第256話

 千夜城滞在、八日目、朝。

 昨日の日没時点で、吸血鬼の消耗は許容限界に達していた。


 城壁の一部では回廊上にまで登られ、白兵戦が始まっていた。城門はあと二発の破城槌衝突で破壊されるところまで損耗しているし、城壁に掛けられる攻城塔や雲梯も、これまでとは違い防備の手薄な場所を狙ってきて厭らしい。


 何より面倒なのが、後方から進軍してくる後衛部隊の処理のため、メイドの約3割を城内の監視塔に戻し、弾幕要員に当てなければならなかったことだ。でなければ城壁は圧倒的物量差によって陥落する。


 だが、これも破滅の先延ばしに過ぎない。

 怒涛じみた悪魔の大群に押し流されて潰えるか、じわじわと消耗して、弱いものから順に溺れていくか。


 より端的に言えば、楽な道か、辛い道か。

 どちらも同じ結末に繋がる、大差のない分岐。


 その二択を迫られて、吸血鬼メイドたちは誰一人欠けることなく、揃って後者を選択した。即ち、出来得る限りの抗戦を、徹底した遅滞を、真綿で首を締められるような、緩やかで冗長な死を。


 忠誠心なのか、自尊心なのか。

 メイドの矜持というものを何処に分類すればいいのか、フィリップにもミナにも、きっとメイドたちですら分からない。


 ミナはその拘りを冷たく無感動に受け入れ、言われるがままに戦場には出ず。

 フィリップはその拘りゆえに死に行くメイドたちに、尊敬と憐憫が混ざったような複雑な目を向けるものの、「部外者だし」と止めはせず。


 彼女たちは望んだとおり、昼夜を問わずその命を擦り減らしている。

 フィリップとミナがベッドに入った後も、二人が鬱陶しそうに耳を塞いでいることなど知りもせず、延々と剣戟と砲撃の音を捧げ続けていた。


 夜の間に吹き荒れた、赤い暴虐の嵐。

 後衛部隊を牛歩に堕とし、前衛の悪魔を蘇生する端から殺し尽くす横殴りの赤い雨は、日の出と共に終わりを迎える。


 そして夜が明け──遂に、メイドの側にが出た。

 幾度もの負傷や死を経て遂に血液いのちの全量を使い果たし、頽れたきり起き上がらない女を、悪魔たちは笑いながら引き裂いて喰らう。千切った肉を食い、零れた血を啜り、内臓を浴びて死体を犯す。


 フィリップが一人で朝食を終えた時に、メイドが報告した死者数は4。

 しかし二人が玉座の間に着いた時に報告された死者数は6になっていた。


 ほんの十分かそこらで、二人死んでいる。

 この消耗が速いのか遅いのか、フィリップには分からない。フィリップを膝に抱いて玉座に掛けるミナも相変わらず退屈そうで、焦りも、悲しみも感じ取れなかった。


 「──ねぇ、ミナ。外を見たいんだけど、部屋に戻ってもいい?」

 「そうね……確かに退屈だし、私も戻ろうかしら」


 ミナは欠伸を溢しながら、フィリップと共に私室に戻る。戦の作法とやらはどうしたのか。


 道中、窓から見える景色は血風が吹き荒れ、傷を負っても一瞬で再生するメイド吸血鬼が、じわじわと再生する悪魔を何度も何度も殺し続けるという地獄絵図だった。


 醜いものには耐性のあるフィリップが、思わず眉根を寄せる光景。

 ミナにとっては自分の配下が今まさに傷付き、斃れていく様のはずだが、彼女は眠そうな表情のまま窓の外に一瞥を呉れて、退屈そうに城内に視線を戻す。


 「……悲しくないの? 配下──自分のメイドが死んじゃって」

 「悲しいわよ、勿論」


 言葉通り当然だという声色のミナだが、実際のところ、彼女の悲哀はかなり軽いものだ。

 精々が、お気に入りの家具が壊れてしまったくらいのもの。また買い直せばいいだけだし、代用が効かないものでもないが、愛着分の落胆はあった。


 「でも、ミナ自身が戦ったりはしないの? ミナが出れば、メイドの無駄死にも避けられたでしょ?」

 「でしょうね。でも、あの子たちを言い伏せるのも、戦うのも、どちらも面倒だもの」


 考えるだけで倦厭が募るとでも言いたげに、ミナは深く長い溜息を吐く。

 メイドの再生産は面倒だが、メイドを死なせないために戦うのも、戦うためにメイドたちを説得するのも面倒だ。今度は“矜持”なんて面倒なものに拘らない、素直なメイドを集めよう。


 透けて見えたそんな内心に、フィリップは何ら異を唱えなかった。

 メイドはミナの所有物であって、フィリップが守りたい、守るべきものではない。所有者であるミナが「要らない」と言ったのなら、彼女が手ずから殺そうと、見殺しにしようと、フィリップが口を挟む筋合いはないからだ。


 適当な相槌を打ったきり、メイドの身命に興味は無いとばかり何も言わなくなったフィリップ。

 その視線は窓の外、確定した死を先延ばしにするためだけに戦い続けるメイドたちに向けられていたが、特に拗ねていたり、気分を害していたりはしない。


 「……感心ね。でも、あの子たちの戦い方は不死を前提にしたものだから、真似をしたら大怪我するわよ」 


 真剣に眇められた青い双眸は、血の矢の魔術とナイフのような爪を使って戦うメイドたちの、戦う様に興味深く向けられている。

 傷付き、斃れるメイドに「あ、死んだ」と小さな落胆を滲ませて、それきり興味を失って別のメイドを見遣る。悲哀ではなく、落胆と、僅かな苛立ちを滲ませる目は、食事中に食器を落としてしまった時のようで、ミナが赤い双眸に浮かべる感情と全く同質のものだった。


 「うん。それはそうだけど、可動部位と範囲は人体と同じだし、全く参考にならないわけでもないでしょ?」

 「それはきみ次第ね。観察眼を養うのは大切だけれど、全く違う戦闘スタイルを自分の戦い方に落とし込めるかどうかは、才能と蓄積が物を言うから」


 才能はともかく、研鑽の蓄積だけなら、フィリップの置かれた状況は最高と言っていい。

 

 フィリップは不敵に笑って、ミナの私室へ戻った。




 ◇




 ミナの私室からバルコニーに出ると、城壁上で繰り広げられる凄惨な殺し合いが目に付いた。


 ──いや、殺し合いという表現は的確ではない。


 吸血鬼メイドたちが悪魔に負わされた傷は、一瞬のうちに癒える。対して悪魔は吸血鬼メイドの攻撃によって、肉塊と呼ぶのも烏滸がましい残骸へと成れ果てる。

 しかし、吸血鬼の不死は限定的不死。血液いのちのストックを使い切れば、その時点で無くなる不死性だ。対して悪魔のそれは無尽蔵。


 互いが互いを殺し得る状況にないこれは、一方的な殺戮だった。


 悪魔の持つ槍がメイド服諸共に柔肌を切り裂き、内容物を噴き溢させる。

 黄色い土を背景に、ぱっと赤が華やいだ。

 

 「……」


 嫌なものを見たとばかり眉根を寄せたフィリップは、足早に室内へ戻ると、そのまま部屋を横切って扉に向かう。


 「フィル? 何処に行くの?」

 「え、食後のトイレ。付いてこないでよ?」


 前科のあるミナに釘を刺す。

 目の前とまでは言わずとも、見ている前でヒトガタのものが、顔を合わせて言葉を交わしたこともあるメイドが殺されたというのに、フィリップの胃腸は元気に活動していた。緊張状態で活性化する交感神経が働くどころか、リラックス状態で活性化し、消化を促す副交感神経が活発らしい。


 フィリップの背をじっと見つめるミナには気付かないまま、フィリップはお腹を押さえて呻きながら部屋を出た。



 用を足してすっきりしたフィリップは、トイレを出るや踏鞴を踏んで下がることを強いられた。

 扉を開けたすぐ前に、にっこり笑顔のルーシェが立っていたからだ。満面の笑みだが、蟀谷には青筋が浮いている。


 「……え? なんですか?」


 何か悪いことをしただろうか、と本気で考えるフィリップ。ミナに言われた「敬語禁止」のルールも忘れている。


 そんな安穏とした様子が、撃発に至る火花になった。


 「なんですか、ではありません! 今の状況をよくお考え下さい! この城内も、今や安全とは言い切れないのですよ!? それなのにお一人でふらふらと! 御身に何かあったら、ご主人様がどれだけ悲しまれることか!」

 「ん? あぁ、それは確かに。すみませんでした」

 

 フィリップは本当に分かっているのかと聞きたくなるような調子で、ぺこりと頭を下げる。当然、フィリップは自分が危険だなんて思っていないのだが。


 のほほんとした返事に、ルーシェは大きく嘆息する。

 肝が太いというか、危機感がないというか。とはいえこの図太さが無いと、ミナや吸血鬼に懐くことも無かっただろうと考えると、一概に欠点とも言い切れないところだ。


 「いえ、謝って頂くほどでは……はぁ。もういいですから、玉座の間にお戻りください」

 「ミナは私室ですよ?」


 知らないの? と、揶揄抜き純度100パーセントの善意で言うと、ルーシェの蟀谷の青筋が再発した。


 「えぇ、はい、存じ上げています。それが戦の作法ですからと玉座でお待ちくださるようお願い申し上げましたのに。指揮官の位置が分からなくなった時は本当にどうしようかと思いました」

 「あ、はい……」


 ルーシェはそれ以上うだうだと小言を重ねる気はないようで、フィリップの少し前を先導するように歩く。


 向かっているのは、ミナの私室らしい。

 ここから少し遠い玉座の間に直行するのではないということは──それだけ状況が逼迫しているのだろう。


 これ以上ルーシェが戦線を離れられず、ミナにフィリップを預けて戦線復帰しなければ不味い。そんな状況に成り果ててしまっているのだろう。


 「……まだ遠いな」


 自分の内にあるシルヴァとの繋がりを手繰り、彼我の距離を感じ取る。

 初日どころか、四日前と比べてもずっと近くにいるようだが──それでも、一時間足らずで来られるような距離ではない。最低でも四、五時間はかかるだろう。今が九時過ぎだから、ルキアかステラが居たとしても、到着は正午を過ぎてからになる。


 ──無理だ。間に合わない。


 吸血鬼はきっと、ここで全滅する。


 「ルーシェ、……?」


 フィリップが何を言おうとしたのかは、分からずじまいだった。

 それはきっと、フィリップ自身にも。


 苦々しく眇められた双眸の向いた先、窓の外、城壁で戦うメイドたちの更に奥──地平線と城壁の間くらいに、絶対に見逃せないものがある。

 それを見た瞬間に、フィリップの感情が一色に染まるものが。


 「旦那様?」


 途切れた言葉に振り返ったルーシェは、深い憎悪を宿した双眸を見開き、窓ガラスに手を当てて外を見つめるフィリップの姿があった。

 ガラスや鏡に手を突くことを、これまで一度もしなかったフィリップが。


 「どう──」

 「──あれは、」


 フィリップはルーシェの方を向くこともせず、深い激情を抑え込んでいることが窺える震えた声で問いかける。


 「あれ、なんですか? ……僕の目には、人間に見えるんです。ここからだと遠くて、よく見えなくて……黒い服を着た人間が、いっぱい群れているように見えるんです」


 遠目には蟻の群れ。

 だが規模感と動きから人間状の何かに思われるそれは、一見すると。


 「──カルトの群れに見える」


 苦々しく言い切ったフィリップに、ルーシェは同じ方を見て、軽く頷いた。


 「えぇ、そうですね。恐らく、悪魔崇拝者か魔王崇拝者の集団でしょう」


 ……そうか。

 まぁ、そういうことなら仕方ない。


 「ルーシェ、今すぐ僕のウルミを取って来てください。僕はミナのところに居ますから」


 吐き捨てるように命じて、ルーシェを追い越してミナの私室へ向かうフィリップ。

 その豹変にルーシェは目を白黒させて、あわあわと後を追いかける。


 「お、お待ちください! 旦那様、いまどういう状況なのか──」

 「ルーシェこそ、状況を考えてよ。僕たちは襲撃されて、今にも悪魔が城の中に入って来るかもしれないんでしょ? なら、僕も使い慣れた武器の一つぐらい持っているべきだ」


 不機嫌に──傲慢に吐き捨てるフィリップに、ルーシェは不覚にも気圧される。

 吸血鬼が、人間に、気迫で負ける。普通に考えるなら有り得ないことだが、ルーシェとて元は人間だ。肉体に引っ張られて精神性が変容したとはいえ、そんな変質は、フィリップから見れば可愛らしく矮小だ。


 気迫、精神のぶつけ合いなら、フィリップ相手に勝つことは不可能だった。


 とはいえ、相手も人食いの怪物。

 人間は餌でしかなく、一瞬気圧されたからと言って、それは服従を意味しない。


 「ぇ、あ……だ、ダメです! 私が離れたら、旦那様が無防備になるじゃないですか! ご主人様のお部屋に着いたら、その後で持ってきますから!」

 「……そうだね。じゃあ、そうしよう」


 フィリップは「ありがとう、ルーシェ」なんて言って笑う。嬉しそうな、安心したような笑顔だ。一見すれば、敵に囲まれた状況で武器を手にする安心感から笑ったようにも見える。

 だが、フィリップの心中に、安心感は一滴も無い。


 あるのは純粋で、しかし無垢とは絶対に言えない嗜虐心だけ。

 フィリップがウルミを欲しているのは、自己防衛ではなく拷問のため──カルトを、なるべく痛めつけて苦しめて殺すためだった。


 だが流石に、遠目にも結構な数のカルトをウルミ一本で片付けるのは無理だ。


 だから、次は。


 「首輪を外してもらわなくちゃ……」


 シルヴァが来るまで、まだまだかかる。


 なら──このだだっ広い荒野には、フィリップが守るべきものは何もない。

 これはいい。最高の状況だ。何とも素晴らしい。


 邪神召喚が切り放題。

 ならどれだけ遊んでも、どれだけ弄んでも構わないだろう。ウルミも、『深淵の息』も、『萎縮』も、そのためのような性能なのだから。


 「カルト狩りだ──!」


 一体いつぶりだ?

 修学旅行の時は、結局、あの──誰だったか、名前は忘れたが、枢機卿のおじさんをカルトとは認定しなかったし、殺しもしなかった。

 

 となると──ステラと一緒に遭遇した、ナイアーラトテップの用意したクトゥルフの兵を信仰していた奴ら以来か。実に一年ぶりと言ったところ。


 「会いたかったよ。ずっと、ずっとね」


 フィリップは満面の笑みを浮かべて廊下を歩く。

 その足取りはスキップでもしそうなくらいに軽快で、声には淫蕩に耽るような艶がある。しかし、その根源にあるのは情欲ではなく、憎悪の炎。身をも焦がすが、世界も焼く甚大な熱が籠っていた。









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