最期の願い

十野康真

最期の願い

 斉川さいかわ早苗さなえの血色が悪くなっていた。

 病室のベッドの上で、消毒液の臭いが染み込んだ壁に背をもたれている。相当に無理をしているのだろう。タコ足配線のように点滴などが繋がれた姿を見ていると、傷口を塩水に浸けたように良心がじくじくと痛んだ。

 死はこれから死ぬ運命にある者を見つめながら、お前のせいだというのに辛そうな顔をして近づいてくる。仕事柄、死と多く接する私はそれを良く知っている。


「近いうちに、あなたは亡くなります」


 私がそう告げたとき、人によって反応は異なる。

 迫る恐怖に恐れ慄く者。

 受け入れ、悟る者。

 もしくは、その両方。

 感傷に浸っている場合ではない。私が病室に来たのは自分の職務をこなすためだ。


「あなたの最後の願い、叶えましたよ」


 私が言うと、彼女は五十歳という年齢よりも衰えた表情筋を微かに動かした。


「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」

「いえ」


 私は端的に言い、鞄の中から一角をステープラーで留めた数枚の紙を取り出した。


「知り合いの探偵に頼みましてね。彼女は非常に優秀でして一週間足らずで成果をあげてくれましたよ」


 斉川は枯れ枝のような指を懸命に動かして、探偵による報告書に目を通していく。

 一枚一枚、長い時間をかけながら、時々視線を戻して内容を再確認したりして理解していく。

 ページが進むにつれて、彼女の目に涙が溜まっていく。瞬きをすると、眼尻から頬を涙が伝う。

 涙を流すのに筋肉は必要ない。全身の筋肉が十分に動かなくなった彼女でも悲しみを存分に表現することができる。以前、私が筋弛緩剤を注射したときも涙を流していた者がいた。人間というものは最期でも感情を伝えるように創られた生き物なのではないかと思う。特に何らかの信奉者ではない私でも、神の存在に思い馳せてしまう。


「あの子は、辛い思いをしたんですね。好きな人に振られたくらいで自殺したと聞いておかしいと思った私は正しかった。長い入院期間で、母親としての感覚が鈍っているかもしれないと正直思っていたんです。良かった……おかしいと気づいてあげることができて」

「あなたは立派だと思います。子供に酷い仕打ちをする親がいる中で、最期の願いを娘さんのために使ったのですから」

「立派、ですか。あの子もそう思ってくれるかしら」

「ええ、そうですとも」


 私は大げさに頷いた。彼女は近いうちに亡くなる。自分に疑念を持ちながら死ぬのは辛いことだ。

 斉川早苗の一人娘、笑瑠えみるはひと月前に自ら命を絶った。

 大学への通学のために借りたアパートで、掃除機のコードを用いて首を吊った。斉川はそれを、病室のベッドの上で知った。

 連絡が取れなくなったのを不審に思い、大家に確認を頼んだら、遺体が見つかったと連絡があったのだ。

 遺書はなかった。警察の調べでも不審な点はなく、笑瑠が亡くなる一ヶ月前に好意を持っていた男性に振られたという証言もあったことで、警察は自殺だと断定した。しかし、笑瑠が恋愛で上手くいかないことは過去にもあり、斉川はその度に相談に乗ってきた。そんなことで自殺するとは思えない、と斉川は疑い始めた。最後に見舞いに来た、亡くなる二週間前には笑瑠がサークルの友達と房総に旅行に行く、と楽しそうに話していたのも疑いの強まる要因となった。

 そして、悩んだ結果、私にそれを打ち明けてくれた。

 私は探偵に頼み、笑瑠が自殺した理由を突き止めてもらった。

 探偵はダンスサークルの仲間との房総旅行での出来事が原因だと結論づけた。

 雲一つない青空の下、房総の海をバックに六人の男女が並んでいる写真が報告書に印刷されていた。

 男の参加者は谷田部やたべみつる向井悟むかいさとる田崎たざき真也しんやの三人。

 女の参加者は、笑瑠、一条由香里いちじょうゆかり谷川沙智たにかわさちの三人。

 調べるうちに谷田部、向井、田崎に問題があるのが判明した。

 彼らは高校時代からの同級生で良くつるんでいたが、高校時代に強制わいせつ罪で逮捕されていることがわかった。谷田部の父親が一流企業の社長で、金に物を言わせて示談にし、彼らは不起訴となったため、大学に通えている。

 三人は犯行時の動画や写真をネットで売り捌いていた。ダークウェブでダンスサークルのメンバーがレイプされている写真が取引きされていた。写真に写っていたベッドの上のスマートフォンの液晶を拡大すると向井の顔がくっきりと反射されている。

 ダークウェブ上のポルノ画像を取り引きできるマーケットに、笑瑠の画像が一枚だけ出品されていた。出品日時は旅行の一日後。

 報告書に載せられたのは五枚の画像。

 その内の四枚は、髪をゴールドや明るいカラーに染めた若い女性たちが、ベッドの上で、衣服を脱がされ、性交されているところを撮影したものだった。衣服の乱れ方、酷く荒れたベッドのシーツ、女性たちの悲痛な面持ちは、性交が合意でないことを物語っている。

 残りの一枚には笑瑠が映っていた。ショートカットの、清純そうな黒髪の彼女は衣服を乱され、新雪のようなベッドシーツ上で横たわる。白い肌を纏う細い腕が、自分を守るように、胸の前で交差していた。酒瓶を通した光に照らされた顔は眠っているような静寂さえ感じられた。しかし、涙がそれを否定している。

 彼女を撮影したものは、性交中ではなく、性交後のものだった。

 探偵は谷田部達、もしくはその中の誰かが笑瑠を犯し、笑瑠はそれを苦にして命を絶ったと断定した。

 それから、探偵はレイプ犯を突き止めた。間違いが起きてはならないから、私から頼んだのだ。

 探偵は変装の達人であり、ハッキングのプロフェッショナルであり、ピッキングの玄人だ。

 彼女はありとあらゆる手段を用いて、レイプ犯を突き止めるようと動いた。しかし、彼らのパソコンからも家からも画像は発見できず、ログを分析しても画像の存在した形跡はなかった。

 三人が笑瑠の自殺をきっかけに、証拠を隠滅した可能性があり、嫌疑を晴らすのは早い、と探偵は考えた。

 探偵は弁護士を装い女性参加者の一条に接近し、サークル旅行の内情がどうだったのか探った。

 一条は谷田部達がサークル内で女性を毒牙にかけていることを知らなかった。でなければ、一緒に旅行に行くはずがないという彼女の主張は正当だろう。


「笑瑠さんにおかしな様子は?」

「旅行の二日目に体調を崩したから、部屋で寝ている、と。三日目は帰る日だったので、出てきましたけど、元気はなかったかもしれません。そのときは体調がまだ優れないんだと思っていたので……」

「あなたは谷田部たちの犯行を、直接見ていないんですよね? 一日目に、彼女だけが谷田部たちと行動を共にするタイミングはありましたか?」

「基本的には全員で行動していました。でも、私、ホテルの部屋で飲み会をしているとき、酔っ払って眠ってしまって。目が覚めたのは翌朝だったんです。笑瑠だけは一人部屋の方にいたけど、他のみんなは同じ、私と沙智の二人部屋で寝ていました」

「なるほど。眠っている間に彼女が誰といたか、わからないということですね?」

「はい」

「谷川さんは何か見ていないのですか?」

「沙智も酔って寝ちゃった、って言ってましたから、何も見ていないと思います。笑瑠や私と違って、沙智は結構お酒強いのに泥酔するなんて、相当飲んだか、飲まされたりしたんだと思います」

「谷川さんはそんなにお酒強いんですか?」

「かなり強いですよ。ウイスキーが好きで、ロックで何杯も飲むんです。私は到底敵いません」

「そうですか」


 問答が報告書に文字起こしされていた。

 一条の「そうですか」を最後に文字起こしは終わっていた。

 探偵曰く、

「私は一条への聞き込みの時点で犯人がわかった」

 という。


「この人が笑瑠を傷つけたんですね。ずっと笑顔でいてほしかったあの子に、生きていられないほどの傷を」

「はい。本人からも自白は得ています」


 情報を整理してみれば自然と明らかになる、と探偵は言う。

 まず、笑瑠さんを含むレイプされた女性の写真。笑瑠さん以外の女性は派手な髪色や服装だった。が、笑瑠さんの格好は清楚なもの。ターゲットに関する規則性から逸脱している。

 襲われていた女性の衣服や、ベッドシーツの乱れ方にも差がある。みんな無理矢理服を脱がされたせいで、衣服が伸びたり、破れたりしている。シーツも酷く皺が寄っていた。これは、彼女たちが谷田部たちに強く抵抗したからだ。谷田部たちは抵抗する女性に興奮していたのだろう。しかし、笑瑠の服は綺麗に捲られ、下着が外されている。シーツもほとんど乱れていない。彼女は酩酊状態にされていた。犯行手口に違いがある。

 探偵は酔わせなければ犯行に至れなかったのだ、と推理した。

 筋力の低い笑瑠が抵抗しても、力負けする可能性が犯人にはあった。そして、酔わせればお酒を飲ませて、記憶を曖昧にさせることで、同意だったと主張することができる。

 犯人は、女性。


「谷川は笑瑠さん以外にも同意のない性交を行っていたようです。写真を撮り、相手を脅し、黙って売り捌いてもいた。彼女は途轍もない悪人です。谷田部達と何の違いもありません」


 胸糞が悪くなる人物だった。最期も往生際が悪かった。

 筋弛緩剤を打ち、私に捲し立てることもできなくなった彼女はぼろぼろと涙を溢した。

 私だけが悪人みたいだ。お前も大概だろうに。


「斉川さん、ご依頼いただいた仕事は完遂いたしました。娘を傷つけた人物をなんて依頼は私のような者にしか頼めませんからね」


 スーツのポケットから写真を取り出して、


「念のため、谷川の死体を写真に撮りましたがご覧になります? 彼女の死体の現物はもう解体業者に渡してしまったので、もう臓器単位でバラバラです」

「やめておきます。あなたなら真摯に仕事をしてくれたでしょう?」

「ええ、こう見えても私、殺し屋界では顧客満足度トップ10に入っていますから」


 変装マスクを貼りつけた顔を掻きながら、微笑む。マスクで蒸れて痒かった。

 そろそろ、彼女も身体を起こしているのは限界だろう。


「それでは」


 別れを告げて、私は病室をあとにした。

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最期の願い 十野康真 @miroku-hanka

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