なんか一人だけ世界観が違う
志生野柱
導入
第1話
キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』
導入です
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ある者は笑い、ある者は泣き、ある者は叫び、ある者は逃げ出した。
そのどれもが一様に、数瞬の時差も無くどろどろの液体になって死んだ。
祭壇の上で一人、少年は惨状を理解できずに放心していた。
呆然と、祭祀場の華美な天蓋を見上げ──それを見た。
無限に広がる宇宙の果て、およそ地球上の生物からはかけ離れた『何か』が耳障りな音楽を奏で、踊り、取り囲むもの。
何かを産み落としては自らそれを喰らい、崩壊と再生、創造と破壊を繰り返す。脳が理解を拒否する冒涜的な言葉を吐きながら眠りこける、およそ想像も及ばぬもの。
その触手が意志を持って動くと、取り囲む異形が慄くように身動ぎする。
複数本が絡み合い、崩壊の止まった太い触手が一方向を指向する。
付き従うものたちが一斉にそちらを確認するように動いた。目に該当する器官を持たない異形までもが、みな一様に。
そして人外の知で以て、その冒涜的な呻き声と挙動から在りもしない意図を汲み、平伏した。
一つの異形が嘲笑にも似た咆哮を上げる。無数の触手が蠢くそれは、動作の端々から『眠るもの』への軽蔑を滲ませている。
しかし、少なくともその意思を叶えるつもりはあるように見えた。
少年は──
◇
大陸と呼ばれる地の西半分を統べる、アヴェロワーニュ王国。
その首都たる王都は、錬金術や魔術を駆使し、頑強かつ美麗な建物と高度な上下水道を備えた街だ。
上空から見るとバウムクーヘンのような複層円形都市になっており、白亜の王城を中心に、貴族の別邸や王室・大貴族が利用する高級商店が建ち並ぶ一等地。中堅レベルの商店や富裕層の平民、王国中の冒険者を管理する
区画はそれぞれ水路によって分けられており、四方の跳ね橋がそれらを繋ぐ。
外縁には高さ5メートルのカーテンウォールがあり、町中には精強無比たる衛士が巡回する。魔物や敵の侵入に対して万全の構えだ。
何百年にも亘る魔術師・錬金術師の囲い込み政策が作り上げた、国内、いや世界最高級の文明を誇る街。それが王都だ。
美味い食事。強固で快適な住宅。良質な衣服。高度な医療。隙の無い治安。
そういったものを求めて王都に来る者は、国の内外を問わず多い。
──と、そんな内容の記されたパンフレットを読み終えた少年は、綺麗な印字の施された滑らかな紙を、大事そうに鞄の中へしまい込んだ。
王都以外では──というより、製紙技術を持つ錬金術師が紙を安定供給できないすべての土地で、紙は高級品だ。大抵は羊皮紙か樹皮を使う。だから、それは別段おかしな行動という訳ではない。
だが、この王都では、それはおのぼりさんの代名詞的な行動として知られていた。
錬金術師が錬金術組合のオーダーに沿って安定した供給を維持しており、トイレで尻を拭くのにすら紙を使えるこの王都では。
微笑ましいものを見る生温かい視線と、くすくすと揶揄うような笑いが少年に向けられる。
とはいえ、少年の価値観に沿えば、何ら可笑しい行動はしていない。
まさか自分が笑われているとは思わず、また初めて見る王都の威容に心を奪われて、少年は心を弾ませたまま大通りを進んでいく。
善良な市民にとっては初々しく微笑ましい、しかし見慣れた光景で、その少年の事を特に記憶する者はいないだろう。
そういった者を狙う、悪しき企みを持つ者を除いて。
外見は10歳かそこら。王国では一般的な金髪碧眼に、年齢に特有の中性的な顔立ち。目を引くほどの秀麗さは無く、目に留まるほどの醜さもない、平凡な外見。
少し痩せ気味だが、王都以外──郊外の村や辺境の街の出ならそんなものだろう。
体躯に対してやや大きめの鞄は、旅行者であることを印象付ける。しかし、それも珍しいものでは無かった。誰の意識にも留まらない、背景のような少年。
しかし、そういった者にこそ注意を払う者もいる。
「君、ちょっといいかな?」
きょろきょろと物珍しそうに周囲を眺めていた少年は、その呼びかけに数テンポ遅れて反応した。
斜め後方から、二人組の男性が近付いてくる。全身を反射防止加工のされた全身鎧で包んでおり、その胸元や腕章には王国の紋章が刻まれている。
「衛士さん? 何か御用ですか?」
子供にしては流暢で丁寧な受け答え。
初めに声を掛けてきた方の衛士はヘルムを取って膝を突き、少年と視線を合わせてから問いかける。齢の頃は20代後半といったところか。一般的な金髪碧眼ながら、眉の片方に傷跡が残っており、強面の部類に入るだろう。
直立したまま見下ろすように話しかけて子供を泣かせた経験でもあるのか、物腰も口調も務めて柔らかくしているように思える。
「小さいのにしっかりしているね。王都には奉公で来たのかい?」
王都外から丁稚奉公に来るというのは、この年代の子供が一人で王都を訪れる理由の最たるものだ。ちなみにもう少し成長した15,6歳程度であれば、今度は冒険者になりに来る割合が大きく増加する。
衛士の予想通り、少年はこくりと首肯した。
「はい。えっと、二等地の『タベールナ』という宿屋でお世話になります」
「え? あそこなのか」
会話には参加せず、周囲を眺めていた衛士の片割れが声を漏らす。
顔はヘルムで見えないが、その宿屋を想起して、少なくともネガティブな感情を抱いてはいなさそうだ。
「それは偶然だな。実は、いつもあそこの食堂を使っているんだ」
「オヤジさんの……料理は勿論だが、酒のチョイスが巧い。……いや、子供に言っても仕方のない話だが」
「確かに。もしよかったら、案内しようか? 少年……えっと、名前は?」
少年は鞄を置き、頭を下げた。
「フィリップ・カーターです。えっと、お申し出はありがたいのですが、衛士さんの職務を邪魔するわけにはいきませ……まいりません。ですが、お二人のお心遣いは、旦那様にもお伝えします」
少し面食らったように、衛士たちが顔を見合わせる。
敬語に怪しいところがあるとはいえ、10歳かそこらで身に着けるにしては十分だ。尤も、主に富豪や衛士のような一般人より数段上の人間を相手にする二等地の宿屋であれば、このくらいの教育はされていて当然なのだが。
「本当にしっかりしてるね。俺はジェイコブ、こっちが──」
「ヨハンだ。あまりきょろきょろしない方がいいぞ。治安は万全と言いたいが、最近は何かと物騒だ」
言って、片割れもヘルムを取って顔を見せる。
ジェイコブとヨハン。二人に似た雰囲気を感じ取れるが、顔立ちはそう似ている訳でもない。兄弟という風情でもないし、フィリップは気のせいだと思うことにした。
戦闘経験の豊富な兵士や冒険者であれば気付けるのだが、彼らの纏う空気は同じ釜の飯を食い、共に地獄を経験して作り上げられた「戦士の風格」と呼ばれるものだ。
「あまり怖がらせるなよ。でも、宿に着くまでは寄り道はしない方がいいね」
ジェイコブが穏やかに、頭を撫でながら言う。
金属製の籠手越しではあるが、幸いにも装甲の隙間に髪が引っ掛かるというアクシデントは起こらなかった。
「分かりました。ありがとうございます」
フィリップが鞄の肩ひもをかけ直そうとすると、ヨハンが鞄を持ちあげて補助してくれる。
「ありがとうございます」
フィリップの礼に軽く手を振って応えると、二人はヘルムを被り直し、挨拶を残して去っていった。
さて、と。フィリップも気持ちを入れ替える。
王都の治安が悪いという話は聞いたことが無いが、その王都の治安を維持する衛士が言った言葉だ。
目的地まではなるべくしっかりと前を向いて、よそ見と寄り道をせずに向かうことにした。
親切な衛士たちと別れたあと、フィリップは地図を見ながら跳ね橋を目指していた。衛士に言われた通り、きょろきょろはしていない。だが地図を睨み付けていては、あまり意味はないだろう。
区画を分ける水路は刻印型の魔術によって常に清潔に保たれており、陽光を受けてきらきらと煌めいている。
等間隔で8つ設置された水路を渡るための跳ね橋には、衛士たちが常駐し目を光らせている。水路へ落ちた者や、跳ね橋を渡ろうとするあからさまに怪しい者、或いは滑落の危険がある大荷物などへの対応が彼らの仕事だ。
「こんにちは」
「あぁ、こんにちは」
地図を片手に見上げるように挨拶をすれば、衛士もにこやかに──ヘルム越しではあるが、声で分かる──挨拶を返してくれる。
彼らが引き留めるのは顔を隠した者や、暗器を携えた者だ。王都に来たばかりらしき少年を特に気にする必要はない。それはフィリップも同じで、特に衛士に憧れていたりとか、或いは彼らの仕事を邪魔する理由があったりはしないので、そのまま跳ね橋を渡る。
綺麗な水路だが、魚がいたりはしないのだろうか。
気になって水路を覗いてみるが、故郷の街の近くに流れていた川の何倍も綺麗なのか、小魚一匹居なかった。
少しだけ落胆して、フィリップはまた歩き始めた。
そんな姿を微笑ましそうに見送って、衛士も正面に向き直る。
橋を渡った先の二等地は三等地よりも小綺麗で、道を歩く人の服にも装飾が多かった。
少し歩いて三叉路に行き当たると、フィリップはまた地図を広げた。王都の構造は聳え立つ王城を中心とした層構造で、区画ごとの移動に迷うことは殆ど無い。しかし、区画の中から一つの建物を探し出すのは、現地の住民でなければ難しい。
地図には一応目的地である宿屋とルートが書かれているが、フィリップが目指しているのは来てくれるという迎えとの合流場所だ。
「えっと……」
その合流地点は、実は既に通り過ぎている。
地図と実際の街並みの照らし合わせに手間取っていたのが主な原因だろう。
「こっちかな?」
少し細い路地へ、フィリップは躊躇いも無く進んでいく。
初めて王都にやってくる少年に細い路地を経由するルートを提示する訳は無いので、当然ながら間違いである。
少し進んだときだった。
「ちょっと!」
背後、少し遠くから、少女の甲高い声が届く。
フィリップは何故か怒りを孕んだような呼びかけに怯みつつ振り返り。
「《スリープ・ミスト》!」
家と家の隙間、人ひとりが何とか入れそうな隙間から伸びた腕。その主が行使した睡眠の魔法を浴びて、膝から崩れ落ちた。
意識の途絶える寸前、声を掛けたと思しき少女がフードで顔を隠した男に口元を押さえられ、それでも自分へ手を伸ばすのが見えた。
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