第214話

 翌日、修学旅行四日目。

 町全体が明日に執り行われる大洗礼の儀に備えて祭りを自粛し、静かに信仰心を磨いているからか、通りの出店や人通りは昨日の半分くらいだ。それでもまだまだ騒がしく楽し気だったが、フィリップたちは通りを足早に抜け、教皇庁の門前に立っていた。


 教皇庁は教会と要塞を綯交ぜにしたような外観で、神聖さより先に堅牢さを感じる。

 有事の際には魔術師を並べ砲撃させるための凹凸──鋸壁のついた回廊を持つ外壁の奥には広大な中庭があり、そのさらに奥に、幾つもの尖塔を持つ宮殿が聳える。それこそが、教皇と枢機卿の居城にして、一神教の中枢、そして四年に一度の大洗礼の儀を執り行う世界最大の教会でもある、教皇庁だ。


 門前とは言ったが、門らしき門はない。城壁と呼んで差し支えない外壁に、本来備わっているべき鉄の門は取り外されている。門というよりアーチ、あるいは正面開口部といった風情だ。


 歴史を感じる石造りのアーチをくぐり、綺麗な石畳の敷かれた中庭に一歩を踏み出した瞬間、ぱたぱたと修道服姿の男女が左右から二人ずつ、慌ただしく駆け寄ってきた。


 「よ、ようこそ御出で下さいました、サークリス聖下、ステラ聖下。本日はどのような──」

 「いや、構うな。こいつが教皇庁の中を見たいと言い出してな。ちょっとした観光だ」


 ステラは呆れ笑いでフィリップを示し、フィリップはへへへと照れ笑いを浮かべる。

 一応は門番役なのか、彼らは困ったように顔を見合わせるが、その中の一人はフィリップを知っていた。


 「あ、あなた、一昨日も来られませんでしたか? レイアール卿とご一緒に」

 「あー……そうです。あの時はナイ神父に用があって」


 フィリップの言葉に顔を見合わせた修道士たちは、最終的に「教会の関係者か」という結論に至り、「どうぞごゆっくり」と離れていった。

 いよいよ本格的に勘違いが広まりつつあると嘆くべきか、これに関しては100パーセントの勘違いではないので仕方ないと諦めるべきか、じっくり数秒ほど考えたフィリップは、愛想笑いで見送った。


 「……枢機卿関係者にして聖国王関係者、神父と親しい何某か。どんどん誤解が積み重なっていくな?」

 「微妙に根拠があるだけに、根も葉もないわけじゃないのが辛いところね」

 「全くです……」


 愚痴っぽいことを言って笑ったりなどしつつ、三人は教皇庁の中をぐるりと回る。

 怪しいところが無いかという確認と、ワインセラーに直行するという怪しい動きをしないため、怪しまれないための二重の意味があった。


 これが意外にも楽しく、城塞建築的な部分はフィリップの少年心を十分に満たしてくれた。壮麗な宮殿といった風情の内装ながら、ふとした時に無骨な狭間──弓矢や魔術で攻撃するため、壁に開けられた小さなスリット状の小窓──なんかが目に入ると、テンションが上がる。


 たとえ横から、


 「……こんな厚さの壁、簡単に貫通するわよね?」

 「というか、魔術防護が全く施されていないからな。壁向こうの人間を直接照準できるぞ」


 と、重厚な石造りの壁を、ぺらぺらの障子紙に見せるような会話が聞こえてきても、だ。


 「さて、そろそろ十分だろう。ワインセラーの場所は分かるか?」

 「え? ……あっ」

 「だろうな。ゴシック様式でアンリ・ルーベルのデザインだから……傾向的にはあの辺りが厨房で、その地下がワインセラーだが」


 ステラは外観から推察される大雑把な構造の見取り図と間取りを脳内で再現し、数百年前の建築の巨匠の手になる他の作品と照らして推測する。その指先は、ちょうど窓から見える辺りを示していた。

 なんかカッコいい推理方法だなと、ステラが不意に見せた教養に、フィリップは思わず目を瞠る。


 取り敢えず向かってみると、ビンゴ。ちょうど彼女の示した場所が厨房で、近くにはワインセラーに繋がっていると思しき地下に続く跳ね扉もあった。

 時間帯ゆえか、広い厨房には誰もいなかった。調理器具の数がかなり多く、きちんと置かれていても雑多で、無人なのに喧しいような不思議な感じだ。もうしばらくすれば、昼食の準備をする修道士や料理人たちがぞろぞろとやって来るだろう。


 「え、すご……こんなこと出来るんですか?」

 「えぇ、本当に驚いたわ。ルーベルのゴシック建築なんて、デザインレベルで関わったものを含めるなら百を超えるわよ?」

 「だからこそ、傾向から推測できるんじゃないか」


 何を言っているんだと言いたげなステラに、ルキアとフィリップは顔を見合わせて苦笑する。

 現存する100以上のゴシック建築の間取りを把握し、その建築家のデザイン傾向を割り出せと言われても、フィリップは勿論のこと、ルキアでも無理だ。


 「よく覚えていたわね、そんなの。建築学に興味があったの?」

 「いや、戦術だな。この手の要塞型教会を実戦利用された場合の対処法についてとか、子供の頃から勉強していたんだ」

 「へぇ……すごいですね、殿下。流石です」


 フィリップにしては珍しい冷笑や嘲笑の籠らない本気の称賛に、褒められ慣れているステラが瞠目する。一瞬だけだが。


 「まぁな。ほら、ルキアも褒めてくれていいんだぞ?」

 「はいはい、後でね。先にワインセラーを確認するわよ」


 ステラの照れ隠しに目敏く気付いたルキアは、「仕方ないわね」と言いたげな溜息と共に乗ってあげることにして、地下に続く跳ね扉についていた錠前を破壊した。

 指先大の光の弾丸が閂の部分を無音で貫く。錠前も鎖もそれなりに使い込まれており、跳ね戸も油が差されていてスムーズに動く。ワインセラーには人がよく出入りするのだろう。


 「ここに何も無ければ、枢機卿の居住区を漁るしかないな」

 「200人分ですか……。ともかく、誰もいないうちに確認しちゃいましょう」

 

 跳ね戸を開け、石段を降りていくと、錬金術製のランプがあった。火を使わず高温にもならない、そこそこ値の張る逸品だ。


 明かりを灯すと、壁一面の棚と整然と並んだワイン瓶がぼんやりと照らされる。

 ランプの薄明りをガラスが反射して、中の液体がきらきらと輝いていた。


 ステラがワイン瓶の一つを取り上げ、貼られたラベルをさらりと流し読む。


 「……これは昨日と同じ銘柄のものだな。指輪に反応は無いが……どうだ、カーター?」

 「多分、普通のワインです。開けてみないと断定はできませんが」


 流石に開ける訳にはいかず、ステラは持っていた瓶をそっと棚に戻した。


 特筆して狭くも無ければ広くも無い部屋をぐるりと一周したルキアは、顎に手を遣って首を傾げる。


 「棚に空きが無いわね。昨日ここから出したとして、そんなにすぐに補充するものなの?」

 「……私に聞くな」


 ルキアもステラも、実家ではほぼ毎日ワインを飲んでいた。個人の嗜好ではなく、上流階級の家庭では、夕食にはワインが合わせられることが多い。

 とはいえ、二人は自分でワインをセラーから出し、自分で補充していたわけではない。そういうのは使用人の仕事だ。


 二人の視線が元宿屋の丁稚であるフィリップに向くが、タベールナは食堂が近隣住民の外食場所として人気になるような大衆宿だ。「酒のチョイスが巧い」と評判だったが、それは主人であるセルジオの目利きと、仕入れを取り仕切る彼の手腕に拠るところが大きい。


 つまり、おそらく消費ペースが教皇庁とは違い、しかもフィリップは仕入れのタイミングや量を知らないということである。


 「いや、僕も分からないです。でも空きが無いってことは、今朝辺りに補充したんじゃないですか? 昨日の夜には、あのワイン以外も、ここの食堂で出されたでしょうし」

 「そうだな。まぁ、ここに無いのなら一安心だ。いつの間にか教皇庁が邪神の奴隷に乗っ取られていた、なんて、笑えない話だしな」

 「全くね。その安心感だけでも大収穫だわ」


 三人は一先ずの安堵を胸に、ワインセラーを後にする。

 破壊した錠前は鎖ごと跡形も無く蒸発させておいた。運が良ければ、開錠後に紛失したのではと勘違いしてくれるだろう。


 「さて……そうなると、枢機卿の部屋を百と九十九個、検分しないといけないわけですが……」


 中庭に設えられたベンチに座ったフィリップたちは、改めて確認した膨大な作業量に憂鬱な溜息を吐いた。


 考えただけで倦厭が募る作業工程だが、やるしかない。

 だが、フィリップのモチベーション以外にも一つ、重要かつ前提的な問題があった。


 「警備、そして部屋に残っている枢機卿と傍仕えをどうするか、だな。一応、明日の儀式中には殆ど人がいなくなると思うが……」

 「儀式は式典を合わせても二時間くらい。移動時間を抜いても、一部屋当たり100秒程度で調べ終える必要があるわね」

 「魔力視も無しでは非現実的な数字だな。私達は儀式に出ないといけないから、カーター一人での捜索になるが……出来そうか?」


 ステラの問いに、フィリップは草臥れたように首を振って否定する。

 いや、レイアール卿ことマイノグーラを動員すればどうとでもなるだろうが、あれもナイ神父の言う「おねだりすればなんでも叶えてくれる優しいお母さん」ではない。フィリップが頼んだからと言って、無数の化身を貸してくれるかどうかは怪しいところだ。それに、そもそもフィリップは、外神の手を借りることをあまり善しとしない。


 「せめて、容疑者を絞り込めたらいいんですけど」

 「私たちを狙ったのか、お前を狙ったのかも分からない状態では、流石に推理材料が少なすぎるな。むしろ、そいつが手駒にしているナイ神父をよく知っている、カーターにこそ考えてほしい。奴が恭順するとしたら、どんな手合いだ?」

 

 大真面目な顔で問いかけるステラに、フィリップは思わずくすりと笑いを溢す。

 

 「ナイ神父が誰かに恭順するなんて、有り得ませんよ。あれは単純に、この状況が面白そうだから乗っかっているだけです。面白そう、という点で考えると……僕狙い、でしょうか」

 「貴方に害意を持つ枢機卿なんて……いえ、“使徒”の一件で、王国中枢部に「使徒の上役である」と顔と名前を明かしてしまった三人は、恨みを持っていてもおかしくないわね」

 「あと、昨日訪ねて来たトリス枢機卿だな。……私たちを穢したのと同じワインで、という趣向かもしれない」

 

 なるほど、と頷きながら、フィリップは懐疑的だった。

 聖痕者への信仰心から来るフィリップへの嫉妬が理由だとしたら、その報復手段に邪神の力を使うとは考えにくい。信仰心の為に殺人を許容するのだとしたら、相当に強い信仰心を持っているはずだ。なら、他の神の力を使おうなどとはしないはず。


 或いは手段は手段と割り切れる、信仰心を脇に置くだけの柔軟性があるのかもしれないが。


 「となると、容疑者は四人ですか。このくらいなら儀式中に──?」


 視界の端で、中庭の片隅にある小さな別棟から出て来た、修道服姿の人物が目に付いた。別棟というか、本棟と比べると小屋でしかない。

 彼──おそらく男性──は夏前だというのにフードをすっぽりと被り、古びた金属扉を閂と鎖でがっちりと施錠すると、人目を避けるようにそそくさと本棟へ入っていった。


 どう見ても怪しい動きだったが、よく見ると、周りの修道士たちは誰も彼もそんな感じで忙しなく動いている。彼も人目を避けるように、というより、ただ忙しいだけなのだろう。なんせ、明日は四年に一度の大儀式の日、仕事や準備が山積みのはずだ。


 「殿下、あの建物って何ですか?」

 「いや、私も別に何から何まで知っているわけじゃないんだが……あぁ、あそこは旧地下墓地カタコンベの入り口だな」

 「へぇ……」

 

 疑問が解消され、特にそれ以上の興味が無かったフィリップの気の無い返事で、会話が途切れる。

 そのまま何となくベンチを立ち、石造りで歴史を感じる教皇庁の中でもひときわ古びた別棟に近付き、所々に錆の浮いた金属扉を撫でた。


 瞬間、


 「──テケリ・リ」


 厚い扉の奥から、くぐもった耳障りな鳴き声が届いた。








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