第167話

 後日、教室まで謝罪に来た後輩たちを、ルキアが模擬戦でボコボコにして鼻っ柱をへし折るという一幕こそあったものの、大過なく出立当日を迎えた。

 行き先はローレンス伯爵領にある森。目的は言うまでもなく、召喚術の校外授業、契約対象の確保だ。


 「えー……、では、出発します。配布した資料は、えー……、森に入るまでに読んでおくように」


 AクラスとBクラスで分かれてキャラバン型馬車に乗り、二台の小さな車列で街道を行く。


 かたかたと揺られながらの旅路にはある程度慣れてきたけれど、お尻は痛い。

 右隣に座ったルキアの顔を盗み見ると、涼しい顔だ。では左隣のステラはというと、やはり平然としている。


 貴族や王族の方が、フィリップよりいい暮らしをしているはずなのだけれど……何故だ。普通はそういう人の方が、耐性が低いのではないのか?


 せめて気を紛らわせようと、資料を取り出して開く。

 しかし、文字列を追い始めるよりも、黒いレースの手袋に包まれた細い手指が視界を遮る方が早かった。


 「交流戦の時、酔っていたでしょう? あれから医者に聞いたのだけれど、本を読んだりするのは良くないらしいわ」

 「そうなんですか」


 頷きを返し、改めてルキアの装いに目を向ける。


 今回、生徒たちは私服だ。

 勿論、移動用とは別に、森歩きに適した動きやすい服装を持ってくることが推奨されている。


 ルキアはいつも通り、真っ黒なゴシック調のワンピースだ。半袖だが、肘の上までをレースの手袋が覆っていて、露出は殆ど無い。勿論、森歩き用には別の服を持ってきているだろう。


 ステラはパンツスタイルで、ズボンとジャケットはそのまま森に入っても目立ちそうな深紅だ。尤も、陽光を受けて煌めく長い金髪だけで、十分な存在感があるが。


 間に挟まったフィリップは、特筆すべき所の無い白い半袖シャツと黒の半ズボンだ。当然ながら森歩き用に長袖と長ズボンも持ってきている。


 「お洒落な手袋ですね」

 「ありがとう。日除けは光の操作でどうとでもなるから、ただの神官様の真似だけれど」

 「……よくお似合いですよ」


 喉から絞り出すような声で褒められて、しかし嘘の気配を認められず、ルキアは困惑したような表情を浮かべる。


 仕方ないだろう。

 事実としてとてもよく似合っているし、ゴシック系のファッションはルキアの魅力を最大限に引き出すベストチョイスと言ってもいいが、それだけにマザーを強く思い出す。


 ルキアにはなるべく、には来て欲しくないのだが。


 「目的地はローレンス伯爵領、ガーテンの森。ゴブリンやスライム程度の低級魔物と、野兎やイノシシ、狼といった通常の獣が生息している」

 「……貴女は酔わないの?」

 「あぁ。帝国に行ったときは、式典やらの概要は全て馬車の中で確認していたからな」


 フィリップの資料を自分の膝上に移動させ、二人にも聞こえるように読み上げたステラに苦笑する。

 しかしまあ、宿についてから読むよりは、前々から情報を持っていた方がいいだろう。今から何かを買い足すとか、物質的な準備は難しいが、心の準備はできる。


 「現地の生物ってそれだけですか? というか──」

 「黒山羊とか、いないわよね?」


 流石はルキア。危機意識の共有は完璧だった。




 ◇




 ガーテンの森は、発生から数百年の時を経た極相林だ。

 その植生は複数の階層を形成し、地面から順に、根層、蘚苔層、草本層、低木層、亜高木層、高木層、林冠を成す。


 ただし、これは物質界──物理的存在の世界における話だ。

 この大陸のありとあらゆる森林には、もう一つ、森林を語る上で外せない階層がある。


 それは高度、縦軸による区別ではなく、当然ながら横軸でもない。

 強いて言うのなら、


 物理次元と魔力次元の境界にある、裏層樹界りそうじゅかい


 その様相は概ね物質界表層の森林と同じだが、地面には無限の花々が咲き乱れ、世界を虹色に染め上げている。木々にはツリーハウスやを利用した住居があった。


 そこで暮らすのは、森の守護者であるドライアド。

 見目麗しく、神聖で、陰険な精霊たちだ。


 森林外縁部にほど近い一本のイチョウの木に、彼女は住んでいた。


 「シルヴァちゃん、起きて。もう朝よ。お友達と遊びに行くんでしょう?」


 そのイチョウを存在の根源として発生したドライアドの老婦人が呼び掛ける。

 樹齢200年を超える彼女は、自身の個体名すら忘却して久しい。ただこの森には樹齢100年を超えるイチョウが他に無かったから、それでも問題にはならなかった。


 「んぅ……。おはよう、いちょうのおばあちゃん」


 老婦人の声に反応して、枝葉のベッドから体を起こす影がある。

 シルヴァと呼ばれた彼女は、人間にして5,6歳くらいの矮躯だ。発生から1~2年のドライアドはみなこのくらいの容姿で、下草ごろの齢と呼ばれる。


 「いってきます」

 「はい、行ってらっしゃい。気を付けてね」


 寝起きに特有のふらふらとした足取りで玄関に向かう。


 朝食、というか、食事の必要はない。ドライアドは木から生まれる精霊であり、木そのものでもある。

 根から水分や養分を吸い上げ、陽光を利用して栄養素を生成する樹木は、半自動的に生命力を補充する。つまりドライアドたちは、日中は常に食事をしているようなものだ。

 

 ツリーハウスを出たシルヴァは、40メートル眼下の花畑に向けて身を投げる。


 人間なら脚から落ちても無事では済まない高さだが、物理的な肉体を持たない精霊に落下ダメージなんてものはない。


 ぽす、と軽い音を立てて着地したシルヴァは、足元で花びらを舞い散らせながら広場に向かう。

 広場と言っても、裏層樹界はあくまで自然林だ。人工のものではなく、偶然にも木々が生えなかっただけの場所である。


 広場では既にシルヴァと同じような下草ごろのドライアドたちが談笑しており、その中の一人がシルヴァに気付き、口元を歪めた。

 頭に鮮やかな赤い花飾りを、この場の誰よりも華やかな雰囲気を纏っている彼女の名はアザレア。誰一人として醜い者のいないドライアドの中でも、特筆して美しい外見を誇る個体だ。


 「よし、宿無しも来たわね! 今日は何して遊ぶ?」

 「鬼ごっこ! ……は、昨日やったから、かくれんぼ!」

 

 楽しそうにぴょんぴょんと跳ねながら、白い花飾りを生やした少女、シレネーが主張する。

 その意見を一考して、アザレアは「駄目ね」と否定した。


 「かくれんぼは一昨日やったもの。コリアリア、貴女は何かしたいことある?」

 「じゃあ、かくれんぼと鬼ごっこを足して、かくれ鬼! 見つかってもタッチされるまでは逃げられるの!」

 「なにそれ、楽しそう! やろうやろう!」

 

 紫色の花冠を生やした少女、コリアリアの提案に、シレネーがまた飛び跳ねる。

 アザレアも笑っているし、決まりだろう。


 「じゃあ、かくれ鬼ね! 宿無しが鬼! 百数えるのよ!」

 「わかった! しるば、おに!」


 ふんす、と鼻息荒くやる気を見せるシルヴァ。

 10を10回数え終わると、もう周りには誰もいない。


 シルヴァはもう一度ふんす、とやる気を鼻から排出して、適当な方向へ駆け出した。


 木が密集したドライアドの集落へ向かうと、頭上のツリーハウスや集会場からひそひそ声が降ってくる。


 「根無し」

 「出来損ない」

 「宿無し」

 「生まれ損ない」


 シルヴァは侮蔑と嘲笑の声や視線に晒されながら、無感動にただ走る。


 だって、言葉の意味が分からない。

 生まれた時最初の記憶からそうだった。


 シルヴァに与えられた知識は“シルヴァなまえ?”だけで、言語も、文法も、常識も、何一つとして持ち合わせていなかった。


 聞き覚えた言葉で「どんないみ?」と聞いたことはある。

 しかし、イチョウの老婦人が涙しながら教えてくれた「酷い言葉」「差別」「あなたは何も悪くない」という言葉の意味すら、シルヴァには理解できなかった。


 しばらく走っていると、綺麗な赤い花飾りが目に留まった。


 アザレアだ。

 彼女は母親と何事か話していて、シルヴァには気が付いていない。


 これは鬼ごっこだから、えっと。


 「あざれあ、みっけ!」


 足元の花畑を蹴散らしながら、短い脚で懸命に走る。


 シルヴァの声に気付いた一家がこちらを見て。


 「っ! うちの子に近付くな、出来損ない! 劣等が感染うつったらどうするのよ!」


 アザレアの母親が、かなりの力でシルヴァを突き飛ばす。

 何の前触れもない暴力に、シルヴァの矮躯は無惨にも数メートルほど転がった。


 しかし痛みはないのか、転がった先では呻くことも無く起き上がり、隙を見て走り出していたアザレアを追いかけた。


 その無感情な動きが、ドライアドたちの嫌悪感を強くする。


 しかし、シルヴァにとってはそれが普通だった。

 みんなは発生した時から、ずっとこうだ。他の個体にはしないことを、シルヴァだけにしている。でも、それが平常だった。


 だから悲しくない。みんなは転んだ時に痛がるけれど、シルヴァには「痛い」という感覚が分からない。

 「友達」に聞いてみたこともあるけれど、みんなは「出来損ないだから」としか教えてくれなかった。


 見失ってしまったアザレアを探していると、遠くに小さな石造りの祠が見えた。

 祠はシルヴァの矮躯より少し大きいくらいの規模だが、それを囲うように生えた四つの樹木によって、サイズ以上の存在感を漂わせていた。


 「あ」


 しまった、とシルヴァは立ち止まり、周囲を見回す。


 ここは、入ってはいけない場所だ。

 森の奥深くにある、封印の祠。人だけでなく精霊や獣すらも迷わせる位置に根を張り、包囲や距離の認識を狂わせる角度で枝葉を伸ばした、守護者の樹木が守る場所。


 シルヴァだけでなく、守護役である四人のドライアド以外は誰も近付けないはずの禁域。


 「止まりなさい、生まれ損ない。それ以上近付いたら、今度こそ殺すわよ」


 聞き覚えのある声の、聞き覚えのある警告。

 でも意味は分からない。ここに入ってはいけないこと、入ったら「ばーん」されることは知っている。けれど「殺す」「死なせる」という言葉の意味は、何度説明されても理解できなかった。


 声は木々の間を反響して、その発生源を悟らせない。

 だが、声の主が誰なのかは知っていた。


 「ごめんなさい、とねりこ。しるば、まよった」

 「あのねぇ、ここは“辿り着かないよう迷わせる”樹木の結界に守られてるのよ? そんな言い訳が何度も何度も通じるわけないでしょ?」


 祠を囲う四本の守護樹の一つ、セイヨウトネリコの影から、一人のドライアドが姿を見せる。

 人間でいう15,6歳の女性に近しい外見の彼女は、細長い葉でできた冠を生え出でさせた、低木の齢に一般的な容姿だ。発生から20年かそこらだろう。しかし、その魔力は森林屈指。本気になれば領主軍だって相手取れると豪語する。


 「それが通じちゃうのが彼女なんだよ、トネリコ。人の心を読めない“出来損ない”だけど……いや、だからこそ、かな? 人や獣を惑わせる木々の結界を通り抜けられる」

 「はぁ? なにそれ言い訳? 結界の構築はあんたの役目でしょ、ホーソン」

 

 守護樹の一つ、サンザシの幹に最中を預けた低木の齢のドライアドが、気取った口調でトネリコを宥める。

 いつからいたのか、という疑問は不適当だ。樹木そのものでもある彼女たちは、いつだってそこにいる。


 「耳の痛い話だなあ。だから──《ルート・ランス》」


 ドッ! と鈍い衝突音。

 音源はシルヴァの白く柔らかな腹部を貫かんと地中から伸びた、木の根の槍だ。花畑を突き破り、色とりどりの花弁を舞い散らせ、次には鮮血をぶちまけようとする殺意の塊。


 体重二十キロにも満たない矮躯を5メートル以上も放り上げる威力は、その先端が鋭く尖っていなくても殺人級。呻く間もなく貫かれて絶命するのが常であり、不運にも物質界表側でこの場に辿り着いた人間の辿る末路だった。


 しかし、シルヴァは飛んでいる。

 防御も出来ず吹き飛ばされているのだが、それは根の槍が貫通せず、威力が運動量として消費されていることを示す。


 放物線を描いて落下し、ごろごろと転がったシルヴァは、何の痛痒も感じていないように起き上がった。


 「ばーん、おわった? あざれあ、みた?」

 「相変わらず、耐魔力も無いのにどうやって耐えてるんだか。君の友達……のアザレアなら、結界に誘導されて集落の方に戻ったよ」

 「ん! ありがと、ほーそん」


 花びらを散らせながら短い足で走り去るシルヴァを、二人は追撃せずに見送る。


 本音を言うのなら、殺してしまいたい。

 シルヴァは植物を存在の根幹として生まれ落ちるドライアドの中で、唯一“宿”である発生源を持たない個体だ。


 ドライアドが持つ、森に入った人間の心を読むという力も無い。これでは森の管理者としても失格だ。その外見から同族であることが分かるだけに、能力で劣るからと殺してしまうわけにもいかないだけ。


 不要なもの。

 劣ったもの。

 淘汰されるべきもの。

 出来損ない。


 それがシルヴァの評価であり、状態だった。


 「もしあいつが封印を破ったりしたら、甘い結界作ったあんたのせいだから」

 「酷いなぁ。この結界は非魔力依存の特別製だよ? 噂の聖痕者だって迷わせる、この上ない傑作……なんだけどなぁ」


 聖痕者、というワードに、トネリコは美貌を苦々しく歪める。

 ホーソンも同じ表情だ。


 「この前来た、『事前調査隊』とかいう人間の思ってたこと、覚えてる?」

 「勿論。一週間後……つまり今日、聖痕者が二人もこの森に来る予定らしいね」


 トネリコは頷き、真剣な表情で祠を睨む。


 「聖痕者なら、あの中に封印されている奴も倒せないかしら」

 「っ! それは……どうだろう。試すにしても、私たちだけじゃ判断できないな。おーい、ジュニファー、ポプルスー! ちょっと出て来てくれないかー」







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