窓際のサボテン

上海公司

第1話 窓際のサボテン

 高校を卒業して一人暮らしを始めた時、私は部屋でサボテンを飼い始めた。


 実家から引っ越す際、母が別れ際に持たせてくれた包み紙の中にサボテンは入っていた。


 理恵が寂しくありませんように


 手紙と一緒に入っていた小さな植木鉢からひょっこりと頭を出した、トゲトゲの植物。

はじめはどうしてサボテン?と思ったけれど、果肉に咲いた一輪のピンクの花が可愛かったし、見ているうちに段々と愛着が湧いてきたので、窓際に飾る事にした。


 大学の入学式から帰ると、サボテンは変わった様子もなくそこで待っていてくれた。これから一人で暮らしていかなければならない私を、ピンク色の一輪の花がそっと見守ってくれているような気がした。


 私はサボテンの花をスマホでパシャリと一枚撮ると、大学生活頑張るぞ!と言う文面とともにインスタグラムにアップした。


 大学の英語の授業でペアになった男の子からインスタグラムを教えてと言われた。私が言われるがままに教えると、そこにアップされたサボテンの写真の事を聞かれた。私は少し恥ずかしかったけど家で飼ってるんだと言うと、英語のクラスでの私のあだ名はサボ子になった。


 大学に入って初めてアルバイトをした。社員の人は若い私に優しく仕事を教えてくれた。そのおかげで私はすぐに仕事を覚える事ができた。


 帰りの時間が遅くなってしまう事もあったけれど、綺麗な花を付けたサボテンを見ると明日も頑張ろうと思えた。


 大学1年生は朝が早い事もあった。毎日着る服を考えるのが面倒だった。お化粧をするのが面倒だったし、朝ごはんを食べるのも面倒だった。


 窓際のサボテンは私よりもいつも綺麗で、可愛くて、艶があった。だから私はそれに負けじと毎朝オシャレをした。そうすると部屋を出る時、窓際のサボテンが「頑張ったね。いってらっしゃい。」と言ってくれているような気がした。


 私が入ったテニスサークルの飲み会で、周りの雰囲気について行く事が出来ずに家に帰ってきた時も、サボテンは変わらず窓際で凛としていた。


 私はなんだか寂しかったので、春コートをハンガーに掛けながらサボテンに話し掛けた。


「ただいま、遅くなってごめんね。飲み会だったんだ。私は飲んでないよ?未成年だもん。」


 サボテンは私の話を黙って聞いていた。いつもは鋭く見えるトゲトゲが、なんだか今日は動物の毛皮のように柔らかいものに見えたので、そっと触ってみた。やっぱりトゲトゲは痛かった。


「吉田くんとリョーコちゃん、いい感じだったな。吉田くんの事少し気になってなんだけどな。」


 私は暗い部屋で、指先にトゲの痛みを感じていた。


 アルバイトでミスをする事もあった。そう言う時に限って、厳しいスタッフが一緒だったりする。


 私がこっぴどく叱られて、気分を落として家に帰ると、やっぱり窓際にはサボテンがいた。


 少しは大きくなってるのかな?と思って見てみるけど、サボテンは初めて見た時と大して変わってはいなかった。だけどもさらによくよく見ると、やっぱり大きくなってる気がしなくもなかった。

 人間もサボテンもちょっとずつしか大きくはならないものだなと思った。


 2年生になった。英語のクラスは変わらずで、私は結局サボ子のままだった。私をサボ子と命名したそいつは2年生になってからやたらと私に話し掛けてきた。私も私で別に悪い気はしなかった。


 2年生の前期末試験が終わった日、私達は夜二人でご飯を食べに行った。その時には2人とも誕生日を迎えて成人していたからお酒も飲んだ。


 それで、人生で初めて私に彼氏ができて家に帰ってきた日も、サボテンはやっぱり窓際にあって、私を出迎えてくれた。ピンクの花が私を祝福してくれているみたいで嬉しかった。


 初めて彼が私の家に来た時、彼は窓際にあるサボテンを見て笑った。それからよく私がしているように、指先でトゲを触って、「いてっ」と言った。


 その様子を見て私も笑った。それから2人でご飯を作って食べて、2人で借りてきたDVDを見て、セックスをした。サボテンが窓際で私達を見守ってるみたいで、ちょっぴり恥ずかしかった。


 夏が過ぎて涼しい季節になると、サボテンの花は枯れてしまう。私は友達や彼氏と夜遅くまで遊ぶ事が多くなった。家に帰らない時は、サボテンと顔を合わせる事もなかった。

久々に家に帰ると、サボテンのトゲは私を責めるように鋭いような気がした。


 3年生の冬、就職活動が始まった。今まで腑抜けた生活を続けてきた私達は、社会の鞭で徹底的に叩かれた。圧迫面接を受けて泣いて帰った事もあった。


 就活を始めた頃は彼氏と連絡を取り合っていたが、彼は彼で就活が大変そうだったので、段々と連絡の頻度も減っていった。

 そんな時でも、サボテンは窓際で私の事を待っていた。私は久しぶりにサボテンに向かって話した。


「またダメだった。泣き言いってちゃいけないのは分かってるけど、でもきついな。」


サボテンはもちろん押し黙っていたけど、なんだかサボテンのトゲを指で触っていると心が落ち着いた。また、明日も頑張ろうと思えた。


 私の就職先が決まった日の朝も、サボテンは変わらず窓際に佇んでいた。窓から差仕込む光を浴びて。私はサボテンを見ると窓を開けて、深く息を吸い込んだ。サボテンは優しく私に微笑み掛けてくれているみたいだった。


 彼の就職活動が長引いて、お互い連絡の頻度が少なくなると、私達の関係はいよいよ終わりに向かっているように感じた。彼が就職活動で何社も面接を受け、夜には企業へ提出するエントリーシートを書いている時、私はアルバイトをしてお金を稼ぎ、夜には友達と遊んでいた。


 ナイトクラブで知り合った見知らぬ男と、お酒の勢いで夜を共に過ごして帰った朝も、サボテンは窓際で私の帰りを待っていた。冬のサボテンには花は咲かず、どことなく悲しげであった。私はサボテンになんとなく、


「ごめんね。」


と告げた。


 私が大学を卒業した日の夜も、サボテンは変わらず窓際にいた。春になるとサボテンは花を咲かせる。ずっと一緒に大学生活を過ごしてきたサボテン。私は耳に聞こえないサボテンの祝辞を受け取り、


「ありがとう。」


とつぶやいた。


 社会というのは大変なところだった。家に帰ると、サボテンと顔を合わせる事もなく眠ってしまう日が増えた。するとサボテンの方もそっぽを向くようになった。大学生の頃はサボテンと会話が出来るような気がしたのに、今はもうそこにあるのはただのサボテンだった。わざわざトゲトゲを触ったり、何かを話し掛けたりする事もなくなった。サボテンと関わるのは枯れないように時々霧吹きで水を吹きかける時ぐらいだった。


 社会人になって出来た新しい彼氏も私の部屋にサボテンがあるのを面白がった。私は彼に言われて久しぶりに自分の部屋にあるサボテンに興味をいだいた。

 

「大学の時から一緒なんだ。」


と私は新しい彼氏に教えてあげた。喧嘩していた友達と久しぶりに顔を合わせたみたいな変な感じだった。


 ある日、母が倒れた。もともと患っていた病気が再発したらしい。私は父と一緒に母が入院している病室を訪れた。母は随分と痩せていたけれど、いつもと変わらない笑顔で私と話した。

帰り際、母は思い出したように私に尋ねた。


「そう言えば理恵、私があげたサボテンちゃんと育ててる?」


 私がちゃんと育ててるよと答えると、母は満足そうに笑った。


 母が天国に旅立ち、お葬式と、お葬式へ来てくれた人への挨拶を終えて、クタクタになりながら家に帰った日も、サボテンは変わらず窓際で私を待っていた。季節は春を迎えようとしていて、きっともうすぐピンク色の花が咲くんだろうな、と私は思った。


 理恵が寂しくありませんように


 そんな言葉を思い出して、私の目からはポロポロと涙が溢れた。サボテンは、そんなに泣かないで、と言ってくれているみたいだったけれど、私はどうしたって涙が止められなくて一晩中泣いていた。


 私が結婚した日、新居の窓際にずっと大事にしていたサボテンを置いた。新居の窓際は日当たりがよくて、サボテンはとても幸せそうだった。


 私が夫と生まれたばかりの赤ちゃんと一緒に家に帰った日も、サボテンはやっぱり窓際で私達を待っていた。私は自分の娘にサボテンを紹介した。

 サボテンもなんだか娘に挨拶をしているみたいだった。


 娘が高校を卒業して一人暮らしを始める時、私は花屋で買ったサボテンを娘にプレゼントした。娘はなんでサボテン?と不思議そうな顔をしていたけれど、ありがとう、と言って受け取ってくれた。そうして娘が家から出ていってしまうと、私は少しだけ寂しい気持ちになったけれど、窓際のサボテンはいつでも私を慰めてくれた。私が寂しくならないように。何年時が経っても、サボテンは春になるとやっぱり綺麗なピンク色の花を咲かせた。













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