第420話

 「ごめんなさい」と謝った者も、「許してください」と乞うた者も、「俺たちは何もしていない」と説いた者も、絶望して黙り込んでいた者も、イタクァの偉大さについて語り出した者も、皆死んだ。

 三人は地上で溺死し、二人は内臓からじわじわと炭化して。


 カルト狩りを満喫し、心なしか肌ツヤの良くなったフィリップは、ずっと丸まった姿勢でぴくりとも動かなかった「ミ=ゴの兵器」の傍らに立った。


 「おーい、生きてる?」


 龍貶しドラゴルードの鞘の先でツンツンつつきながら呼びかけると、襤褸切れを纏った赤毛の少女のようなヒトガタ、シルヴァが「ミ=ゴの兵器」と呼んだモノは、ぴくりと震えて反応した。


 「おぉう、びっくりした……」


 見ていた限りでは殴られようと蹴られようと微動だにしなかったモノがいきなり動き、フィリップは肩を跳ねさせる。


 そんな彼の前で、それは腹を抱えて蹲った姿勢からむくりと上体を起こし──ぺたりと座り込んだまま、きょろきょろと左右を確認した。

 なんだか寝起きみたいな反応だと、フィリップは呆れたように苦笑する。ちょうどフィリップに背を向ける形で顔は見えないが、寝ぼけ眼で欠伸でもしていそうだ。


 それは左右だけでなく、上と下を確認して、最後に漸く振り返った。


 「っ!?」


 フィリップは自分の方を振り向いた顔を見て、思わず瞠目する。


 どことなく気弱そうな垂れ目と、怯えたような光を湛える赤い瞳──人間と同じカタチをしているのは、そこまでだった。


 鼻というパーツはなく、顔の下半分は四つの花弁を持つ花のような大顎になっていた。唇はなく、親指ほどもある牙が左右交互に嚙み合わさっている。

 その大顎が頬が剥がれるようにして開くと、その内には縦に開く咽頭顎のような第二の口があり、大顎のものよりは小ぶりな牙がきっちりと並んでいた。こちらは人間の口のように、上下の歯が合わさるように閉じられている。


 あからさまな化け物だ。

 だが、それ故に、フィリップは多少の好奇心を抱いた。


 シルヴァが「ナイアーラトテップを信仰する種族」と言ったこいつ──正確にはその製作者か?──は、どれほどの智慧を持っているのかと。


 意外にも表情筋があるらしく、それはフィリップを見ると、目が零れ落ちそうなほどに瞠目し、勢いよく立ち上がった。

 戦意は無いが、そもそもフィリップの戦意や殺意を感じ取るセンスは壊滅的だ。状況によっては蛇腹剣を抜き放ちながら全力で距離を取るような、危険な動きだが──フィリップは動かなかったし、動く必要は無かった。


 フィリップより少し小さい背丈のそれは、黒い鱗に覆われた両手を高々と掲げる。降服のボディランゲージと言うよりは、遠くの人に呼び掛ける時の仕草に近い動きだ。


 そして──。


 『しゃめっしゅ! しゃめっしゅ! にゃるらとてっぷ、つがー! しゃめっしゅ!』


 ナイアーラトテップを讃える言葉を、向けた。


 「は?」


 僕ってこんな声出るんだ、と自分で驚くくらいの暗い声に、世界の軋む形容しがたい音が重なる。

 唐突にぶん投げられた、五、六発殴っても誰も文句は言わないだろうという暴言に、最も苛烈に反応したのは外神だった。


 「フィリップ君、こいつは殺しましょう。君と会話するに相応しい知性を持ち合わせない■■……失礼。原核生物にも劣る劣等種です」なんて聞こえてきたのは幻聴だろうか。それとも。


 いつぞやシュブ=ニグラスが望外の張り切り具合を見せたときなんかとは比にならない、まだこの世界には存在の一部分すら入っていない外神たちの神威が、フィリップの心身に同時に叩き付けられる。


 これは、一柱やそこらではない。

 十や百では足りない。千や万でもまだ怪しい。怒り狂った外神の群れが、あの悍ましい宮殿から雪崩出ようとしている。


 世界が軋む。

 時間と空間が極彩色に揺らぎ、泡の表面のように流れる。


 「ひぇ……な、なんですかこれ……」

 「……あ、不味いな」


 起こっている現象を理解できないでいる「ミ=ゴの兵器」と、で何が起こっているのかまで大体のことを察したフィリップが同時に呟く。

 その声に込められた感情は、二人で違う。無理解故の恐怖、未知への恐怖と──このままだと世界は致命的破綻を迎えることになるが、それを回避するだけの力を持ち合わせないことへの諦観。


 終わったか、世界。

 シュブ=ニグラスだけでなく、ナイアーラトテップ本人までブチ切れているし、もっと上位の奴まで宮殿の門ヨグ=ソトースに詰め寄っている。その喧噪でアザトースも目を覚ましそうだ。いや、あの聞くに堪えない狂ったフルートと調子の外れた太鼓の音、無聊を慰める踊り子たちの舞いの中で目覚めないなら大丈夫だろうけれども。


 まあ、それならそれで仕方ない。

 外神が感情に素直なのは今に始まったことじゃあないし、“魔王の寵児”とナイアーラトテップを見間違えた愚物をこの世から消し去ろうとするのも、まあ分かる。その余波で世界が崩壊するのも、規模を考えれば仕方ないことだ。


 フィリップはそう、落胆の息を吐く。


 ──しかし。


 「じゃあ、世界が滅ぶ前に僕から君に一言。……次に僕をナイアーラトテップ呼ばわりしたら、目を抉って口を縫い合わせるからね」


 どうせ、世界は泡なのだ。

 外神が入ってくるだけで崩壊するこの三次元世界も、その外にいる外神たちも。


 そんな諦観に溺れ切っているフィリップにとっては、世界が壊れることに特別な感情はない。


 いつものようにそう考えて、いつものように気に入らない相手に中指を立てると、どうしたことだろう。世界の軋みはすっと収まり、周囲は何事も無かったかのように雪景色と似合いの静けさを取り戻した。


 意外そうに天を仰ぐフィリップは、「あぁ、ヨグ=ソトースが勝ったのか」なんて単純に考える。

 そりゃあ、ナイアーラトテップやシュブ=ニグラスといった邪神も、ヨグ=ソトースに存在格で優る“真なる闇”や“無名の霧”をも内包するのがヨグ=ソトースだ。競って勝てない相手はいないというか、誰と競っても自分と競っているというか、とにかく彼の守りは万全だ。

 

 「へ……? あ、あの、もしや我らが無貌の大神ではなく、その巫女様か何かで……? はっ!? いやこの気配は、まさか豊穣の大地母神様の化身!」


 信仰を示すポーズなのか、赤毛の少女じみた怪物はまた両手を掲げる。


 しかし先の言葉よりマシとはいえ、今度もまたフィリップの神経を逆撫ですることを言う。


 「目は節穴、智慧も無い、口を開けば僕を不快にさせることばかり。首から上は要らないということでいいのかな」

 「ごごごごめんなさい!! ゆるしてください! というか、じゃああなたは何なんですか!!」


 フィリップが遂に剣を抜くと、少女型の怪物は慌てふためいて頭を下げたかと思うと、今度はぴしっと指を突き付けて逆ギレしてきた。


 「……いや別に、ただの人間だけど」


 智慧がないどころか、こいつさては馬鹿だな? と、そう思ってしまうと、フィリップの肩から力が抜ける。


 馬鹿が馬鹿なことを言うのは、仕方ない。馬鹿なのだから。

 その馬鹿の馬鹿な発言に一々目くじらを立てるのも、怒るのも、怒りに任せて首を刎ねるのも、同じくらいに馬鹿馬鹿しい労力の無駄遣いだ。


 「……さっきのは?」


 フィリップが何者かまでは分からないようだが、流石に「ただの人間」は嘘だと分かったらしい馬鹿が問う。


 「さっきのって?」

 「三次元世界が崩壊しかかったじゃないですか! あなたも「不味いな……」とか言ってましたよね!? あなたの御業では!?」


 姿を見ないように目を瞑れば「可愛らしい声」と思える少女らしい高い声を低くして、顎に手を遣ってキメ顔で言う馬鹿。

 フィリップはそんな「しかし対処法は隠し持っている」みたいなカッコイイ言い方はしていない。


 「さ、さあ、何のことかな……。僕の仕業でないことは確かだけど……というか君、共通語上手いね?」


 流石に「魔王の寵児です」と自己紹介するのは気が引けたフィリップは──他人から言われるのもそこそこ嫌なのに、自称したらいよいよ認めたみたいで本当に嫌だ──適当に話を逸らす。


 しかし純度100パーセントの逃げではなく、好奇心も多分に含まれている。

 こいつはさっきから、流暢な大陸共通語──人語を話している。大顎は動いていないから、その下にある第二顎、咽頭顎じみたパーツを使っているのだろうか。


 構造も気になるが、そもそもこの星のものではない生き物のはずだ。人間の言語を解析し、理解し、使用するとなると、あまり馬鹿にしているのは失礼かもしれない。──危険かもしれない、とは思わない辺りがフィリップだった。


 「いまこの星で最大の勢力を誇るのはヒトですからね! 情報収集やコミュニケーションには必須の能力ですよ!」


 ふふん、と彼女は自慢げに胸を張る。

 身に纏っているのは服とは言えないような襤褸だ。腕は肩まで、脚は太腿のかなり上の方まで、大きくはないが小さくもない胸周りもかなり大胆に見え隠れしているが、フィリップは特に指摘する必要を感じなかった。


 相手がたとえ付き合いの浅いリリウムでも「その恰好はちょっと」とジャケットを差し出すくらいには、フィリップも紳士とは何たるかを知っているのだが、そもそも未だ敵か味方かもはっきりしていない相手だ。

 ジャケットの下に隠されたフリントロックを見せたくはない。


 「……それに、感情の再現も上手い。恐怖したり怒ったり、まるで人間だ」


 ここぞとばかり、邪神呼ばわりされた意趣返しをする。

 感情を持つのが人間ばかりでないことなど、フィリップは十分に知っている。そもそも外神の行動基準の多くを占める要素は「自分の感情」だ。


 しかし星間航行能力も持たない劣等種にんげん呼ばわりは、彼女に対して効果を発揮しなかった。


 「そりゃあ、私の思考プロセッサは人間の脳を改造・改良したものですから! そこに気付くとは天才ですね、えーっと……人間さん!」

 「へえ。もう少し詳しく君のルーツを聞かせて貰っていいかな、化け物さん」


 言って、フィリップは先ほど皆殺しにした「ウェンディゴのしもべ」のテントの方に向かう。

 焚火やベンチがあったから、有難く使わせてもらおうと考えて──いや、そこまでは考えていない。「焚火とベンチがあった」までだ。


 「もー、今のは名前を尋ねたんだってことくらい察してくださいよー。人間はこの星では珍しい、言語コミュニケーションが可能な種なんですから!」


 「こいつ、人間に“人間”を語ったぞ」とちょっと面白くなったフィリップは、なんだか彼女のことが好きになり始めていた。馬鹿だが、ウォードやエレナとは別ベクトルで愛すべき馬鹿なのではないかと。


 「……まあいいか、会話くらいなら出来るみたいだし。フィリップ・カーターだよ、よろしくね」 

 「名乗られたなら名乗り返すのが礼儀ですよね! 私はユゴスの住人ミ=ゴの作り上げた環境整備用兵器、原住生物殲滅用生物複合戦闘機・タイプ1・試作実験機です!」


 握手でも求めてきそうなテンションで、また鱗に包まれた両手が天を衝く。


 フィリップは愛想笑いを浮かべてちょっと考え。


 「……なんて?」


 「名乗り返す」という言葉が含んでいるはずの「名」はどこだ? と首を傾げた。



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