第223話

 「……殺せ」


 ヴィルフォードの命令に従い、無数と表現できる数のショゴスが全周から襲い掛かってくる。


 蠢き這いずるような動き方のショゴスは健脚とは言えないが、それでも一度捕まれば、あとは単純に数の暴力で轢き潰されることは想像に難くない。


 こういう敵が圧倒的な大多数である場合、選択肢は二つだ。

 一つは、ルキアやステラのような、フィリップであればハスターやクトゥグアのような圧倒的火力を以て、量を質で駆逐する。


 これは中々に脳筋的というか、単純ゆえに能力の求められる解決策だが、もう一つの選択肢も似たようなものだ。


 単純に、フィリップの目標はヴィルフォードで、ショゴスはその道中にある障害に過ぎない。

 ではどうするか。一つ目の選択肢は「退ける」というものだった。二つ目は、「避ける」しかないだろう。


 「よ、っと!」


 フィリップは眼前で触手を振り上げ、威嚇などしていたショゴスを踏みつけにして、第一歩目とする。

 そして全力で拍奪の歩法を使い、相対位置を後方に欺瞞しながらヴィルフォードに突撃した。


 フィリップの勝利条件は、ショゴスの全滅ではない。

 儀式行使・邪神降臨の阻止──ルキアとステラの正気を守ることだ。


 本当は邪神の気配なんて感じさせず、この世界の儚さも醜さも忘れて修学旅行を楽しんで欲しかったのだけれど。まあ、事ここに至れば是非もない。


 ショゴスの攻撃は避けるだけに留め、反撃は考えない。

 どうせ、召喚の魔法陣を汚されるわけにはいかないから、ヴィルフォードから一定の範囲内には入らないよう命令しているはずだ。ある程度走ればすぐに安全圏がある。むしろ足を止めて迎撃したり、出口へ下がったりした方が、物量に負ける可能性が高い。


 避けて、避けて、避けて、ひたすらに走る。


 フィリップの戦術は最適解らしく、ヴィルフォードが顔の片側を歪めてこちらを睨む。

 仮面に覆われていない方の目が、ウルミを整形しながら突っ込んでくるフィリップを捉え──嘲笑の形に歪んだ。

 

 「──遅い!」


 魔力障壁の展開が十分に間に合う、子供の走る速度だ。ヴィルフォードはそう嘲笑う。


 そりゃあ、そうだろう。

 のが、拍奪の歩法だ。


 「──ばーか」


 相対位置の欺瞞は、相対速度の欺瞞でもある。

 相対位置を前に誤魔化せば実際より速く見えるし、後ろに誤魔化せば遅く見える。相手のカウンター攻撃を早まらせたり、遅らせたりする時に使うと効果的だ──このように。


 「っ!?」


 フィリップは攻撃の直前で、敢えて位置認識欺瞞を止めた。

 ヴィルフォードには二歩か三歩分の距離が全くの無挙動で詰まったように見えて、思わず息を呑む。

 

 ステラならカウンターか魔力障壁の展開が十分に間に合うだろうが、彼の戦闘センスはその域に無い。

 フィリップのウルミが振り抜かれ、風切り音に炸裂音が混じる。


 しかし、「獲った」と言いたげにほくそ笑んだフィリップの確信は、ぎゃりぎゃりぎゃり! と、金属が擦れ火花を散らす音によって覆された。

 右手に握ったウルミを通じ、ヴィルフォードの首元からいやに硬質な感触が跳ね返ってきて、フィリップは何とも言えない表情を浮かべて独り言ちる。


 「……僕の相手はこんなのばっかりだ」


 急制動するのではなくそのまま横を通り抜け、あわよくば魔法陣を足で消そうとしたのだが、魔法陣は魔術か薬品で石の床に焼き付けてあった。

 

 「……助かったぞ、ナイ神父」

 「……あのクソ」


 大方、予め防護魔術を掛けておいたとか、そんなところだろう。

 

 「ナーク=ティトの障壁と言ったか。私の身を守る不可視の鎧と同じものが、この教会を守っている。入り口以外からのあらゆる侵入と脱出は拒まれ、聖痕者の爆撃にも耐えると言っていたぞ」

 

 自慢げな台詞ながら、感情を殆ど滲ませない機械のような口調で言ったヴィルフォードに、フィリップは舌打ちを隠さない。

 ナーク=ティトの障壁。知らない魔術だが、打ち込んだ感触からすると、魔力障壁のような規定量のダメージを肩代わりする装甲ではない。むしろ、一定以下の攻撃を完全に無効化する減衰フィールドのようなものだ。


 聖痕者の爆撃に耐えるということは、聖痕者の爆撃以下の威力の攻撃は何十発撃ち込んでも無意味ということだ。フィリップのウルミでは一生かけても貫通しないだろう。


 だが、まあ、それはこちらにとっても好都合なわけで。


 「それは内側からも、ちょっとやそっとじゃ壊れないって認識でいいんだよね?」

 「君がここを生きて出ることは無い。それは保証しよう」

 「あーあ、守れない保証なんてしたら悪魔に魂を取られちゃうよ?」


 フィリップはにっこりと笑い、ヴィルフォードはにこりともせず、フィリップの濁った青い双眸を見返す。


 そして、


 「殺せ、ショゴス!」


 再びの命令。

 魔法陣が多少の汚れでは消えない以上、たとえ魔法陣の上で迎撃の構えを見せても、ヴィルフォードは容赦なくショゴスを突撃させるだろう。


 もう一度強行突破したところで、ヴィルフォードは実質的な無敵状態だ。その首を獲れないのなら意味はない。

 終わりだ。


 ──ナイアーラトテップに与えた猶予期間は、これで終わりだ。


 「まず手始めにお前を殺す。なるべく苦しめて、この世に生まれて来たことが間違いだったと教え込んでから殺す。次にお前の娘を殺す。いるのならその夫や子供もだ。そうしたら、お前は悲しんで苦しんでくれるだろ?」

 「……悪逆だな。そして非道だ」

 「非人道的であることは認めるよ。でも悪逆という謗りは微妙だね。これは殿下が気付かせてくれたことだけれど、僕はお前たちカルトに対する行為に、善悪の観念を持ち込まない。好悪で動く。僕はお前たちが嫌いだ。だから殺す。苦しめて殺す。カルトと共に眠り、カルトと共に日を浴びることはできない」


 フィリップは心底からの憎悪と、軽蔑と、殺意を以て吐き捨てた。 

 その手が幽鬼の如き動きで上がり、ヴィルフォードと、ショゴスの群れを照準する。


 自慢げに「教会は守られている」なんて語っていたが、それはフィリップにとっても好都合なことだ。

 おかげで、心置きなく鬼札が切れる。


 「いあ いあ はすたあ──」


 フィリップの詠唱に、ヴィルフォードが目を見開く。

 仮面に隠れて片方しか見えない灰色の瞳の奥に、驚愕と、恐怖と、畏怖と、納得があった。


 「くふあやく──は?」


 徐に両手を挙げたヴィルフォードに、フィリップは目を瞬かせる。

 それはどこからどう見ても降伏を示すポーズであり、万国共通のボディランゲージだ。


 普段なら、カルトは降伏しようと抵抗しようと関係なく薙ぎ払うところだが──フィリップはどうにも、身内に甘いところがあった。

 ちょっとだけ、気になってしまったのだ。「もしかして、ここで殺すのは性急なのかな? もう少し何か話してみると印象が変わるのかな?」と。

 

 「……ホントにこれで最後だぞ。……降伏するつもりなら、まずはショゴスを下げろ」

 「分かった。……下がれ」


 ヴィルフォードの命令に従って、無数のショゴスが一斉に動きを止める。そして一瞬のラグを挟み、ずるずると這いずる音を立てて、石柱の陰や壁を伝って二階の回廊などに戻っていった。

 

 かかったな馬鹿め! と不意討ちしてくるかと思ったのだが、そんな気配はない。

 

 「……今の言葉は、ナイ神父から聞いていた。君がその三節を口にしたら、どれだけ優勢でも武力交渉は諦めろと」

 「あっそう。それで? だったらどうする? 僕を説得してみるかい? 私はカルトじゃありません、なんて言葉を、僕が信じるとでも?」

 

 嘲笑も露わなフィリップに、ヴィルフォードは首を振って否定する。


 「私は、私をカルトだとも、カルトではないとも思わない。私は、私だ。故に、私は君に、私の目的を話そう。そして賛同……いや、少しでも理解して貰えないか、試すことにする」

 「僕がそれを素直に聞く義理は無いんだけど……まぁ、いいよ。聞かせて?」


 フィリップは手近にあった椅子を掴んで引き寄せると、どっかりと腰を下ろした。

 ウルミも巻いて腰に吊り、完全に非戦闘態勢だ。いま襲われたらかなり危ういが、戦闘を意識していなければ人間を敵と見做せないフィリップだ。警戒心など端から持ち合わせていない。


 何の期待も無く、ただナイアーラトテップの言葉が真実なのかという好奇心で動いていたフィリップは、しかし。

 

 「君は──神を、必要だと思うか?」

 

 ヴィルフォードのその言葉で、思考というものを思い出した。


 必要論による神の存在追及。いや──存在批判。

 なるほど、面白い言説だ。


 旧支配者や外神は、独立した存在の核を持つ、言うなれば「神と呼ぶべき強大な生物」だ。非生物とか概念とかもいるが、それはさておき。

 対して、唯一神や旧神の一部は、信仰に拠って生まれた存在。人々の信仰と集合無意識が作り上げた、言うなれば「想像され創造された被造の神」。


 一神教に於いては創世神とされ、この世全ての父であるとされる唯一神も、人々の信仰に拠って在るものだ。外なる神は、これを寄生虫や蛆虫と呼んで嘲笑うが、全くその通りの在り方だ。


 神は天にいまし、なべて世は事も無し。

 ──とはよく言ったもので、唯一神が人間社会に干渉することは殆ど無い。精々が人類最強の魔術師を認めることと、魔王復活に際して勇者に祝福を与えるくらいだ。個々人の祈りに応え、救いを齎すことはない。厳格公正なる、機械のような神だ。


 そして、利が無いのなら──害もまた、無いのなら。

 それは、存在しないのと同じだ。


 ならば、自らが想像した被造の神を、不要と切り捨てることも許されるのではないだろうか。

 

 これは面白い話が出来そうだと、フィリップは重心を背もたれから外し、膝の上で組んだ手に移した。


 「……続けて?」


 フィリップが促すと、ヴィルフォードは頷いて先を続ける。


 「私は、神が必要だとは思わない。妻の遺書は読んだようだが、娘は彼女が逝った三日後に、その後を追ってしまった。二人とも何ら恥じることのない善人であり、敬虔な信徒だった。……そんな二人でさえ救わぬ神なら、居なくても構わないだろう?」

 「……ふむ」


 フィリップは「そうかも」とか考えているが、ヴィルフォードの言葉は正論ではない。

 自分の主観と大多数の総意を混同し、他者の思想を自身の必要論で侵害している。そもそも実益を求めて信仰するのなら、信仰とは「何かを信じる」こと自体に意味がある。たとえば辛い現実に直面した時、信じるものがあれば、それに縋って乗り越えられる。たとえば死した後に楽園が待っていると信じていれば、死別は悲しみばかりではなくなる。


 この場にステラが居れば、「必要論で語るのなら、道徳心や常識の根幹に神を据えている以上、唯一神の存在は必要不可欠だ。より正確には、神の存在が信じられていることそのものが必要だ」と語るだろう。

 

 「神は何もしない。敬虔な信徒を導き救うこともなく、悪逆なる背信者を罰することもない。……見ろ、これを」


 ヴィルフォードは顔の右半分を覆う仮面を外し、素肌を晒す。

 そこにあったのは火傷の痕と、明らかに自然の傷ではない裂傷があった。頬の辺りを斜めに裂いた傷の奥には、明らかに骨とは違うすべすべした乳白色の膜があり、眼球のようにも見えるそこから、黄白色の粘液が涙のように垂れていた。


 顔の変形はそればかりではなく、明らかに顔の半分だけにシミやシワが増え、骨格まで歪んだように変形している。

 サイメイギの延命ワインの副作用、歪んだ老化だ。生きたいがあまり邪法に縋り、正常さを失った姿には、フィリップでなくとも深い嫌悪と軽蔑を抱くことだろう。


 「これほどまでに悍ましく、醜く変わり果てた司祭にすら、神は何の罰も下さない。……馬鹿げているだろう?」


 ヴィルフォードは仮面をつけ直し、顔の半分だけでフィリップを見据えた。


 そして、宣言する。

 醜い姿に成り果ててまで追い求めた、彼の目的を。


 「故に私は神を殺す。君に手伝えとは言わない。ただ、邪魔をしないでいてくれ」











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