第381話

 また一夜を明かし、フィリップたちの滞在最終日──そして、収穫祭の当日を迎えた。

 農夫たちは早朝から起き出してまだ畑に残っている作物を収穫しており、その傍らで着々と祭りの準備が進んでいく。


 祭壇に瑞々しく豊かに実った様々な作物が山と積まれ、篝火が煌々と燃え盛り火の粉を立ち昇らせる。村人の顔に熱気と活気が満ち溢れ、誰もが収穫の喜びを共有していた。


 そんな浮足立った空気の中、司祭が例の神像を持ってくる。

 エレナと一緒に収穫した作物の搬入を手伝っていたフィリップは、ついそちらに意識を集中し──そんな大げさな反応をしているのは自分だけだと気が付いた。


 「おはよう司祭様」「おはようございます神父様」と、ちらほらと挨拶が向けられ、司祭も穏やかに挨拶を返す。

 それだけだ。剥き出しの神像を落とさないように両手で抱えた──特に捧げ持ったりはしていない司祭にも、神像にも、特に反応を示さない。


 祭りの舞台装置か飾りが運ばれてきた。そんな感じだ。


 収穫祭と云うだけあって、メインは作物の方なのだろう。

 事実、果実や麦や野菜が運ばれてくるたびに、そこかしこから歓声が上がる。不細工な粘土像とは扱いの格差が物凄い。


 カルトの信仰する神の姿を模した像であれば、有り得ないだろうぞんざいさだ。

 いや、まだ「信仰心は無いが邪神の力を利用して何か企んでいる」という可能性は残るけれど──違うだろうと、なんとなくだがそう思う。


 「フィリップ君、ちゃんと前見て運ばないと危ないよ!」

 「あ、うん、そうだね」


 前方不注意になっていたフィリップに、後ろを歩いていたエレナからの警告が飛ぶ。


 フィリップが両手で抱えて運んでいるのは、小型の農具が入った箱だ。使い終わったばかりの鎌やナタ、鍬などで、かなり重い。

 中身には錆の原因になる土汚れや欠けが目立つが、今日のところは一度倉庫に仕舞って、また別の日に一斉にメンテナンスするらしい。


 「悪いね、手伝って貰って! でもその分、この後の料理はウマくなるからよ!」


 人好きのする笑顔を浮かべたおじさんがフィリップとエレナに手を振りながら畑の方に戻っていく。


 村の中に邪な──嫌な気配は全くない。

 ここにあるのは達成感と歓喜、期待、そして祭りを楽しむ心だけだ。


 チャカポコと少し間の抜けた打楽器の音が断続的に聞こえる。ヒョロヒョロと頼りない笛の音、ドコドコと重厚な打楽器の音。チューニング中だろうか。


 「あとは荷車だけだね! 片付けたらちょっと休憩しよ! さっきおばさんがジュース作ってくれるって言ってたから」

 「ホントに? やった……待って、荷車? じゃあコレも乗っけてくれば良かったじゃん」

 「荷車は果樹園の倉庫に仕舞うやつだから、反対側だよ」

 

 げ、とフィリップの顔が歪む。

 果樹園は村のはずれ、小高い丘の上だ。


 エレナがいるから楽できるわけではなく、二台以上あるからフィリップも運ばなければならない。いや、他の村人に任せればいいのだが、自分の仕事と割り振られたものを他人に丸投げ出来ない程度には真面目な気質が邪魔をしていた。


 程よく汗をかいて村に戻ってくると、出店──金を取られるわけではなく、自分の畑で取れたものを料理したり、或いはそのまま振舞ってくれる“お裾分け”──の準備をしていた中年の婦人がエレナに手を振る。


 「あぁ、お嬢ちゃん! これ、さっき言ってたジュースね! 坊やもどうぞ!」

 「ありがとう! 楽しみにしてたんだ!」

 「ぼ、いや、ありがとうございます」


 坊や扱いは久しぶりでちょっと戸惑ったが、否定できる要素はない。

 事実、王国では慣例的に15歳からが大人とされているし、貴族の嫡子が家督を継ぐ場合の最低年齢もそこに設定されている。13歳の自分は間違いなく「坊や」だ。


 ……まあ、肉体と精神の成熟が人間より緩慢な長命種とはいえ、発生からの年月で言えば「お嬢ちゃん」呼ばわりされたエレナはおばちゃんの倍ぐらいありそうだけれど。


 木を削った簡易なコップに入っているのは、柑橘系の何かを絞った果汁のようだ。匂いはオレンジより少し酸っぱいが、口に含むと僅かな苦みがアクセントになって甘みが引き立つ。

 「なんだろうこれ」「美味しいね」「お土産に買って帰ろうか」なんてエレナと話していると、背後から声をかけられた。


 「あ、あの、フィリップ! ちょっといい?」


 緊張で強張ったような硬い声は、この二日で耳慣れたテレーズのものだ。

 振り返ると、昨日や一昨日着ていた簡素なものとは違う、王都でも余所行き用として通用しそうな仕立ての良い服を纏った彼女が、どこか所在なさげに立っていた。


 「これ、どうかな……?」


 フリル付きの真っ白なブラウスに、目の色とよく似たライトブルーのジャンパースカート。足元は編み上げブーツがシックに飾る。

 全体的に色味を淡くすることで、テレーズの滑らかな亜麻色の髪が良く映えていた。


 どう、と言われても、特にどうということはない。

 おかしいところもないし、取り立てて素晴らしい服というわけでもない。そこまで考えて、フィリップはここが何処なのかを思い出した。


 ここは王都ではないし、彼女はテレーズだ。ルキアでもステラでもない。

 王都で余所行きとして通用するレベルの服なら、王都外、それもこんな田舎なら一張羅だろう。


 「え? あー……、っと、似合ってるよ。テレーズは綺麗な髪をしてるけど、その色をよく引き立ててる」

 「えっ? う、うん、ありがとう……」


 テレーズは一瞬何を言われたのか分からないと言うように瞠目して、それから一気に顔を真っ赤にした。

 彼女にとってその一張羅は「綺麗でフリフリの可愛い服」という認識だったし、期待していたのもそういう誉め言葉だった。


 「……フィリップ君、意外と褒め慣れてるね? もっと「フリフリで可愛いね」みたいなことを言うのかと思ったら、ボクの臣下みたいなこと言うからびっくりしちゃった」 

 「ははは、まあね……」


 丁稚時代に最低限の作法は仕込まれたが、半分はルキアやステラと付き合ううちに学んだものだ。「絶対必要になるから」とステラに教えられたこともあるし、千夜城でもディアボリカにみっちり仕込まれた。ミナにフィリップを異性として意識させるために。


 典雅な顔立ちの紳士曰く、ブスを褒めるときは服をメインに、美人を褒めるとき服は額縁のように。そして絶対に嘘を吐かないように。


 「女は舐めた嘘とお世辞に厳しいから、特に褒める時には絶対にウソ吐いちゃダメよ? すぐ分かるんだから。ちょっとアタシで練習してみましょ。顔立ちについて語るのは難しいから、おすすめは髪ね。女の命って言うくらいだし、褒められて嫌な気持ちになる女はそういないわ」

 「いいスーツを着てますね。滑らかで光沢があって、でもチープな感じは全くしない。靴のセンスもいい。全体的にスタイリッシュでクールです」

 「ぶっ飛ばすわよアナタ」


 なんて会話も、今思えば懐かしい。

 まあ、ルキアやステラのような「美しくて当たり前」レベルの美人は、逆に服を褒めるしかないのだけれど。勿論、ミナも同じく。

 

 「ね、フィリップ。私のこと、ちゃんと見ててね!」


 照れ臭そうにしながらもフィリップを真っ直ぐに見つめて言ったテレーズが、村の中心で煌々と燃え盛る篝火の方に駆けていく。

 気が付くと、老夫婦や若いカップル、子供たちが篝火とその前に置かれた祭壇を取り囲んで輪になっていた。


 そこに数人の農夫たちが作物の山盛りになった荷車を運んで来ると、広場に集まった村人たちが一斉に歓声を上げた。


 「今年は東側の果樹園が特に良かったな!」

 「いやいや、丘麓の野菜も相当なモンだよ!」


 アルコールを入れて赤ら顔になったおじさん二人が、木のジョッキを荷車に向けて掲げる。

 普段を知らないフィリップたちから見ても、野菜も果実も麦束も、どれも素晴らしいの一言に尽きる出来栄えだ。


 それらを使った料理が作られるのはまだ先、神への感謝を示す踊りが終わった後だそうだが、辺りには既に芳しい香りが漂い始めている。行商へ流すと品質に対して低い値を付けられる傷モノやミニサイズのものを皆で分け合ってしまおうと、そこかしこで料理が振舞われているのだ。


 今年はフィリップたちが獲ったイノシシ肉が大量にあるから、普段よりも豪勢なのだとか。


 エレナと一緒に片っ端から堪能していると、教会の屋根から民草の喧騒を見下ろしていたミナが飛んできた。

 勢いよくやってきた、という意味では無く、本当に文字通り空から降りてきたのだ。

 

 「フィル、きみ、最近肉ばかり食べ過ぎよ。野菜と果物も食べなさい」


 どこか不機嫌そうに言うミナに、エレナが目を丸くして口元を苦笑の形に緩めた。


 「……爺やみたい」

 「いや……うん、僕も初めはお母さんみたいって思ってたよ。僕の健康のためなのかなーって」

 「え? 違うの?」


 まさかそんなはずはない。

 彼女は病気という概念を持ち合わせないアンデッドだ。健康という概念もまた、王都に来てから人間やペットのことを調べるうち、文献の端に偶に出てくる程度のものだった。


 だから毒ではないのなら好きなものを食えばいいというのがミナのスタンスだが、絶食と偏食は許さない。血の味が落ちるからだ。

 

 そんな話をしていると、楽器のチューニングが終わり、穏やかな音楽が流れ始める。

 学院の授業で聞いた宮廷楽団の演奏とは比にならない、音の質も量も圧力も、何もかもが足りていない貧相なものだが──この場には、それこそが最も似合いの音楽だ。


 秋の涼やかな陽の下、精一杯盛装した村人たちが砂の地面でステップを踏む。

 なんとなくワルツの系譜を感じさせるスローテンポな曲だが、不思議と心が落ち着く曲調だ。


 ジュースのお代わりを貰って啜りながら、見るとはなしに村人たちの様子を見ていると、半分くらいは曲に合わせてステップを踏んでいたが、残りの半分はぼーっと曲を聞いていたり、準備運動をしていたりする。


 おや? と首を傾げたのも束の間、曲調が──いや、恐らくは曲そのものが変わる。ステップにターンやジャンプが多く混ざり、舞踏芸術バレエの要素を感じさせた。


 情熱を感じさせるアップテンポな舞踏曲。

 鼻を擽る肉の焼ける香ばしい匂いに、そこかしこから聞こえる歓声と笑い声。


 なんとも平和なことだ。


 輪になって踊っていた人たちは篝火の周りを回っているようで、テレーズはちょうど祭壇に隠れて見えなかった。少し待っていれば、また見える位置に出てくるだろう。その時に手でも振ってみようか。


 そんなことを考えていると、祭壇の前に正装の司祭が跪く。

 山と積まれた作物と、胸の十字架、そして不細工なカエルの像に祈っているようだ。ぶつぶつと呟いているのは神への感謝か祝詞だろう。

 

 ミナに課されたノルマの野菜炒めをぺろりと平らげ、ジュースと串焼き肉のお代わりを貰いに行くと、当のミナとエレナが何事か揉めているようだった。


 エレナがミナに掴みかかるほど反抗しているのは、かなり珍しい光景だ。

 基本的にエレナとミナでは、というか、パーティー内ではミナの発言力が強い。フィリップもカルト絡みのこと以外では割と簡単に自分の意見を曲げるから尚更に。


 「何してるのさ、二人とも」


 近寄って声をかけると、掴み合いというわけではなく、単にエレナがミナの手を掴んで制止しただけのようだった。というか、エレナの腕力も大概だが、掴み合い取っ組み合いでミナに勝てるほどではない。エレナが吹っ飛んでいない時点で、ミナの本気度はその程度なのだと分かる。


 「フィリップ君、良いところに! ね、あれって何してるのか分かる!?」


 アレってどれ? とエレナの示す先を見遣ると、祭壇の前に跪く司祭がいる。


 「あの人があれを始めてから、ボクも姉さまも物凄く気分が悪いんだ。姉さまなんか、魔術を撃とうとするぐらいで……正直、ボクも殴ってでも止めたいんだけど」


 確かに、二人とも思いっきり顔を顰めているし、ミナなんか今にも飛び去ってしまいそう──ああいや、今まさに司祭を殺そうとしていたのだったか。ともかく、顔だけでなく行動にも出るほどに不快そうだ。


 ミナが不快そうな理由は、なんとなく想像がつく。

 祈りだか祝詞だかは知らないが、司祭の言葉は彼女の天敵へ送られるものだ。特に神威のようなものは感じないが、もしかしたら空気や場所が聖別され、対アンデッド的な効果を持っているのかもしれない。


 だが、エレナがそこまで反応する理由は謎だ。


 「ミナとは相容れないものだろうけど……エレナも? 一緒にミサに行ったこともあるじゃん」


 特に何も感じないフィリップは、柑橘ジュースを啜りながら安穏と問う。


 「ミサ? 違う、違うんだよフィリップ君、あの人──!」


 言われて、フィリップは司祭を見遣り、もう一度エレナの方を見る。

 ここに来たばかり、或いは昨日の朝だったら「なんだって!?」と激しく反応していただろうが、祭りの空気と美味な食事に当てられては反応も鈍くなる。


 ホントかなあ、なんて、コップに半分ほど残ったジュースを飲み干しながら司祭の方に歩み寄り──。


 「ウガア=クトゥン=ユフ! 来たれり! 敬愛する主ツァトゥグァよ、夜の父よ! 栄光あれ、太古のものよ! 菌にまみれしムーの偉大な旧き這うものよ! 今こそ我が捧げし供物を、どうか受け取り給え! イア イア グノス=ユタッガ=ハ! イア イア ツァトゥグァ!」


 人間の言葉ではないどころか、ルーツを辿ればこの星の言葉でさえない邪悪言語で唱えられた邪神を称える祝詞に、フィリップはジュースを噴き出して激しく咽た。

 



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