第258話

 フィリップとミナが穏やかな──とは一口に言い難い時間を過ごしているうちに、戦況は大きく変わった。

 ウルミを持ってきてくれたルーシェの報告によると、メイドの損耗率は五割を超えたらしい。これは単純に命のストックを使い果たした人数が50人を超えたということであり、損耗した総ストック量を考えると、七割か八割になるだろう。


 劣勢だ。場合によっては、とっくに降伏していてもおかしくない。


 ミナが出撃するか、フィリップが邪神を召喚すれば避けられた損害だが、二人ともそれはしなかった。


 ミナは、単純に面倒だからだ。

 出撃して戦うのも面倒だ。だがそれ以上に、「配下が戦えなくなるまで城主は動いてはいけない」とか「籠城戦では城主は玉座で待っているべき」とか、面倒な“戦の作法”とやらに拘るメイドたちを説得するのが面倒だから。


 だからメイドを、配下を、見殺しにする。

 “最も正統な吸血鬼”であるミナにとって、たとえ自分で作り出した配下でも、下位吸血鬼は良くて家具のような認識だ。勿体なさや悲しさはあるが、それは“面倒くさい”という感情を超えるものではなかった。


 尤も、そんな認識だからこそ、ミナは100年もの間、溺れるような孤独感に浸り続ける事になったのだが。


 フィリップに関しては、そもそも悪魔を“敵”と認識できていない。

 一度はフィリップを地下牢にぶち込んだ──フィリップがヤマンソを制御し損ねたせいだが──ゴエティアの悪魔ならともかく、中位悪魔ごときを敵と認識して、“戦う”という選択をするには、些か視座が高すぎる。


 メイドを殺そうが、フィリップを喰おうとしていようが、外神の視座が敵と認めるには存在の格が低すぎる。

 武器を持ってフィリップの前に立ち、それを振り翳してなお、フィリップはあれらを敵とは認識しないだろう。訓練の甲斐あって攻撃を避けようとはするだろうし、痛いのは嫌なので殺すが、では「自分を殺し得る敵か」と言われると、フィリップは首を傾げてしまう。


 だから、まぁ。


 メイドが何人死のうが、もはやどうでも良かった。

 シルヴァが来るまで──おそらく居るであろう、ルキアかステラが来るまで三時間といったところ。ここまで持ち堪えてくれたことは素直に称賛するし、感謝だってしている。……でも、それだけだ。


 戦の作法。メイドの矜持。そういう理由で死に行く彼女たちを、止めず、悼まず、悲しまない。

 フィリップも、ミナも、結局は自分の感情を最優先するタイプの破綻者だった。


 二人は部屋を出ると、それぞれ別の方向に足を向けた。フィリップは一人で、ミナにはルーシェが付いている。

 人間に造詣の深いメイド長はフィリップを心配そうに見ていたが、主人であるミナが認めた以上、フィリップの出撃を止めることはできない。


 「じゃ、僕はカルトで遊んでくるね。繰り返しになるけど、僕は城のあっち側に居るけど、絶対にそっちを見ちゃ駄目だよ。見たら死ぬし、死ななかったら僕がミナを殺すことになる。そのぐらいの気持ちで、絶対に、何があっても見ないで。いいね?」

 「えぇ。こちらも繰り返すけれど、私もそろそろ飽きが苦痛の域になったから、この前の彼奴──マルバスを殺しに行くから。きみのことを見たくても見られない場所になるし、心配しないで」


 フィリップは右腰にウルミを吊り、首輪も外した戦闘態勢だ。

 まだまだ弱いとか、誤差とか言ってはいけない。そういう否定し辛い事実を突きつける行為は、そのうち何かしらの罪になる。


 フィリップとミナは互いに笑顔を交わす。──フィリップはこれから訪れる享楽の時間に思いを馳せた満面の笑みで、ミナはそんなペットを穏やかに愛玩してではあるが。


 「じゃ、行ってきます。あ、聖痕者に遭遇したら、魔術を撃たれる前に僕の名前を出して、「合流するまで魔力視禁止です」って伝えてくれない? 多分、それでミナのことを敵だとは──即座に殺すべき相手だとは思わないと思うから」

 「分かったわ。じゃあ、気を付けてね」


 フィリップは明朗に手など振りながら、カルトが居た方の出口に向かう。

 出口と言っても本棟からの出口で、城外ではなく中庭に出られるだけだ。城壁から外に出たければ、正門を通るか、高さ20メートル近い城壁を超えるしかない。


 フィリップが選ぶのは勿論、最短ルート。

 城壁上でハスターを召喚し、カルトのいるところまで運んでもらう──わけでは無く、降ろしてもらって、あとは悪魔を薙ぎ払って道を作ってもらうだけだ。でないと、カルトが発狂して楽しみが減ってしまう。


 「ふんふんふー、ふ?」


 鼻歌混じりに城内を歩いていると、目の前にがいた。


 赤く濁った液体に塗れた、フィリップ二人分ぐらいはある大きなニシキヘビに見える。

 まばらに生えた白っぽい鱗が陽の光を反射して、きらきらと輝いていた。


 金色の髪。

 お腹のこぶ。

 棘のついた尻尾。


 ぐちゃぐちゃと、生臭い咀嚼音が耳に障る。


 それは、よく見ると。


 「うわ……」


 事切れたメイドの腹を捌き、中身を食い散らかしている悪魔だった。

 城の外からガラスを突き破って入って来たのだろう、きらきら光っていたのは、全身をデコレーションしたガラスの破片だ。


 フィリップは眉根を寄せ、さっと思考を巡らせる。


 全力で走れば、ぶん殴れる距離まで近付くことはできるはずだ。

 三流魔術師相手なら、概ね10メートルくらいで「萎縮」が魔術耐性を貫通できる。だが中位悪魔の耐性は未知数だし、最悪、ゼロ距離でも効かない可能性がある。そうなると自殺行為だ──死ぬことは無いだろうし、比喩表現だが。


 フィリップが次の一手を決めかねていると、一心不乱に女の肉を貪っていた悪魔の、鼻梁の無い鼻腔だけの鼻がピクリと動いた。


 「人肉ノ臭イ……腐ッタ魂ノ臭イ……?」

 「誰の魂が腐ってるって? なに、喧嘩? いいよ、買うよ、喧嘩とかしたことないけど」

 

 カルト狩りでテンションが上がり、更にミナの吸血による酩酊感が微妙に抜けきっておらず、しゅっしゅっとシャドーボクシングなどするフィリップ。

 殴り合いの喧嘩をしたことがないのは事実だが、その戦闘能力は中級戦闘魔術師を再現したステラ相手に二分弱耐久出来るほどだ。たとえ悪魔が相手でも、一方的に殺されたりはしない。


 フィリップの声に反応した悪魔が頭を上げると、口元からだらだらと血と涎の混合液が垂れる。そこで死んでいるメイド吸血鬼の血だろう。


 「と思ったんだけど、やっぱり止めよう。時間がもったいない」


 今のフィリップの最優先事項は、カルトを殺し尽くすこと。次点で、それらをなるべく苦しませることだ。否定し辛い事実を突きつけて来た名も無き中位悪魔を、ウルミでズタズタにして殺すことではない。


 それに──


 「──そもそも、そのウルミじゃ悪魔には大して効かないわよ。ちゃんと付与魔術で魔力武器化させるか、祝福して聖属性を付与しないと」


 ずどん! と、クローゼットでも倒れたような重い音が響き、割れていた窓から悪魔が吹っ飛んで中庭に落ちた。

 悪魔が動くより早く、どころか、フィリップの動体視力をぶっちぎる速度で割り込んだ、ディアボリカのサッカーボールキック。その一撃による音だと、眼前に立つ広い背中を見て、フィリップは漸く理解した。


 「……足みっけ」

 「え、なに……?」


 謝礼を期待しての行為ではないものの、礼より先に足呼ばわりされたディアボリカが困惑を露わにする。

 ほろ酔い気分の抜けきらないフィリップは上機嫌にディアボリカに歩み寄ると、バンザイするように両手を挙げた。

 

 「さぁ、僕をカルトのところまで連れてってください。いつぞやのように、びゅーんと!」

 「あぁ、足ってそういう……。カルトって、あっちにいる悪魔崇拝者たちのことよね? それはいいけど……そ・の・ま・え・に!」

 

 ぴし、とフィリップの眼前に指を突き付けるディアボリカ。

 鋭い爪の先端が眉間に向けられ、フィリップは踏鞴を踏んで下がった。


 「なんですか? 時間が惜しいので、手短にお願いしますね」

 「アナタねぇ……ま、いいわ。さっき、ミナから粗方のことは聞いたのだけど、あの子に血を吸わせたってホント?」


 ミナから? と怪訝そうなフィリップ。

 確かに普段のミナの対応を見ていれば「よく会話が成立したな」と驚くのも無理はないが、今のミナはそれだけ上機嫌だった。


 「ホントですけど。ミナが飢餓状態になりかかってたので、血をあげたんですよ」


 なんでもないことのように言うフィリップだが、人間にとって吸血は大きな忌避感を催す行為だ。

 人間同士でもさることながら、相手が吸血鬼ともなればそれはもう食事だ。それも一切の解釈の余地を残さない、一方的な捕食。


 組み敷かれて喰われることに快楽を見出す性質には見えなかったのだが、なんて、ディアボリカは邪推する。


 「カルトが居るんだから、そっちに向かわせれば一石二鳥じゃないの?」

 「はぁ? カルトは僕が殺すんです。なるべく惨たらしくね。ミナが僕以上に残酷に、苦しめて殺せるなら譲っても良かったんですけど」


 青い瞳をどろりと溶かし、フィリップは傲慢にも思える答えを返す。

 だが、これが偽らざる本音だ。この条件が達成されないのなら──フィリップが楽しめないのなら、たとえヨグ=ソトースにだって譲りはしない。フィリップ自身もそのものであり、カルトもまた彼の者であるという話は置いておいて。


 「アナタ、カルト相手だと性格変わるわね……? そんなに嫌いなのに、ミナのことを優先したの? どうやら、ちゃんと夫としての自覚が身に付いて来たみたいね!」

 「……まだ言ってたんですか、それ。僕もミナも、もう忘れてましたよ」

 「あら、そんなに馴染んだのね! いいじゃない、いいじゃない!」


 ディアボリカの勘違いを無言で受け流し、曖昧に笑う。

 ミナのことを優先した、というか。カルト狩りの最中に余計なことを考えたくなかっただけなのだが。


 フィリップがカルト狩りに優先することがあるとしたら、それは人間性だけだ。


 「じゃ、いいわよ、行きましょっか! あそこまでで良いのよね? 助勢は必要かしら?」

 「ディアボリカが僕以上にカルトを苦しめて殺せるなら、そして僕の邪魔をしないなら、首を突っ込んでも良いですよ」


 狂死することになりますけれど、とは、フィリップは敢えて口にしなかった。

 ディアボリカがフィリップの邪魔になって、或いはただそこにいただけで発狂したとしても、蒸発したとしても、知ったことじゃあないのだから。


 「アナタ、ちょっとカルトのこと嫌い過ぎじゃない? 親でも殺されたの?」

 「ま、そんな感じです。言っておきますけど、邪魔はしないでくださいね。


 きちんと言葉にして、語気を強めて警告しておく。

 とはいえ、こんなものは建前、免罪符を事前に用意しただけだ。


 カルト狩りを邪魔されたら、きっと次の瞬間にはそいつもカルトだと認定している。だがフィリップは別に、数多くの人間を苦しめて殺したいというわけではないのだ。カルトなんて少ない方がいいに決まっているし、手間も少ない方がいい。ただ、カルトを苦しませるための手間は惜しまないというだけで。


 「あら、いい気迫じゃない。なら、アタシは……ミナに言われた通り、お城でお留守番してるわね……」

 「はは……。じゃあ、お願いします」

 「了解よ。アナタの切り札が見られると思っていいのかしら?」

 

 楽しそうなディアボリカに、フィリップは曖昧に笑うに留めた。






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