第37話

 豪華な外観に負けず内装も綺麗に飾られた馬車は、その乗り心地も素晴らしいものだった。

 王都の大通りがきちんと整備されているという要素も大きいだろうが、サスペンションの具合やソファの柔らかさが絶妙だ。


 「ここに住めますね……」


 フィリップの呟きを冗談だと受け取ったのか、ルキアはくすくすと抑えた笑いを漏らす。

 だが衛士団の独房にすら三年は住めると言ったフィリップだ。その発言は当然ながら本気である。


 しばらく馬車に揺られていると、御者席と車内を隔てる窓がノックされる。

 対応しようとしたフィリップを片手で制して、ルキアがそれに応じる。考えてみれば、ルキアは学院の関係者、フィリップは部外者だ。いくら身分や年齢的にフィリップが格下とはいえ、オリエンテーション中は出しゃばらない方がいいだろう。


 御者と一言、二言交わし、ルキアは不機嫌そうに小窓を閉める。


 「ごめんなさい、フィリップ。抜き打ちの検問らしいわ」

 「あぁ、衛士団のですか?」


 不定期、不定地点で行われる、通行人の抜き打ち検問。滞在許可のない外国人や、認識票の期限が切れた冒険者なんかを一斉摘発する目的で始まったらしいが、貴族の家紋が掲げられていようが、魔術学院の校章が刻まれていようが、彼らは躊躇いなく、そして確実に職務を遂行する。

 ごく稀に、禁制品の毒物や魔術品の類を持ち込む貴族や、貴族の馬車に見せかけてを輸送する奴隷商などもいるためだ。


 まぁそんな官憲の理屈など、一般人にはどうでもいいことだ。混雑するし痛くもない腹を探られるしで、あまり好意的には見られていない。

 中でも貴族からは、探られると痛い腹を探られ、しかも賄賂や恐喝の類が一切通じない相手ということもあって、蛇蝎の如く嫌われている。反抗して用心棒もろともボコボコにされた貴族もいるとか、いないとか。


 「降りた方がいいですか?」

 「……そうね。順番が来たら降りましょう」


 フィリップが嫌悪を一片でも感じさせれば、聖痕者としての特権と公爵家の力、そして世界最強と認められた魔術を以て検問を突破するつもりだったルキアは、高まりつつあった魔力をそっと収めた。


 程なくして、馬車の扉がノックされる。


 「王都衛士団です。ただいま不定期検問を実施中です。全員馬車から降り、いくつかの質問に答えてください」


 武装解除などの勧告が無いのは、衛士団の強さに裏打ちされた自信ゆえか。

 誰がどう反抗して来ても、それをねじ伏せればいいという端的で単純な最適解。不定期検問のマニュアルを作ったのが先代団長──変態とか脳筋とか、好き勝手に呼ばれていた人物であることと、無関係ではないだろう。


 「……魔術学院の生徒ですね? 学籍番号と名前を──お、フィリップ君」

 「え?」


 事務的に淡々と、マニュアルの内容をそのまま読み上げていたような衛士の声に、いきなり親しげな色が混じる。

 ヘルム越しの声では分かりにくいが、もしかして。


 「ジェイコブさん?」

 「あぁ、久しぶり! 元気そうで良かった!」


 ヘルムの下から出てきたのはやはり、見覚えのある強面だった。


 「ジェイコブさんも。お仕事お疲れ様です」


 握手など交わしつつ、ジェイコブの無事を心底から喜ぶ。

 以前に悪魔の襲撃からフィリップを守って負傷していたはずだが、そんな様子は微塵もない。やはり鍛え方が違うのかと感動するところだ。


 「授業開始は来週からって聞いてたけど、今日から寮暮らしかい? 悪いね、こっちの都合で」

 「いえ、国の法律ですから」


 手にしたバインダーにさらさらと何事か書きこみ、馬車の中をちらりと覗く。最後にフィリップの右腕に付けられた腕輪を一瞥して、ジェイコブは軽く頷いた。


 「よし、問題ないよ。もうすぐ一等地だから、気を付けて……というのは、無駄な心配かな」


 ルキアの両目──正確にはその奥に輝く聖痕に目を向けて、ジェイコブは苦笑いを浮かべた。


 一等地は貴族の多い土地だ。治安はいいが、身分による格差や差別などは付き纏う。その点、最高位貴族であり聖人でもあるルキアがいれば、その手のトラブルとは無縁でいられるだろう。

 フィリップも礼儀作法の類は王都の二等地で働ける程度のものを身に付けているが、貴族相手に通じるかは微妙なところだ。彼らは所作の一つ、表情の一部から相手の考えを読む。権謀術数渦巻く社交界で生きるための術なのだろうが、非常に勘弁してほしい。


 なんせ、フィリップは全人類を無価値と断じるような価値観の持ち主だ。


 貴い血? 生まれながらの貴種?

 冷笑を内心に押さえ込むだけでも一苦労だ。


 「よし。ご協力ありがとうございます。よい一日を」


 一通りの仕事をこなしたのか、ジェイコブが形式通りの敬礼をする。

 フィリップがそれを真似て返すと、彼は快活に笑ってフィリップの頭を撫でた。


 「勉強頑張れよ。腕輪は学院長に会うまで着けておいてくれ」

 「分かりました」


 フィリップが話している間、ずっと無関心を全身で表現して馬車の横に立っていたルキアが、軽くため息を吐く。


 「終わったのなら、もう発ちたいのだけど?」


 ジェイコブに宛てた言葉には、フィリップが衛士団に持つような親しみのようなものが一切籠っていない。赤い瞳からは行程を邪魔されたことによる苛立ちが透けて見え、感情に呼応するように高まる魔力が不可視の圧力となって撒き散らされる。

 魔力に敏感な魔術師でなくとも気圧されるようなプレッシャーだが、そこは流石に歴戦の衛士。動じたりはしない。


 「王国法に基づく不定期臨検へのご協力と、その遵法精神に感謝いたします。良い一日を。……じゃあね、フィリップ君」


 ルキアにマニュアル通りの慇懃な礼を見せ、最後にフィリップとフィストバンプを交わして、ジェイコブは次の馬車へ向かっていった。


 その背中を不愉快そうに一瞥して、ルキアはエスコートするように片手を差し出した。


 「行きましょうか」


 その手を借りてタラップを上がり、馬車に乗り込む。

 馬車が動き出してからもルキアは不機嫌そうな雰囲気を纏っており、対面に座ったフィリップとしては大変居心地が悪い。


 思えば、王都に来てから乗った馬車はこんなのばかりだ。


 行きも帰りも中々に居心地の悪い帰省だったが、ナイ神父だけでなくマザーまでいた帰りは格別だった。膝枕の寝心地は素晴らしかったが、二度と起きられないのではないかという恐怖もあったので二度とやらないで欲しい。


 「森でも聞いたけれど、その腕輪は衛士団に着けられたのよね?」

 「え? あぁ、はい」


 魔力を制御できない魔術師や召喚物を制御できない召喚術師は爆弾と同じ。その理屈は分かるし、あの場で処分されても文句は言えなかった。まぁフィリップが死んだ後に何が起こるのか、そもそもフィリップが死ねるのかは全く不明だが。


 「試した方がいいのかな……?」


 外神には過去も未来も関係ない。死者の蘇生くらい造作も無いだろう。死も時間も決して不可逆ではないと、フィリップは知っている。

 その知識に基づくのなら、フィリップが死んだ事実が無くなるとか、死ぬ前まで巻き戻るとか、その手の死を回避する現象が起こってもおかしくない。だが同時に、「死んだから何?」というスタンスである可能性もある。死が無価値ということはつまり、生もまた無価値なのだ。生きていようが死んでいようが、彼らにとっては同じかもしれない。


 「試すべき……か……? いやでも……」


 ヨグ=ソトースの庇護というどんな鎧よりも堅牢なものに守られ、大概のものを無価値と断じる価値観を持っている身としては、死を意識することは滅多にない。悪魔に襲われた時も、黒山羊に襲われた時も、フィリップは一度も死ぬかもしれないとは思わなかった。恐怖すら感じなかったくらいだ。


 こういう時は最悪のケースを想定するのが良いと聞く。ちょっと考えてみよう。

 フィリップが死んだ場合に起こり得る、最悪の結末──シュブ=ニグラスか真なる闇、無名の霧による、フィリップの外神としての再創造?


 「よし、やめよう」


 即決だった。

 価値観こそ順調に歪んでいるものの、未だ知性や思考能力が人間の域を出ないフィリップですら、こんなクソみたいな未来予想図を描けるのだ。外神の手にかかればもっと悍ましいものが描き上がるに違いない。


 現実逃避気味の妄想に車内の気まずさが如何に幸せな問題だったかを突き付けられ、瞳をどろどろに溶かしていると、ルキアが心配そうに覗き込んでくる。


 「大丈夫? 酔ったのなら、少し休憩する?」

 「あぁ、いえ。大丈夫です……」


 死ぬことがあるか無いかで言えば、無いだろう。悪魔や黒山羊のような下等生物ならいざ知らず、ナイアーラトテップやシュブ=ニグラスに匹敵するレベルの敵となると、旧支配者でも屈指。そうそうフィリップの前に現れることは無いだろうし、そのレベルを見落とすヨグ=ソトースではない。

 病気だけは本当に気を付けようと心に誓って、この話──いや、この思考は終わりだ。


 「そういえば、その聖痕、闇属性のものだったらしいですね」


 先日、正式な教皇庁からの公表で、ルキアは闇属性の聖痕者であると認められた。

 依然としてそれに価値を感じこそしないものの、その才能には素直に敬意を表するところだ。


 聖痕は最強の魔術師に与えられる。「与えられたから最強になる」のではなく、「最強になったから与えられる」。

 つまり彼女は弱冠15歳にして、全人類の中で光属性と闇属性の魔術に関しては、並ぶ者がいない域にまで磨き上げていたということになる。並々ならぬ努力はあったのだろうが、それでも、一辺の才能もない者が到達できる領域ではない。


 「すごいですね。僕に魔術の才能はないので、憧れます」

 「ありがとう。でも、これに価値があるとは思えないのよね」


 ──ん? いま何か、とんでもないことを言わなかったか?

 この聖人、神より与えられた聖なる証を無価値と言ったのか? なんで?


 「そ、れは……どうしてです?」


 声の震えを抑えることも出来ず、内心の疑問をそのまま吐き出す。

 ルキアは何も気負うことなく、軽く微笑んだ。


 「だって、これを刻んだ唯一神が無価値じゃない?」


 

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