第448話

 「腐ったリンゴは箱ごと捨てなきゃ……!」


 腰を回して鞘を引き、剣を抜くのではなく鞘を外すようにして抜刀する。

 柄頭の位置を変えずに刃が抜き放たれ、エレナは剣ではなくフィリップの身体へ手を伸ばして動きを制さなければならなかった。


 「駄目。というか、それは上に立つ者としてはあまりにも怠惰な考え方だよ、フィリップ君。毒のある生き物だって毒を除けば食べられる。全てが毒のキノコにだって薬としての使い道がある。敵を殺すことに否やは無いけれど、誰が敵なのか、そしてその目的くらいはきちんと見極めるべきだ」


 大真面目な顔で甘いことを言うエレナに、フィリップは面倒臭そうな一瞥を呉れる。

 確かにエレナの視点からは、薬物を混入させたのがスープを持ってきた二人の独断なのか、鍋を持ってきた村長も関わっているのか、或いは村全体の悪意の結晶なのかが分からない。


 それに、悪意の形も不鮮明だ。

 盛られたのが致死性の毒物だったのなら──向けられたのが単純な殺意だったのなら、エレナも殺意を以て応報することに否やは無い。だが、それにしては混入した薬物が不自然だ。


 その理由を確かめるまで、エレナは怒りに任せて村人たちの頭蓋を殴り壊し、頚椎を蹴り裂くことはしない。殺意にも近しいほどの怒りを、自制心で制御する。

 そして同じことを、フィリップにも強いる。説得は、実のところそれほど難しくはない。


 「……ステラちゃんだって、きっとボクと同じことを言うよ」

 「うわ、確かに言いそう……!」


 フィリップは色濃い苦笑を浮かべ、剣を下げる。


 殺した場合のメリットより、活かして利用した場合に生じる利益の方が大きければ、ステラは自分の首を狙った暗殺者でも見逃すだろう。

 彼女がいまこの場に居たらと想像すると、確かに、「その選択肢は拙速に過ぎるぞ、カーター」なんて苦笑されそうではある。


 そしてフィリップの中で、ステラの判断は大抵の場合に於いて正しい。それが所詮仮定に過ぎないとしても、「ステラならこうする」という意見はフィリップの意思決定に大きな影響を与えた。

 

 ──


 苦笑も戦意の収束も演技だ。

 声や仕草はわざとらしく、目の奥に宿る光は変わらず剣呑な殺意の色を湛えている。ルキアやステラなら間違いなく看破するし、普段のエレナでも簡単に見破れる。しかし今の彼女は、自分自身の怒りを制御するのに忙しかった。


 フィリップにしてみれば、悪意の量も形も鮮明だ。

 即ち「深きもの」の繁殖を目的とした、村人全員がフィリップとリリウムの生殖細胞を狙った結果。悪意ではなく本能や義務感から来る行動かもしれないし、もしかすると村人全員ではなく一部個体の暴走かもしれないが、動機なんてもうどうでもいい。


 気色が悪い。だから殺す。

 衛生害虫を捕食する益虫であるゲジや蜘蛛を踏み潰すのと同じだ。


 フィリップがエレナの隙を探って止まったのを好機と見たか、オスメロイが再び説得を試みる。


 「酷い言われようだが……聞いてくれ。そのスープはこの村じゃ伝統的な薬膳で、祭りの時には皆飲んでるんだ。なあ、ルティ?」

 「う、うん、そうだよ! 全然美味しくないけど、お腹が痛くなったりとか、そういうのは無いもん!」


 邪気の無さそうな子供の言葉。

 そしてこれまでフィリップに数多くの情報をくれたルティの言葉。


 そんな付加情報に、最早価値は無い。


 しかし──フィリップは訝るような顔を作って「そうなの?」と尋ねる。まるで、二人の説得で心が揺れ動いたかのように演じる。


 「まあ確かにシモの調子は良くなるが、スタミナも付くし、元気なのは悪いことじゃあないだろ?」

 「……」


 オスメロイが更に言葉を重ね、エレナはどうすべきか決めあぐねたように、困り顔でフィリップの方を見る。

 人間とエルフと吸血鬼と、全く異なる価値観や生活、文化を知る彼女には、これが悪意なのか、僻地で生まれた異文化なのか判断できなかった。


 だが、それはフィリップも同じだ。

 いくら深きものについて多少の智慧があるとはいえ、その生活様式や文化なんてものをシュブ=ニグラスが関知しているはずがない。


 外の血を取り入れる目的で──交配目的で薬を盛ったという推測も、異種族が儀式の前に群れの皆で薬をキメてハイになる習慣があると言われても、どちらも同じくらいの信憑性だ。


 「薬膳を作る過程で、その……なんだっけ? トリップドラッグ? とかソドミードラッグが混入する可能性はどのぐらいあるの?」


 フィリップはごくさりげなく、エレナを誘導する。

 彼女が村人たちの言い分を信じるように──どうせ、村人全員を虐殺するなんて答えを出さないであろう彼女が、適当に納得して村を去るように。


 フィリップ自身の殺意を満喫できるように。


 「自然抽出物だし、無くはないよ。それに、世代を経るごとに薬物への耐性が強まっていく可能性はボクたちの中でも研究されてた。村の人は誰もトんでないみたいだし、信憑性はある、のかな……?」


 あるかもね、とフィリップは適当に答える。

 実際、昨日からルティの態度には一切の隔意や悪意を感じなかったし、彼女が嘘を吐いている可能性はかなり低い。彼らは本当に毎年ドラッグスープを飲んでいて、今年は偶々フィリップたちが村にいたせいで問題になっただけかもしれない。


 それにしては混入している薬がいやに恣意的だが、この近辺の植生や普段の彼らの生活を知らないエレナには、それが偶然の産物である可能性を評価できない。

 普通はヒトに麻薬レベルの効果を発揮する材料は、遺伝などによって耐性を持った彼らには多少の高揚感しか与えないかもしれない。勃起剤や排卵誘発剤となる材料も、彼らには血行促進や月経不順を改善する効果のある薬草程度の認識かもしれない。


 そんな沢山の「かもしれない」が、エレナの憤怒を鎮めていく。


 本当に敵意が無くて、エレナたちが過剰に反応しただけ──彼らが人間であったのなら、異種間交配用の薬という不自然なものを態々入れる必要が無いことからも、そんな言い訳を通せただろう。事実、そう考えているエレナには通る。


 「……材料を全部ここに持ってきて。それから使用用途と作り方をなるべく詳しく教えて」

 

 エレナは有無を言わせぬ口調で村長に言う。

 外見的に細身の少女でしかないエレナではあるが、ほとんど触れるだけのような動作でフィリップに盛大にゲロを吐かせた現場を見ていた村長は、何ら言い募ることなく家に走っていった。


 「ね、ねぇ、さっきから二人とも、ちょっと過激すぎない? ほら、私もフィリップも最終的には飲んでないわけだし……そもそもぼっ……そんな薬、私たちに盛る意味がないじゃない」


 エレナとフィリップが落ち着いたタイミングを見計らい、リリウムが僅かに声を震わせながら擁護する。


 「あぁ……。うん、そうだね。言われてみれば、確かに。故意じゃなかった、のかな……?」


 もっと詳しい情報を集める姿勢になったエレナに、フィリップは満足そうな一瞥を呉れる。


 心優しいエレナのことだ。

 どうせ、リリウムを過剰に怖がらせないようにと慮って、明日の朝にはここを出るのだからと甘い裁定を下すに違いない。最も過激な展開でも、実行犯の二人を殺すくらいだろう。


 それでいい。

 エレナとリリウムは「あれは結局何だったのだろう」と首を捻りながら村を出て行けばいいのだ。 


 「……フィリップ様?」

 「……カノン、ちょっと来て」


 正気を疑うような目をしたカノンを呼び寄せ、エレナの人外の聴力でも聞こえない程度の距離を空ける。

 二人は肩を組んで顔を寄せ、秘密の作戦会議の姿勢になった。


 「……あいつら、間違いなくフィリップ様の遺伝子を狙っていましたよ。子供たちは全員交雑種みたいですし、リリウムの子宮も使うつもりだったに違いないです。いやそっちはどうでもいいですけど、フィリップ様の子種を狙う不逞の輩を野放しにしたとあっちゃ、私がナイアーラトテップとシュブ=ニグラスに叱られてしまいます」

 「分かってるから声に出さないで言葉にしないで。鳥肌で刺胞装甲みたいになってるから」


 村人に対する疑念の強さが変動しているエレナと違い、フィリップとカノンの意見は一貫している。即ち、先のスープは繁殖目的であると。


 ルティの言葉は恐らく、嘘ではない。村には本当に伝統的な薬膳があるのだろう。薬の混入はスープを持ってきた二人の手によるもので、他の村人は混入それ自体については関知していない可能性もある。


 「薬を盛るとは思わなかった」と言う意味ではなく「自分はそのつもりがなかった」というだけで、来訪者に繁殖用餌を与えて利用する行為は、この祭りとは関係なくあるはずだ。

 

 ルティはともかくオスメロイからも悪意は感じなかったが、それは単純に彼が悪意を持っていないからだろう。

 男なら精子を、女なら子宮を、まあ良くて“借りる”くらいの認識のはずだ。人間という劣等種の生殖細胞を、集落存続のために仕方なく“使う”くらいの認識だって可笑しくはない。


 「どうするんですか? あ、いや間違えました。あいつら全員ブッ殺しましょう」


 喉首を掻き切るジェスチャー付きで、カノンは強く主張する。


 フィリップは緩く頭を振り、否定を示す。

 しかしそれは、「殺さない」という意味ではなかった。


 「質問と提案を間違えることある? エレナとパーカーさんにあいつらが人外だって気付かせたくないし、今すぐは駄目。明日の朝にここを出るんだから、その後だ。……折角だしナイ神父とか呼ぶ?」

 「呼ぶならシュブ=ニグラスにすべきかと。ナイアーラトテップはフィリップ様のご意思を尊重して不平も不満も呑み込みますけれど、彼女は拗ねますよ? というか──」


 カノンは続く言葉を持っていたようだが、フィリップの表情を見ると呆れ顔で言葉を切り、胡乱に眉根を寄せる。


 「……ちょっと、「へぇ、ちょっと見てみたいなあ」って顔しないでくださいよ。好きな女の子へのアプローチが分かんないガキですか? でなきゃヤバめの嗜虐性癖か独占欲持ちですよ」

 「うるさい。……それより、何か言いかけてなかった?」

 「あ、はい。えっと……私がご無礼を働いたときのようにはならないんですね? 正直、意外です」


 ご無礼を働いたとき、と言われて、フィリップはすぐに彼女の言わんとするところが分かる。

 初対面のとき──フィリップをナイアーラトテップの化身と誤認して、外神たちが盛大にブチ切れて三次元世界へ一斉に干渉しようとした時のことだ。


 「あぁ……あの時は殺すかどうか決めかねてたから、今のカノンみたいに「殺そう」って言いに来たんだよ、多分だけど。けど今は違う」


 フィリップはもう、「殺すか?」なんて甘い思考を持っていない。


 彼らがダゴンやハイドラやクトゥルフを信仰することは、種族として普通だ。

 黒山羊がシュブ=ニグラスを畏れるように、ハスターがヨグ=ソトースを畏れるように、蛇人間がイグを畏れるように。或いは、人間が唯一神を畏れるように、彼らもそうしているだけ。


 それをカルト的であるとか、異常なものとして糾弾するつもりはない。ルキアやステラの目に触れる可能性があるなら抹消するが、僻地で細々と生きているなら構わない。


 だが──もうダメだ。

 フィリップはもう、彼らを“気色の悪いもの”として認識してしまった。それも、かなり重篤に。


 カルト相手のような発作的殺意の噴出は無い。

 しかしそれだけに、フィリップの心中で鎌首をもたげた殺意は、アリの巣に水を流し込んで殺すような、ネズミの餌に巣穴に持ち帰った後で効果を発揮する遅効性毒物を混ぜておくような、陰湿で徹底したものだった。


 「僕はもう「後で殺す」と決めてるからね。シュブ=ニグラスはともかく、僕が決めたのなら外神たちもそうする」

 

 言い切ったフィリップに、カノンは恭しく頭を下げて了解の意を示した。


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