満月がいっぱい ≪ この探偵は「ち」を愛でる ３ ≫

7 風と共に きたりぬ

　隼人（はやと）は朔（さく）に、半紙が飛ばされないように、と注意すると、

「バンちゃん、庭に出て、ドッグランの真ん中に立って」

と、僕を追い立てる。

　仕方なく僕は言われた通り庭の中央に出る。空を見上げると、雲がどんどん流れていく。上空は強い風が吹いているのだろう。

「次、突風が吹いたら、すかざず風神を呼ぶんだ。風が行ってしまわないうちに！」

　風神の名……確か、オヅヌだ。奏さんがオヅヌは風に乗っていると言っていた。風が吹いてるときに呼べと言っていた。いつ、風が吹いてきてもいいように僕は身構えた。

　遠くで建物のガタガタ揺すぶられる音がする。すぐそこの藪がザザザザーーーーッと音を立てる。でも、僕のところ、この屋敷の庭には吹いてこない。

　聞き耳を立てて風を待つ。だんだん近づく気配がある。建屋を揺らすガタガタ音がこちらに向かって疾走（かけ）てくる。

「来るぞっ！」

隼人の叫びに、僕は風に向かった。

　疾風が僕を取り巻いた。うっかりすると吹き飛ばされそうな勢いだ。

「オヅヌ！　オヅヌ、出てこいっ！」

疾風は止まらない。そのまま行ってしまうのか？　もうすぐ行き過ぎてしまうだろう。

　と、風が旋回した。僕を中心にグルグルと回り、思わず僕は腕で顔を庇（かば）う。

「バンちゃん、こっちへ！」

　隼人の声に導かれ、やっとの事で旋回する風の中から脱出する。

「バンちゃん、なんでこんな時に普通に移動してるんだよ？　こんな時こそ能力、使わなきゃ」

あ、それ、忘れてた……僕は障害物があろうが通り抜け、１０メートルほど瞬間移動できる。垂直でも１０メートル移動できるが、こちらは障害物を無視できない。それを使っていればこんな旋風、なんでもなかった。ま、今さらだけどね。

隼人の隣に立ち、今まで自分がいたところを見ると、旋風は、だんだんと中央にまとまり、それにともない勢いも削（そ）がれていく。

「だぁれか、オイラのこと、呼んだ？」

　うっすらと姿を現したのは、古墳（こふん）の壁画（へきが）で見るような服装の２人、風に乗っているのか、５０センチくらいの高さに、１人は立ってこちらを見ている。もう１人はツンと澄まして正座している。どちらも尼削（あまそ）ぎ髪だ。

　隼人が庭に降り立ち、

「風神オヅヌと雷神デヅヌであらせられるか？」

と声を張り上げる。すると立っているほうが座っているほうを見て、座っているほうがチラリと隼人を見て言った。

「これは……オオアマより甘そうじゃ。なんとも麗しい男（おのこ）よのう」

　立ちあがると、両足を揃えたまま、ピョンと風から飛び降りる。地面に着く寸前、沓（くつ）が現れ、瞬時にそれを履（は）いている。

「おい、デヅヌ、食うのか？　食うなら一人で食うなよ」

　立っていたほうはストンと落ちた。風が消えたようだ。こちらは最初から沓を履いている。正座していたほうがデヅヌ、立っていたのがオヅヌだろう。なるほどデヅヌ、切れ長の目が印象的な美女だ。でもどことなく残忍そうに見えなくもない。

「フン、オヅヌ、オオアマを食うたのは吾（わ）ではない。オオアマが吾を食ろうたのじゃ。吾を孕（はら）ませてトオイチを産ませたのじゃ」

　なんだか、隼人が好きそうな話が展開されている？　隼人を見るとニヤニヤ２人を見守っている。

「それで汝（なれ）は何者ぞ。吾を食らいたいのか？　正直に申せば食わせてやらぬでもないぞ」

　正座していたほうがニタリと笑い舌なめずりをする。どう見ても食うほうに見える。その声が何とも妖艶で、余計にそう感じるのか……

「デヅヌ、こんなの相手にしていないで、さっさと行こう」

「うるさい、黙れっ！　黙らぬと、稲妻を落とおぅす！」

「判った、判った、好きにしなよ」

オヅヌがドンッと地面に座り、デヅヌが隼人に向き合った。すると風がそよとも吹かなくなった。

　 隼人が一歩、前に出る。

「わたくしはエジプトの太陽神ホルス。我が信奉者が本日は雷神デヅヌ殿にご供物（くもつ）を差し上げたいと申しております。お受け取りいただけるか？」

　隼人、信奉者って誰だ？　まさか僕か？

「ご供物ごっこか、懐（なつ）かしや」

　ほほ、と口元を隠して笑い、オヅヌと並んで地面に座った。そして、スーッと手を伸ばし、オヅヌの腹を触った。触られたオヅヌ、不意を突かれた、と言う顔を一瞬するが、すぐに真面目な顔に変わり、なんとなく縮んだ気がする。そして、

「ご供物ごっこ、するのであろ？」

と、静かに言った。

　顔つきも声色（こわね）も、さっきまでとはまるきり違う。悪戯（いたずら）そうだったものが、何とも愛らしい少女に見える。声は童女そのもので、おっとりとした話し方だ。

「メヅヌ、この者がわざわざご供物しようと吾（わ）らを呼び止めたそうじゃ」

「それはそれは……なにをくれるものやら楽しみじゃの」

「ホンに楽しみじゃ」

　メヅヌも座り直して正座になる。そして二人揃って真っ直ぐこちらを向いて、微動だにしなくなった。

「バンちゃん、ボケっとしない。お盆をメヅヌの前に置くんだ。敬（うやま）えよ」

　小声で隼人が僕に命じる。やっぱり信奉者って僕の事か。敬えって、どうすればいいんだろう？

　取りあえず、頭（こうべ）を垂（た）れて、朔から受け取った盆を高く掲（かか）げてみる。腰を少し折って、そろそろとデヅヌの前に出て、膝を立てて低い体勢を取り、盆をデヅヌの前に置いた。

「ふむ……」

　チラリと盆の上に置かれたリングをデヅヌが見た。

「ふむ……」

デヅヌが、今度はじっとリングを見た。

「ふぬぬ……」

　気に入ったのか、気に入らないのか、どっちだよっ？　気に入らなきゃ、張り倒される。隼人は僕が張り倒されたって、きっといいんだ。痛いのは僕だけだもんねっ！

「ふむ……褒美（ほうび）は何が良かろうか」

　ポツリとデヅヌが言う。

「褒美に値（あたい）する手持ちはないであろ」

表情を変えずにメヅヌが言う。

「受け取らぬがよかろ」

「……受け取らぬは惜（お）しき」

「受け取らぬがよかろ」

「メヅヌ、黙れ、雷、落とぉす！」

「落とせばよかろ」

「うぬぅ……」

　どうやら内輪揉めしているようだ。ここで隼人が提案する。

「医神メヅヌ殿に看（み）ていただきたき者がおると、信奉者が申しております。褒美にされてはいかがか？」

　デヅヌとメヅヌが顔を見合わせる。

「では、患者をこれに」

そう言ったのはデヅヌだった。

　隼人に促されて、朔と満が庭に降り立つ。

「ふむ……」

唸（うな）ったのはメヅヌだった。

「汝（なれ）ら、人狼であろ」

朔が警戒して満を後ろに庇（かば）う。

「人狼か、消え失せたと思うておったが、このようなところに隠れ住んで居（お）ったか。それにしても……」

と言ったのはデヅヌだ。

「人（ひと）形（なり）なのに、尾があり、狼の耳がついておる」

「まこと怪（けっ）体（たい）な形（なり）なり。病か？」

「病であろうな」

「病か……」

　ゆっくりとメヅヌが立ち上がる。

「病であれば、切るぞ、切るぞ。切り捨てるぞ。観念いたせっ！」

見る見るうちに鬼の形相へと変わっていく。さすがの朔も狼狽（うろた）えて腰を抜かしかけている ――