ワンオペ妻サボテン自分化計画

 レースのカーテン越しに大きな出窓から差し込む優しい光が、リビングダイニングを満たし、その光の中心、テーブルの上に、白で統一されたティーカップとソーサー、ケーキ皿、そして紅茶とイチゴのショートケーキが浮かび上がっていた。

 少しベタ過ぎる構成だったかもしれない。それでも、それは若い女性なら写真を撮って自分のインスタに上げそうな、いわゆるバエる風景だった。

 いやなにも、若い女性に限る必要はないのかもしれない。実際、大山律子は、一瞬そのことを考えてバッグのスマホに手を伸ばした。だけど、その行為とその瞬間の場面の空気の重さのギャップに気付き、行き場を失った手でハンカチを取り出し、意味もなく口の周りをぬぐった。

 そんな律子の様子を、紅茶を運んできた時と同じ薄いほほえみを浮かべて、古畑里美は見つめていた。そして里美もまた、律子と同じような空気の重さを感じていた。

 自宅での平日の午後のティーパーティー。気の置けない友人同士であれば、典型的な楽しい息抜きのシチュエーションだと言えるだろう。

 そうならなかったのには、里美と律子が、子供同士が中学生というだけで、それほど親しい関係ではなかったという理由があった。

 つまりそれは、気を遣う知人同士の、ティーパーティーだったのだ。

 そもそものきっかけは、一週間前の学校での保護者面談だった。律子が教室の前の廊下に並べられた椅子に座って待っていると、面談の順番が次の里美が少し早くやってきて隣の椅子に腰を掛けた。お互い名前も知らなかったが、黙っているのも気まずいので、どちらからともなく話しかけた。

 最初のうちは、子供の共通の友人を探すところから始まり、合唱コンクールの感想を言い合ったり、スマホの悪影響について持論を述べたりしていたのだが、ふとしたことでお互いの夫が単身赴任していることが分かった。

 以前ほどではないとはいえ、今でも決して単身赴任は珍しくない。だが、たまたま言葉を交わした相手が、世間のデフォルトとは言えない同じ境遇だと判明したことで、なんとなくこのときは二人共のテンションが上がった。そして、その勢いで、今度どちらかの家でお茶をしようという話になったのだ。

 もちろん、社交辞令だ。

 特に仲良くもないわけだから、そのままうやむやになってしまう可能性もあった。いや、その可能性の方が大というか、二人ともそう思っていた。ところが、特に仲も良くないことが、この時は逆に作用した。お互いが気を使いあったことで、何となくするすると予定が決まってしまったのだ。

 そしてその結果、気まずいティーパーティーが開催されることになったというわけだ。

「素敵な出窓ですね」

 ハンカチをバッグに戻した律子がそう言ったのは、ただ単に沈黙を埋めるためだった。初めての家に招待されたら、どこかしら家を褒めるものだ。

 だが同時に、それは律子の実感でもあった。その日初めての温度感のある言葉だったと言って良いだろう。ところが、運が良いことに、その出窓は里美のお気に入りだった。そのお蔭で、場の雰囲気が少し和らいだ。

「ありがとうございます。子供の頃から、出窓がある家に憧れていて、この家を建てるときに、ここだけは自分の意見を通させてもらったんです」

「出窓があると光が入る角度が増えるから、部屋の中が明るくなりますよね。季節ごとに、飾り物をするのも楽しいし」

「買ったは良いけど、食事のときは使うことがない、クリスマス用の飾り食器とかの活躍の場所です」

「なるほど、飾り食器に、そういう出番があるんですね。うちは出窓がないので、棚の奥にしまい込まれたままです」

 小さな笑みを浮かべた律子の中で、主婦らしい質問が首をもたげた。

「でも、これだけ大きい窓だと、結露のお手入れとかって、大変じゃないですか?」

「それは本当に毎朝、大変だったんですけど・・・、」

 里美は、笑顔でそう言いながらなぜか席を立ち、そのまま部屋を出て行った。そして、戻ってきたとき、里美の手にはT字型の道具が握られていた。

「これを買ってから、格段に楽になりました」

「何ですか、それ?」

「これ、結露取り用のグッズなんです。上の部分がワイパーで、柄の部分がボトルになっていて、ワイパーで結露を拭き取ったら、水がボトルにたまる仕組みになってるんです」

「じゃあ、結露を拭き取った布巾を絞ったりしなくていいんだ。それいいですね!」

「そうそう。布巾の結露を絞るのって、手は疲れるし荒れるし」

「でも、誰にも気づかれない」

「名もなき家事の典型」

「最悪ですよねぇ」

 そこでまた沈黙が訪れた。だが、その沈黙からは先ほどまでの気まずさが感じられなかった。二人は、それぞれ紅茶とケーキを口に運び、美味しさを確認するように微笑みを交わした。

「この家で結露が一番多いのは、寝室なんです。出窓の三倍くらい」

 ティーカップをテーブルに置いた里美が静かに切り出したとき、その様子に特に変わったところはなかった。

「あ、それ知ってます。体温って思っている以上に部屋を暖めるし、寝ている間の汗とか吐息にも水蒸気が含まれてるんですよね。この間テレビでやってたのを見ました」

 フォークでケーキを切りながら、律子も普通に返した。

「そうなんです。それで主人が単身赴任で、寝室は私が一人で使っているじゃないですか。私あるとき、寝室の結露を取った後に、このグッズに貯まった水を見て思ったんです。ああ、この水は100パーセント、私から抽出されてるんだなって」

 言葉自体もそうだが、律子のその言い方にどこか湿ったニュアンスを感じ、律子は小さな違和感を覚えた。だが、それに続いたのはそんな違和感なんて吹っ飛んでしまうような展開だった。

「それで、その水で私、あのサボテンを育てることにしたんです」

 そう言った里美の視線の先には、出窓に置かれたサボテンの小鉢があった。

「え?」

 律子の手が止まった。

「サボテンって、もちろん水をやり過ぎると駄目なんですけど、全く水をやらなくても良いわけじゃないんです。それで私、寝室の結露を使って、サボテンに水やりしてるんです。量的にもちょうど良くって」

「量の話は良いんですけど・・・。でも、どうして、自分から出た水でサボテンを育てるんですか?・・・水資源に配慮してるとか?」 

「いいえ、私そんな意識高い系じゃありません。ただ単に、その水でサボテンを育てたら、私の純粋な分身ができるじゃないですか」

 里美はこともなげに答えた。

「子供たちが生まれたときに、私、ほんと自分の分身ができたって嬉しかったんですよね。赤ちゃんの時は、耳と鼻の形が私にそっくりだなとか、似てるところを探して。それで、少し大きくなると、今度はしゃべり方とか食べ物の好みがやっぱり一緒だなって、安心したりして。

 でも、それも小学生までで。中学生になると、やっぱり子供には子供の自我があって別の人間だなって思うようになって。それはまあ当然のことなんですけど、ある時気が付いたんです。子供が私と違うのは、半分、主人の血が入っているからなんだなって。

 割合のことを言っているだけで、別に主人がどうこうっていう話じゃないんです。でも、そしたら、限りなく100パーセントに近い自分の分身が欲しくなって。それで気が付いたんです。寝室の結露でサボテンを育てたら、純粋な自分の分身ができるんじゃないかって。

 だって、ほら。サボテンなんてほとんど水分でできてるわけだから」

 頬を紅潮させ途切れることなくしゃべり続ける、里美を見る律子の表情が、見る見るうちに変わっていった。だが、律子がそのことに気が付いている様子はなかった。いや、里美にとっては律子の反応なんて関係なかったのかもしれない。

 そもそも、相手が引いてしまうだろうと普通に考えたらすぐに分かりそうな話題を、里美がいきなり語り始めたのはどうしてだったのだろう?しかも、大して親しくもない律子に。

 家事あるあるで、思いのほか会話が弾んだことが、影響を与えたのかもしれない。いや、それはあくまでもきっかけに過ぎず、サボテンで100パーセント自分の分身を作ろうとしているという話を誰かに話したいという欲求が里美に芽生え、いつかそれが心の奥底で、深くそして広く根を張り巡らせていたのかもしれない。

 秘密は、それが自らの破滅に繋がる可能性が高ければ高いほど、口にしたくなるものだ。そう、王様の耳がロバであるように。

「どう思われますか?」

 そう問いかけた里美の表情には、うっすらと、しかしはっきりとした恍惚感が浮かんでいた。どうして里美がこの話を律子に聞かせようと思ったのかは、おそらく律子自身にも、分からないが、里美がこの質問の答えを律子に求めていないことは確かだった。

 ところが、まるで身体の自由を奪われたように、ピクリとも動かず里美の言葉にここまで耳を傾けてきた里美は、その問いかけを合図に、こらえきれなくなったように口を開いた。

「そのワイパーとサボテンどこで買ったか教えてください!」

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