに落ちる。


 しかし、外神たちの夜宴は終わらず、フィリップの眠りを妨げぬよう音を殺された悲鳴は夜通し響き続けていた。


 そして翌朝──外神がいた痕跡などは一つもなく、村のは、不愉快な思いをさせて申し訳なかったと丁寧に頭を下げて、一行を見送る。


 馬車の中で寝袋に包まった状態で目を覚ましたエレナとリリウムは、内容は覚えていないが悪夢を見たと、揃って今にも吐きそうな顔色をしていた。

 

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 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 シナリオ19 『漁村』 グッドエンド


 技能成長:【水泳】等、使用技能に妥当な量のボーナスを与える。


 特記事項:なし

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