第375話
「司祭さま、こんにちは! 神像を見せて貰いに来ました!」
教会の扉を開けるや否や、テレーズの元気な挨拶が小さな聖堂に響く。
礼拝堂には五人掛けの長椅子が六脚しかなく、最奥の聖女像も王都のものとは比較にならない小ぶりなものだ。投石教会の聖女像はフィリップ三、四人分はあるが、ここのものはフィリップと同じくらいの背丈だった。
何か作業をしていたのか、この教会を任された司祭であろうカソック姿の男は、長椅子に腰掛けて手で顔を仰いでいた。
テレーズの声に振り返り、襟元を正してフィリップたちの方に歩いてくるのは、間もなく中年に差し掛かろうかという年頃の優男だ。ナイ神父ほどではないが、立ち居振る舞いの端々に信仰に捧げた年月が現れている。
……いや、ナイ神父のそれは模倣なのだけれど。
「こんにちは、リールさん。その様子だと、お父さんは回復したようですね」
「はい! こちらの方たちが助けて下さったんです!」
テレーズの満面の笑みにつられるように、司祭も朗らかな笑顔になる。
「そうでしたか! あぁ、私はニック、ニック・アンドリアです。まあ、皆さんからは神父や司祭と呼ばれるばかりで、名前を呼ばれて反応できるかは分かりませんが」
中々鋭利な冗談が飛んできてどう返せばいいか分からないが、取り敢えず「まさか」と笑っておく。
「おや、もしやそちらの方はエルフですか?」
「はい。ご存じかもしれませんが、エルフは非常に優れた薬学知識を持っていて。リール氏を助けたのは殆ど彼女で、僕は手伝いくらいですね」
ご謙遜を、と司祭は言ってくれるが、社交辞令だとフィリップでも分かる。
フィリップが話し始めたとき、ちょっと驚いた顔をしていたからだ。王都ならフィリップくらいの年頃の丁稚や見習いは少なくないから、多少振る舞いが大人びている子供がいても驚きはしない。司祭のように驚いたあとで「多分どこかの店の見習いか何かだろう」と勝手に納得するのは、王都よりは丁稚というシステムが根付いていない田舎の方にありがちな反応だ。
苦笑しつつ、一般常識的な挨拶の手順、体に染みついた流れに沿って言葉を続ける。
「僕はフィリップ・カーター。あちらがエレナ。あともう一人、彼女の従姉妹を加えた三人で、昨日からリール氏のところに泊めて頂いていて。明日までは彼の経過観察が必要とのことなので、折角ですし収穫祭に参加してはとリール氏に──司祭さま?」
司祭はフィリップが差し出した手を握ったまま、フィリップの顔を驚いたように見つめていた。
「フィリップ・カーター? もしや、貴方があの?」
知っているのか、とフィリップの眉根にしわが寄る。
あの? とテレーズが首を傾げているように、この田舎の小さな村にまでは、“あの話”は伝わっていないと思っていたのだけれど。
「そうだよ! “龍狩りの英雄”! 姉さまと衛士団と一緒にドラゴンを倒したの! しかも、古龍をね!」
「まあ、殆ど衛士団の皆さんがやってくれたことですけどね。僕はちょっと時間を稼いだくらいで」
エレナが嬉しそうに、そして自慢げに薄い胸を張る。
彼女は龍狩りに関係ない──わけではないのが、妙に突っ込みづらい。彼女がくれた魔剣ヴォイドキャリアが無ければ、如何な衛士団長とはいえ龍の翼を斬り落とすことは叶わなかっただろう。
「……それでも、貴方様の御力があってこそ達成し得た偉業でございましょう。私もこの出会いに感謝いたします」
恭しく首を垂れる司祭を、フィリップは「止してください」と制する。
幸い、司祭が何か追加で賛辞を述べる前に、何のことか分からないという顔をしていたテレーズが口を開いた。
「龍狩りって、この前来た吟遊詩人の人が歌ってたお話のこと? 王国を救ったっていう」
「えぇ、そうですよ。幸いと言っていいのか分かりませんが、この村には魔術師がいませんから、例の“眠り病”の脅威も知られていないんです。まあ、田舎は何処もそんなものだと思いますが……それでも、カーター様の御高名はかねてより聞き及んでおります」
確かに、フィリップの故郷も“眠り病”の流行とは無縁だった。
フィリップもルキアとステラが病床に臥したあたりで「家族は大丈夫だろうか」なんて心配したものだが、どうも王都外ではそれほど流行っていないと聞いて安堵したのを覚えている。そして魔力が感染経路だと聞いて、じゃあ大丈夫だと確信したのだった。
「お名前を頂くまで気付けず、申し訳ございません。吟遊詩人は龍狩りの英雄の容姿を筋骨隆々の美丈夫と歌っておりましたもので……」
「ははは……ご期待に沿えなくて申し訳ない」
筋骨隆々の美丈夫と聞いて、真っ先に脳裏に浮かんだディアボリカの幻影を振り払う。
ああなるのは嫌だ。鍛え方からして体格は真似できないが、それはともかく、髭が生えてきたら全部剃ろうと決めた。
「何を仰いますか。その御年で数多の人々を救うなど、まさしく英雄の御業。御自らを卑下することなど、全く不要でしょう」
「フィリップはかっこいいよ! 背も高いし、強いし、私を魔物から助けてくれたし!」
司祭に続き必死に慰めようとしてくれているらしいテレーズに、フィリップはむしろ追い打ちをかけられた気分だった。
まず、別に背は高くない。
同年代の平均くらいだ。魔術学院の健康第一な環境で暮らしているのに平均程度ということは、元々のポテンシャルは並以下ということになる。
そして言うまでも無く、強くはない。
いや、こちらも同年代の一般人──それこそテレーズなんかとは比較にならない戦闘能力を有してはいるし、相手が大人でも素人なら惨殺できる。しかし本職の戦士には体格差もあって敵わないだろうし、魔術学院を卒業したちゃんとした魔術師相手だったら惨殺されるのはフィリップの方だ。
そして周りには最低でも
絶対評価でも相対評価でも、「弱い」とまでは断言されないにしても、「強い」とは言えない。「弱くはない」という評価が精々だ。
顔に関しては、自他共に「普通」と評価する。
子供らしい愛嬌は絶望と諦観で濁り切った目が完全に拭い去り、時折天地万物への冷笑を滲ませる顔を「普通」と評価してくれるルキアの激甘評定は、正直信憑性はない。
ないが、ステラが「無作為な100人に「王国人の子供の絵を描け」と言えば、なんとなくお前っぽい絵を描くやつが半分くらいはいるだろう顔」と言っていたので、平凡な顔なのだろう。
「ははは……ありがとう。テレーズも可愛いよ」
乾いた笑いで社交辞令を返すフィリップだが、テレーズは大袈裟なほど顔を真っ赤に染めた。
「かわっ!? わ、私なんてそんな、全然だよ! エレナさんとかミナさんの方が、もっとずっと綺麗だし……」
フィリップの言葉はお世辞ばかりではなく、彼女は本当に整った容姿をしている。リール氏の親馬鹿ぶりからして褒められ慣れていないことはないだろうに、不思議な反応をするものだとフィリップは首を傾げる。
親や近所の人からの賛辞と、他から貰う賛辞では重みが違うのだが。
「そうだね。まあ二人とも人間じゃないから、人間以上の美を持ってても不思議はないよ。……けど二人が美人だってことは、別に、テレーズが可愛いってことを否定する材料にはならないでしょ?」
「そうだよ! テレーズちゃん、もっと自信持っていいと思うな!」
適当なことを言うフィリップにエレナが同調する。
美しさも強さも、人間である限り相対的なものだ。ルキアのように自分の中に絶対的な価値観を持っている者でもなければ、誰かと比べて美しいか、誰かと比べて強いかという価値判断になるのも無理はない。
しかし適当に言ってはいても、嘘やおべっかではない。
フィリップは真摯に、心の底からテレーズのことを可愛いと思っている。……正確には、「テレーズの顔は一般的に美しいとされる造形に沿っていると認識している」と言うべきだが。可愛いから好き、とか、性欲を催すとか、「可愛い」という認識の次に進まないのだった。
高名だが難解な美術品を見たような気分が近い。「これが所謂“美しい造形”らしい。ふーん」と、風流心のかけらもない感想を抱いているのと同じだ。
「あ、え、えっと……」
そんなことは露と知らず、テレーズは真っ赤な顔を伏せて黙りこくってしまう。
そんな彼女を見かねて、司祭が苦笑交じりに助け舟を出した。
「そういえば、お二人は神像を見に来られたのでは? ちょうど倉庫から出してきたばかりで、これから掃除するところなのですが、それでもよろしければご覧になっていきますか? 明日は祭壇の上で山盛りの作物に埋もれてしまいますから、間近で見られるのは今だけですよ」
そういえばその為に来たのだった、と、フィリップとエレナの興味がさっぱり移る。
フィリップはともかく、エレナにとってもテレーズを褒め殺す──文字通りの意味で──ような満面の笑みでの賛辞は、ただの主観的事実の開示でしかなく、「今日は暑いね」という会話と同じくらいの重みしかなかった。
……ところで。
「別に、お祭りの後でも見られるんじゃないの?」
「あっはは! それは確かに!」
適当に出した助け舟の適当な部分をつつかれて、司祭は照れ交じりに朗らかな笑みを浮かべた。
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