第45話

 一限のホームルームが伝達事項の通達で終わり、記念すべき初授業の思い出を質問攻めの記憶で埋められたフィリップは、机にぐったりと突っ伏していた。

 「疲れています。起こさないでください」などと書かれた看板の幻すら見える沈み具合にしかし、1-Aの生徒たちは果敢にも話しかけてくる。


 ちょうどルキアが学院長室に呼ばれて居なくなったのもあって、机の周りはぐるりと取り囲まれていた。 


 「あの、カーターさん、ちょっといいですか?」

 「……はい?」


 長机の両側にある通路、フィリップの座った窓側にたった一人の男子生徒が、こんこんとノックするように机を叩く。

 眠っていたわけではないものの、硬質な机が鋭く音を伝え、不快感に体を起こす。


 「お疲れのところすみません。あの、カーター卿のご親族で間違いありませんか? 先々代枢機卿の……」

 「は? いえ、違いますけど……」


 カーターもフィリップもそう珍しい姓名ではない。著名なカーター氏といえば枢機卿や劇作家が真っ先に上がるし、地元でもカーター一家は何世帯かあった。小さい町ゆえ片手の指に収まる数だったが、王都ともなればもっと多いだろう。王国全土、大陸全体へ母集団を増やせば、10000人以上のカーター氏が存在するはずだ。

 

 カーター氏=枢機卿関係者という連想は安易に過ぎるし、これまで「カーター? 枢機卿の親族?」なんて聞かれたことは一度も無い。

 不思議なことを聞くものだと首を傾げると、彼は「そうなんですか?」と同じように首を傾げていた。


 全カーター氏に「枢機卿の関係者ですか?」と聞いているとしたら相当なアホか、もしくは枢機卿以外のカーター氏に会ったことのないウルトラレアケースかのどちらかだ。


 「では、カーターくんとお呼びした方が……?」

 「え? まぁ、はい。好きに呼んでいただければ」


 クラスメイト達が顔を見合わせ「え?」「なんかおかしくね?」と囁き合う。

 何がおかしいのか知らないが、取り敢えず放っておいて欲しい。今日はもう疲れた。


 「貴族様ではないのよね?」


 平民らしき女子生徒がそう問いかけ、フィリップは頷きを返す。


 また一頻りざわざわと議論が交わされ、初めに話しかけてきた男子生徒が問いかける。


 「寮の最上階に住んでるって本当? あそこはサークリス様みたいな最高位貴族とか、教会関係者用なんだけど……」

 「あー……はい。……なるほど、そういう」


 思えば衛士団で拘留されていた時も、三食おやつにシャワー付き、看守との会話も自由という爆弾らしからぬ待遇だった。

 あれはナイ神父が手を回したか、背後にある教会に遠慮したのかと思われるが、フィリップを学院に入学させたのはその衛士団だ。「教会関係者だ」という報告が挙がっていてもおかしくない。


 妙にいい部屋が宛がわれるから隔離措置だとばかり思っていたが、本当に違ったのかもしれない。


 「僕は本当にただの一般市民ですよ。普通に話してください」


 群がっていた生徒たちが顔を見合わせ、誰かが「本当に?」と尋ねた。


 「そんな無意味な嘘は吐きませんよ」


 苦笑交じりにそう返すと、生徒たちの間に安堵したような空気が流れる。

 まぁただでさえ聖人のいるクラスだ。この上教会関係者が来たとなれば、もはや迂闊に冗談の一つも言えなくなる。

 

 「じゃあ、フィリップって呼んでもいい?」

 「10歳なんだっけ? 魔術はどれくらい使えるの?」

 「どんな仕事してたの?」


 唐突にわいわい騒ぎ始めた生徒たちだが、この雰囲気こそが彼ら本来の姿なのだろう。

 フィリップに遠慮する必要が無いと知って、いつも通りの空気になったらしい。


 内心の疲れを出さないよう、なるべく丁寧に質問に答えていく。時には逆に質問を返したりして、クラスメイトの名前や顔を覚える努力も忘れない。

 何事も無ければ向こう3年間、同じ教室で過ごす仲間だ。大切にするに越したことは無い。


 そう思っているのはフィリップだけではないようで、彼らの態度や口調からはフィリップを溶け込ませようという意図が感じられる。

 気遣いを有難く受け取り、きちんと会話しようとした矢先だった。


 「なんで平民がサークリス様と一緒にいるんだ」

 

 と、誰かが呟き、和気藹々とした空気が冷え切り、間違えようのない険が混じる。

 責めるような視線の大半は発言した者に向いていたが、数人は発言者に同調したようにフィリップを睨んでいた。


 「彼女はこの国で最も高貴な女性の一人だ。お前のような下賤な者と一緒にいるべきではない。身の程を弁えろ」


 その言説を否定する言葉を、フィリップは持ち合わせていない。


 ルキアとフィリップでは身分に差があり過ぎるし、魔術の才能という面でも大きな差がある。彼女の隣に並び立つには何もかもが足りない。

 それを他人に指摘されたところで、血筋も才能も先天的なものだ。悔しいとか残念だとか、そういった感情を催すわけでもない。


 血筋なんてどうでもいいじゃん。だって人はみな無価値だもの! という歪んだ平等思想の持ち主としては二三言いたいことはあるが、ここで波風を立てるのもよろしくないだろう。ルキアの名前が出ている以上、何がどう転んで彼女の不利益になるかも分からない。


 「え? まぁ……はい、そうですね」

 「貴様如き雑種、本来であればこの魔術学院に立ち入ることも許されないものを」


 これについてもまぁ、否定はできない。

 フィリップは非魔術師だ。その才能の無さたるや、ナイ神父が嘲笑──するのはいつものことだが、フィリップに甘いマザーですら、現代魔術ではなく領域外魔術に特化すべきだと言うほどだ。ルキアに丸一日特訓して貰ってなお、魔術発動の感覚さえ掴めなかった。


 ここにいるべきではない無能だと言われればその通りだが、ここに来たのは衛士団に言われたからだし、王国法に基づく拘束措置でもある。


 「そうですね?」 


 先程からの判然としない相槌に、絡んでいた男子生徒が眦を吊り上げる。


 「口の利き方に気を付けろ。私もサークリス様ほどではないが、伯爵家に連なるれっきとした貴族だ」

 「……失礼いたしました」


 立ち上がり、略式の礼を取る。

 意外にもしっかりとした作法に、成り行きを見守っていた生徒たちが感心したような声を上げる。


 「ふん。分かったのなら、今後はサークリス様の周りをうろちょろしないことだ」

 「縁を切れ、と?」

 「どういう意図の確認かは知らんが、そういうことだ」


 高圧的ながら、ここまでのフィリップの対応と、そもそもフィリップが年下ということもあって、完全に自分の主張が通った気でいる。


 確かにフィリップは貴族と平民の分を弁え、それなりの礼儀作法を身に着けた模範的一般人ではある。

 そして、フィリップは偏執的なまでに「人間らしさ」に拘る。それはルキアが己に定めた『美しく生きるゴシック』より平凡で、易しい生き様に思えるかもしれない。だがフィリップにとっては最優先事項だ。


 他人に言われたから友達を辞めるというのは、フィリップの主観ではとても人間らしいとは言えない。

 権力に屈し長いものに巻かれるのが人間らしいと言えるかもしれないが、そんな家畜のような生き方はごめんだ。悍ましいものどもが人間らしい死を許さないとしても、せめて人間らしく生きていたい。


 それに、フィリップはルキアのことを気に入っていた。

 遍く全てが無価値だという認識に変わりはない。だが、その中にも優劣はある。


 肉親であるアイリーンとオーガスト。家族同然に扱ってくれたアガタとセルジオ、モニカ。衛士団には人間の輝きを魅せられたし、ルキアが啓蒙を得たのは心の底から喜ばしい。彼ら彼女らに幸あれと、宛先も無く祈るところだ。

 逆に、フィリップがこうして人間らしさに拘泥しなければならなくなった、絶望と諦観の原因を作り出したカルトの事は心底憎んでいる。カルトを皆殺しにするスイッチがあるとしたら、なるべく苦しんで死ぬように改造してから連打するだろう。


 フィリップの定めた生き様と、その価値基準に照らせば、返す答えは決まっている。


 「嫌です」


 突き放すように言うと、男子生徒の目が据わる。


 「貴様、私をライウス伯爵家次期当主、カリスト・フォン・ライウスと知って言っているのか?」

 「え? えっと……?」


 思い返してみるが、名乗られた覚えはない。

 名乗りもしない奴のことをどうして知っていると思うのか分からないが、もしかして有名人なのだろうか。


 確かに、ライウス伯爵家という家名には覚えがあるような気もする。

 知り合いではないし、ルキアや他の誰かとの世間話に出た記憶は無い。となると何かで読んだのだろうが──


 「あ、ゴルドア・フォン・ライウス卿の御親類ですか?」

 「そうだ。先々代の水属性聖痕者、ゴルドアは我が曽祖父に当たる」

 

 ルキアと知り合ったのをきっかけに聖痕者について勉強し直した甲斐があったと、内心で口角を吊り上げる。

 それはともかく──魔術の才能は先天的なもの。つまり、その血統には大きな意味がある。ルキアのサークリス公爵家がいい例だ。


 彼も一般の魔術師とは一線を画す才能を持っているのだろう。


 それで? だからどうした?


 人類最強にもなれず聖痕も持たず、身分を振りかざして粋がるだけの半端な強さには、残念ながら価値を見出せない。

 彼が全力を出したところでルキアには及ばず、ルキアが全力を出したところでフィリップに傷一つ付けられないのだから。


 内心の冷笑が表情にも出たのか、カリストがいきり立つ。


 「何が可笑しい?」

 「……いえ、別に。とにかく、サークリス様と縁を切るのは嫌です」


 フィリップが言い切ると、生徒たちの半数ほどが感心したように頷き、残りは呆れたように溜息を吐く。

 当然ながら、最も苛烈な反応をしたのはカリストだ。


 「そうか。……これだから、物分かりの悪い平民は嫌いなんだ」


 内ポケットに手を差し入れ、刃物を警戒するクラスメイト達を嘲笑うように、小さな布片を取り出す。

 よく見れば、それは仕立てのよい薄手の手袋だった。


 「まさか」「止せ」と騒ぎ立てる周囲には構わず、不愉快そうにフィリップを見つめる。


 乱雑に投擲されたそれは、フィリップの顔に当たり、そのまま地面に落ちた。


 「貴族と平民の間に存在する隔絶を教え込んでやろう。拾え」

 「……決闘、ですか」


 言われた通り素直に手袋を拾い上げ──


 「随分と、面白いことをしているようね?」


 カリストを制止していた者も、フィリップを諫めていた者も、怒りに顔を歪めていたカリストも、無価値なものを冷笑していたフィリップすら、呼吸を忘れて静まり返る。

 そんな“圧”の籠った声だった。


 「さ、サークリス様……」


 こつり、こつりと、静寂の中にルキアの靴音だけが反響する。

 ルキアは無表情のまま、身動き一つできずに固まっているカリストと、「これはもしかして怒られるやつだろうか」と内心ビクビクしているフィリップの間に歩いてくる。


 「こ、これは貴族法に基づく正式な決闘です。いくらサークリス様といえど、口出しは……」


 眼前の人間に一片の価値も認めていないことを示すような、冷たい視線に射抜かれたカリストの口調が尻すぼみになる。


 フィリップは与えられた智慧によって人間を見下すようになったが、ルキアは元から自分自身の強さを土台として高い視座を持ち、人間と社会を軽んじていた。

 フィリップが養殖だとすれば、ルキアは天然モノの逸脱者だ。


 両目に輝く聖痕は、それだけの力を持つ証。

 さらに彼女は実戦経験者であり、5歳の頃から敵対者を塩の柱に変え、敵国の軍勢を光の槍で刺し貫いてきた『粛清の魔女』。


 単なる学生が盾突ける相手ではない。


 黙り込んでしまったカリストを置いて、フィリップは美人が怒ると迫力があるなぁ、なんて現実逃避じみた感想を抱きつつ、さてどう言い訳しようかと頭を回転させる。


 幸いにして、或いは不幸にも、言い訳の必要は無かった。


 「フィリップの介添人セコンドには私が就くわ。期日はいつ?」


 ルキア・フォン・サークリス。光属性と闇属性の頂点に君臨する最強の魔術師──やる気だった。


 

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