第271話

 王都一等地、衛士団本部。

 本部とは名に冠するものの、建物の規模や装飾は一等地に並ぶには貧相で、二等地や三等地の詰所をそのままサイズアップしたような無骨なものだった。


 王宮で話し合いが行われた翌朝、衛士たちの中でも指折りの実力者たちが集められたのは、その衛士団本部。

 “眠り病”の大流行によって蔓延した死への恐怖から王都内の治安が多少なりとも悪化している現状では、時間も人員も余っているとは言い難い。それを押しての大規模招集に、集められた衛士たちも戸惑いを隠せないでいた。


 朝日も昇り終えた八時ごろ。

 本部の大講堂に集まった衛士たちは、同僚たちと招集理由について囁きを交わしていた。


 遂に大規模な暴動でも起きたか。はたまた“眠り病”の原因が分かったのか。或いはまたぞろ王都に潜伏している悪魔やカルトでも見つかったか。

 部屋の中にいるだけで首の後ろが焦げ付くような熱を持った戦意が、広い講堂の中に充満していく。


 一段高くなった壇上に立っていた衛士団長は、召集の掛かった衛士全員が揃ったことを確認すると、手を叩いて注目を集めた。


 「団員各位、傾注」


 多数の人間が一斉に踵を揃え、ざっ、と波打つような音がする。

 ほんの一瞬前まで部屋を埋めていた喧騒は、然して大きくもない一声で完全に消え失せた。


 「今回、我々に与えられた任務は、古龍の血液及び心臓の回収だ。検体の保管要員兼医療要員として、外部顧問のフレデリカ・フォン・レオンハルト殿が同行してくださる。期限は約二週間だが、早ければ早いほどいい。目的地は王都より北方約600キロ地点、ティーファバルト大森林の奥地だ。移動時間は約5日を想定している。第一種装備の着用許可が出た。各自、出発までにフィッティングを済ませるように。以上だ、質問は?」


 衛士団長が立て板に水に語り終えたあと、しばらく誰もが無言だった。


 自分たちの棟梁の顔を見て、隣にいる同僚戦友の顔を見て、天を仰いで、頭を掻いて、首を捻って、思い思いの方法で何とか無理矢理に思考を巡らせて。それでも、何度思い直してみても、やっぱり「死ね」以外の意味が汲み取れない命令に、衛士たちは揃いも揃って首を傾げた。


 「団長、遂に脳ミソまで筋肉になっちまったのか?」

 「そりゃ元々だろ。とはいえ、今度のは度が過ぎてるが……」


 ひそひそでは済まない声量で悪口が伝播していくが、彼らに悪意はない。呆れたような声ではあったが、彼らはみんな、上官のそういうところが気に入っていた。


 それに、命令の内容が荒唐無稽すぎて現実感が無い。

 何かの冗談か、遠征訓練用の命令書の「訓練用」という部分を読み落としているかのどちらかだろうと、誰もが苦笑と共にそう思っていた。


 だが、その疑念はすぐに払拭される。手を挙げて質問した一人の衛士によって。


 「団長、その命令は何処から?」

 「王宮──いや、国王陛下からだ。大陸全土に蔓延する“眠り病”の治療器具に、古龍の心臓と血液が必要となる。我々の目的はその確保だ」


 衛士団長は昨日の話し合いの内容をかいつまんで説明すると、再びの沈黙が講堂を支配した。

 命令の意味を理解して、それが何の冗談や間違いでもないと理解して、衛士たちの顔から一切の笑みが消える。呆れ笑いも、苦笑いも、全て。


 「……いや、無理でしょう」

 「確かに」

 「そうだ」

 「無駄死にもいいとこだぞ」


 誰かがぽつりと呟いたのをきっかけに、波のように否定の言葉が伝播していく。


 無理だ。勝てるはずがない。

 衛士たちは自分の実力をよく知り、その力に自信を持った精強な兵士たちだが、だからこそ、龍殺しの難しさを分かっていた。


 経験は無い。だが知識だけで、無理だと分かる。


 「……団長、アンタだって龍の強さは知ってるはずだ。先代でさえ、成龍とは互角以下、撃退するのがやっとだったんだぞ。俺たちだけで古龍を殺すなんて不可能だ」


 古株の衛士の言葉に、他の古参の衛士たちも口々に同意する。


 「全くだ。……王都を守るための壁、時間稼ぎだって謂うなら、まぁ、ギリギリ許せる。俺たちの死で、一秒でも王都の奴らが逃げる時間が稼げるってんなら、その一秒の為に死ねる。だが……これは違うだろ? これは、挑んで、死んで、それで終わりだ。これは犬死に、無駄死にだ」


 若手の衛士の言葉に、そうだ、そうだと、同意の言葉が次々に挙がる。

 衛士団長の翻意を促すというよりは、目的の無いただの意思表示。故にこそ、衛士団長には全く届かなかった。


 「馬鹿か、お前ら。陛下の命令とあらば徒死するのが兵士だ。指揮官に命じられたら犬死にの結果が見えていても従うのが兵士だ。それが嫌ならアタマを獲るか、代案を出すかだが……お前らの中に、古龍の心臓無しで“眠り病”を治療できるって学者サマはおられるか?」


 軍紀に基づく道理を語る衛士団長。

 兵士としての心構えを叩き込まれている衛士たちは、その言葉に効果的な反論を見つけられずに黙りこくる。


 確かにそうだと、頭の中の冷静な部分は納得してしまったのだ。


 王の命は絶対である。

 そんなことは言われるまでもない大前提、基本的な道徳の領域だ。人のものは盗んではいけませんとか、人を殺すのはいけないことですとか、そんな次元の話だ。


 しかし、それでも──当たり前のことだが、無駄死には嫌だ。

 守るべきものを守って死ぬために、守りたいものを死ぬ気で守るために衛士団に入ったのだ。その結末徒死だけは受け入れられない。


 そんな衛士たちの想いを知ってか知らずか、衛士団長はポリポリと頭を掻いて、どこか照れたように語る。


 「それに、まぁ、なんだ。……俺は、あのクソガキの為なら死んでもいいと思ってる。……カーター少年、覚えてるか」


 脈絡なく挙げられた名前に、衛士たちに困惑のささやきが伝播する。

 しかし全く知らない名前というわけではなく、むしろ直接の面識があるか、そうでなくとも報告書で一度は読んだことがあるはずの名前だ。


 「フィリップ君?」

 「あぁ、ジェイコブの班が助けられたっていう」

 「あ、前にタベールナで働いてた子か! 何度か喋ったことあるけど、衛士団に懐いてくれててかわいいよな!」

 「ゴエティアの悪魔を吹っ飛ばした子だろ? ……二等地と一緒に」


 一部の衛士たちが顔を綻ばせると、行動内の空気が少しだけ弛緩する。

 中には「魔術学院で楽しくやれてるかな」なんて、親戚のおじさんみたいな心配をしている者もいた。 


 衛士団長は言葉を続ける。


 「話し合いの場にはあの子もいた。両聖下と仲がいいそうだ。……あの子がな、言うんだよ。“僕が行きます”ってさ。友達を助けるのは僕だ、ってのは、あぁ、そりゃあ、とんでもなく高尚な意思だよなぁ。そう思って聞いてりゃ、あのクソガキ、二言目には“衛士団の皆さんを死なせたくありません”って言うんだぜ?」


 呆れたように笑う衛士団長だが、衛士たちは誰一人として笑顔を浮かべてはいなかった。

 むしろ、どこか落ち込んだような顔で俯いている者が大半だ。中には眉根を寄せ、口を引き結んだ険しい顔の者もいる。


 衛士団長は自虐的な笑みを浮かべて、また言葉を紡ぐ。


 「俺たちゃあ、あの子を守れなかった。クソッタレのカルトからも、あの悪魔からも。この前は、吸血鬼に攫われたそうだ。この王都で。いま医務室やら実家やらでぶっ倒れて寝込んでる、ウチの魔術師連中が対空監視してたはずの、この王都でだ」


 かつかつと衛士団長の靴が床を打つ音に、ぎちりと軋むような音が幾つも混ざる。衛士たちが握り締めた拳と、噛み締めた奥歯の音だ。


 「“無事なんだから良いだろ”なんて、砂糖菓子みたいに甘いこと言う奴はいねぇよなァ? お前たちが味わうべきは、噛み締めた唇から滴る血の味と、頭擦り付けた地面の泥の味だ」


 衛士たちは誰も、何も言わない。

 行きたくないとも、死にたくないとも、無駄死には御免だとも、もはや口に出来なかった。先程まで当然の権利のように叫んでいた言葉の全てが、恥の鞭となって彼らを打ち据えていた。


 「なぁ、何やってんだ、お前ら。世界で一番つえー軍隊、世界最高の兵士が、また助けてもらうのか? 病に倒れた仲間を、自分の家族を、次の主君となられる王女殿下を、人類の宝である聖下を、どうか助けて下さいって、あの子に縋り付くのか? ここで膝折って手ェ組んでお祈りして待ってるのか? ……それこそ、冗談だろ?」


 また笑うかに思われた衛士団長は、険しく眉根を寄せてにこりともしていなかった。


 「俺たちには義務がある。今度こそ俺たちが、この町で苦しんでる民を救う義務がある。──俺たちが守るべきで、守れなくて、守って貰った、あの小生意気なクソガキを、死んでも守り通す義務がある!」


 一瞬の空隙。

 衛士団長が息継ぎの為に意図せずして空いた、一瞬の沈黙。


 そこに、小さく囁くような会話が混ざった。


 「フィリップ君が戦うなら……あの子の召喚術があれば、古龍を殺せるのか?」

 「どうだろうな。でも、もしそうなら、彼の壁になるのは無駄死にじゃない。それを試して……たとえ無理でも、あの子だけは絶対に生きて返す。それが俺たちのやるべきことだろ」


 フィリップとは直接の面識はない二人の会話。

 ただ、守るべき王都の民を守れなかった。それなのに、戦友を助けられた。彼らとフィリップの関係性は、たったそれだけ。


 フィリップの召喚術が古龍相手に通用するかは分からない。そもそも、学院の授業を通して制御できるようになっているかどうかも分からない。


 だが、それでも──彼が行くというのなら、最低でも、彼を生きて返さなければならない。その確信だけが、胸に煌々と燃えていた。


 衛士団長は獰猛な笑顔を浮かべ、「死ね」と告げる。


 「……そうだ。死ね、お前ら。義務と名誉のために。守れなかった子を今度こそ守るって義務を果たすために、あの子に救われてばかりのクソカスの吹き溜まりじゃねぇってことを声高に叫ぶために死に征け! ……お前たちが、あの子の憧れる“王都衛士団”であるのなら」


 団長の言葉に、講堂に集まった全ての衛士が一斉に敬礼を返す。

 それは形式に倣ったものではなく、心の底からの、命令受諾の意思が籠った──任務完遂の決意に満ちたものだった。


 もう誰も、この先にある“死”が犬死であるなどとは思っていなかった。


 










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